第349話 くっころ男騎士と幼馴染たち
結局その後、ロリババアが戻ってくることは無かった。まあ戻ってこられてもどんな顔で対応すればよいのかわからないので、別に構わないのだが。
正直な話、僕の情緒は滅茶苦茶になっていた。現実的なプロポーズを受けたのは、人生初めてのことである。いや、プロポーズ自体は初めてではないが、相手が偉すぎるせいで実現性は大変に薄かった。アレは冗談として処理しても構わないヤツである。
一方、ダライヤ氏の求婚は至極現実的なものである。新参の封建領主と現地の地豪が姻戚関係を結ぶなんてことは、将棋の初手で角道を開けるのと同じくらい定番の定石だからな。今後エルフたちを統治していくうえで、ダライヤ氏との結婚はとても有益だろう。
「むぅん……」
村郊外の野営地に戻り、積みあがった雑務を処理している間も僕は頭の片隅でずっとそのことを考え続けていた。公人としてはもちろん、私人としてもあのロリババアは決して嫌いではない。
彼女はロクでもない性悪ババアではあるが、良識や責任感をまったく持ち合わせていないかと言えばそうではないだろう。むしろ、そういう複雑さ、一筋縄ではいかないところが、却って彼女を魅力的にしていた。
公人としても、そして私人としても、彼女と結婚するのに否やはない。むしろ大歓迎って感じ。もちろん、ブロンダン家の世継はどうするんだという問題はあるのだが、彼女はそれも何とかすると言っているわけだし……。
「……」
とはいえ、すぐに頷けるような問題ではない。ジルベルトの問題もある。ウンウン悩みながら仕事をしていたら、気付けば夜になっていた。上の空で夕食を終えた僕は、ソニアとフィオレンツァ司教に助けを求めることにした。自分で解決するのが難しい問題ならば、幼馴染に相談するほかない。三人寄れば文殊の知恵、って感じ。
「……つまり、なんですか? あのエルフに、求婚されたと」
小さなテントの中で、ソニアがそう言った。ここは、いわば僕の寝室である。村長からは、自分の屋敷に泊ってくださいと提案を受けていたのだが……多くの兵士が野宿をしている中、僕だけ屋根も壁もある部屋で寝るのは大変に申し訳ない気分になってしまう。結局、僕も野営地のほうで一晩を明かすことにしたのだった。
「そうなんだ」
マッサージや襲われかけた件を隠しつつ、僕は二人の幼馴染に状況を説明した。ソニアは不快そうに眉を跳ね上げ、フィオレンツァ司教はなんだかホッとしたような顔をしている。対照的な反応だった。
「結婚ができない、できないと悩んでいらっしゃったアルベールさんも、とうとう年貢の納め時ですか。やっと一つ、肩の荷が下りた気分です」
「馬鹿言え! なぜアル様が蛮族風情に身売りせねばならんのだ!」
フィオレンツァ司教の言葉に、ソニアが反発する。なかなかに激しい声音だったが、司教はどこ吹く風だ。
「エルフたちは、一筋縄ではいかぬ相手です。婚姻という形で首輪をはめておかねば、何をしでかすかわかったものではありません。これは、必要なことでしょう」
澄ました顔でそう言って、司教は香草茶を一口飲んだ。
「それに、わたくしが思うにあのダライヤと言う方は、決して悪いお人では……いやどちらかと言えば邪悪な部類な人ですね。……性格は良い……いやだいぶ悪いか。う、ううーん、とにかく、アルベールさんとの相性は結構良いと思いますよ?」
「そんなことを言われて『なら安心だ!』とか言うヤツが居るとでも思っているのか貴様は!」
頭から湯気でも吹き出しそうな様子で、ソニアは叫ぶ。わあ、めっちゃキレてらっしゃる。
「いやまあ、僕も貴族だ。自由に結婚できるとは思っていない。ブロンダン家の世継さえなんとかなるのであれば、エルフを嫁に迎えるのも構わん。婿に来いと言われたのなら応じかねるが、今回はそうではないわけだし……」
僕はため息交じりにそう言って、視線を宙にさ迷わせる。
「しかしその……ダライヤ殿とは関係のない部分に問題が」
「というと?」
「ジルベルトだ。実のところ、その……彼女から、アプローチを受けていてな。恋仲になったとか、そういうわけじゃないんだが」
「何の問題があるのです? 二人とも嫁にすれば解決ですよ」
「貴様は黙っていろ」
いきなりとんでもないことを言い出したフィオレンツァ司教に、ソニアはピシャリと言った。そしてこほんと咳払いをし、こちらに視線を移す。
「その件については、わたしも存じております。ジルベルト本人から相談を受けていたので」
「……君らが仲良しだというのは知っていたが。そこまでか」
部下としては最古参のソニアと、郎党を引き連れて最近加入したジルベルト。普通に考えれば派閥争いになるところなのだろうが、なぜかこの二人はひどく仲が良かった。この気難しいソニアが、幼馴染に対するものとまったく変わらない態度をジルベルトに向けているのだから驚きである。
「ええ、彼女とは義姉妹の契りを結んでおります。彼女ほど尊敬のできる軍人は、そうはおりません。……あのような性悪色ボケの年寄りと、曇りなき忠義を向けるわたしとジルベルト。悩む余地がどこにあるのです? 実質一択でしょう、こんなことは」
「いや、ダライヤ殿はそこまで悪しざまに言われるほどひどい方では……いや待て、ヘンなこと言わなかったかさっき。わたしと、ジルベルト?」
なぜそこに、ソニアが入ってくるのだろうか? 僕が眉を跳ね上げると、ソニアは「そりゃあそうでしょう」とため息をついた。
「重婚はある程度仕方ないとあきらめておりましたが、あの見た目だけは若いクソ婆とアル様を共有するのはイヤですからね、わたしも。親友であるジルベルトならば、むしろ喜ばしいのですが」
「……うん? え? どういうコト!? なんかソニアまで結婚する話になってない?」
「……は? どうして困惑されているのか、わかりかねますが。そりゃあ、結婚するに決まっているでしょう。わたしと、アル様ですよ? どこに疑問を挟む余地が……?」
「えっ?」
「は?」
何とも言えない沈黙が、僕とソニアの間に流れた。フィオレンツァ司教が『仕方のないやつらだな……』みたいな顔をしながら、香草茶を飲み干す。
「……要するにソニアさんは、自分とアルベールさんが結婚するのは確定事項。そう思っていらっしゃるわけです」
「そ、それはそうだが……あえて説明するんじゃない! 恥ずかしいだろうが!」
真っ赤になって、ソニアが叫ぶ。そして人差し指同士をツンツンと突き合わせながら、言葉を続ける。
「ま、まあ、ジルベルトにはまだ恋仲ではないと説明はしてはおりますが、しかしもはやわたしとアル様は実質的に夫婦のようなものでしょう? これほど長い時を一緒に過ごしてきた訳ですし……」
幼馴染である僕ですら初めて見るような照れた顔で、ソニアはそんなことを言う。だが、言われたこちらはそれどころではない。予想外の相手からぶつけられたあまりにも予想外の言葉に、僕の脳内は混乱のるつぼと化していた。
「えっ?」
「はっ?」
「そんなん初めて聞いたんだけど……」
「え、いや、口に出したのは確かに初めてですが……我々は幼馴染でしょう!? あえて言葉にする必要もなく、我々は理解しあっていたはず!」
「い、いや、その……あの……」
僕の態度を見て、真っ赤だったソニアの顔からみるみる血の気が引いていった。
「ぼ、僕は、その……ぜんぜん、そういうつもりじゃなかったというか……」
「……ひぎゅ」
ニワトリをシメた時のような奇妙な声が、ソニアの口から漏れる。それを見たフィオレンツァ司教が微かに笑い、ティーポットから自分のカップへ香草茶を注いだ。
「ソニアさん、ご存じでしたか? どれほど親しい間柄であっても、言葉にしなければ通じない想いというのは、確かにあるのです。……ま、例外に属する者もおりますが」
「嘘でしょ……」
ソニアは、呆然とそう呟いた……。




