第344話 くっころ男騎士と思わぬ提案
その後、僕たちはなんとか村長の説得に成功した。ダライヤ氏が縦横無尽の活躍をしたが故の成果である。年齢四桁の年の功は尋常なものではなく、虚実を織り交ぜたその巧みな話術は並みの定命では太刀打ちさえもできないであろう程のものだった。
とはいえ、村長も長年開拓者たちをまとめ上げてきた手腕は伊達ではない。決してやられるばかりではなく、承服しがたい要求にははっきりと否を突き付ける胆力もあった。激論の末交渉が妥結したのは、正午を過ぎた当たりのことだった。
「とりあえず、食料の供出と傷病者の収容が通って良かった……」
村郊外に張った陣幕に戻ってきた僕は、そういって安堵のため息をついた。視線の先には、村中心部から立ち上る幾筋もの白煙があった。
むろんこれは、火事の煙ではない。パン焼きの煙である。現在、兵士たちに配給するための食事を作るため、村のパン窯を総動員してのパン焼きが始まっていた。夕食には焼き立てのパンが供されることになるだろう。レンガみたいな堅焼きビスケットともこれでオサラバだ。
「病人、けが人、子供限定とはいえ……村にエルフを入れることを許可してくれたのは意外ですね」
紫煙をくゆらせながら、ジルベルトが言う。その何とも言えない香りが鼻孔をくすぐり、僕の喫煙欲求を煽った。難儀な仕事を終えたあとの一服は、さぞ美味かろうな。まったく羨ましい。なぜ男は煙草を吸っちゃいかんのだ。この世界の倫理観はいまいちよくわからない部分がある。
「フィオレンツァ司教のおかげだな。彼女が、村人たちを説得して回ってくれたから……」
僕が領民たちに強引な命令をすることができないように、村長も多くの村人が承服しかねるような命令をだすことはできない。理不尽な真似をすると即座に暴力が返ってくるからな。自力救済の意識が高い辺境民ならなおさらである。
差配には十分に気を付けないと、あっという間に反乱祭りが起きるのがこの世界の常である。農民反乱の末に倒れた国も、一つや二つではないのだ。エルフの内乱を収めたはいいが今度はこちら側で内乱が発生、などということになったらもう笑うしかない。
そこで役に立つのが、宗教的権威である。特にこの村の住民は信心深い者が多いようだったからな。宗教界の重鎮であるフィオレンツァ司教の力はてきめんに有効だった。渋る村人たちに対してエルフたちの苦境を語り、同情を引き出し、『まあ少しくらいなら手を貸してやろう』という気にさせたのである。
村長の説得はダライヤ氏、民衆の説得はフィオレンツァ司教。この布陣は驚くほど強力だった。今回の一件のMVPは、彼女ら二人で間違いあるまい。
「口だけは立つ女だというのはわかっておりましたが、ここまでとは。正直、驚いています」
発言とは裏腹になんとも渋い表情をしつつ、ソニアが呻いた。司教が活躍したことが気に入らないのだろう。相変わらず、この二人は犬猿の仲だった。
「で、その司教サマはいったいどこに? 姿が見えないようですが……」
ジルベルトの言う通り、我々の陣幕の中にフィオレンツァ司教の姿は無かった。普段であれば、我々と一緒にいるか男子供たちに付き添ってやっていることが多いのだが……。
ちなみに、その男子供たちは傷病者たちと共に既に村内へと収容されていた。今頃は、教会や村長宅などで体を休めていることだろう。男や子供は体力がない。いい加減に壁と屋根がある場所で養生させてやらねば、体を壊してしまう。
「教会で村人たちに説法をしてるよ。エルフとリースベン領民の融和を図るための第一歩……とかなんとか言っていたけど」
「なるほど……面白くありませんね」
唇を尖らせながら、ソニアはそう吐き捨てた。ジルベルトが携帯式の煙草盆に灰を落としつつ、苦笑する。
「ソニア様は、本当に司教様がお嫌いですね」
「幼馴染だからな」
幼馴染なら仲良くしてほしいんだがなあ。僕は小さくため息をついてから、スライスされた丸パンを一口食べた。村のパン屋で買ってきたモノである。
少量の小麦粉を燕麦などの雑穀粉で水増ししたそのパンは硬くてもろくて酸っぱいが、軍用糧食の食べ物だか岩だかわからないような堅焼きビスケットに比べれば百倍美味しい。やっと文明のある場所へ戻ってこられた、そういう心地になる味だった。
「……そういえば、聞いたかね? 村長は、公衆浴場を開放してくれるらしいぞ。お前たち、一番風呂に入ってきてはどうかね? 士官の役得ってやつだ」
竜人は風呂好きの種族だ。たいていの集落には公衆浴場がある。むろん田舎や水資源に乏しい土地では、サウナしか無い場合も多いが……このアッダ村では、村長の尽力によりなかなか立派な浴場が設えられていた。苦しい開拓生活も、風呂があれば乗り越えられる。それが村長の座右の銘らしい。
この公衆浴場は、パン窯の余熱で湯を沸かすタイプの代物である。パン屋が全力稼働している以上、これを利用しない手は無い。村長に頼み込み、なんとか兵士たちを風呂に入れてやる許可を取ることに成功していた。
傷病者と子供以外の蛮族は村に入れてはならないという決まりだが、入浴の場合に限り入村を認めてもらえることになったのだ。もちろん、様々な制限を課したうえでのことではあるが。とにもかくにも、これで衛生状態ははるかに改善することは間違いない。たいへんに有難い話である。
「おや、それは嬉しいですね。……ところで、アル様はどうされるのですか?」
「僕か? 僕はまあ、最後でいいよ。軍人では、僕だけが男なわけだし。一人だけ特別扱いで浴室を独占するのも悪いだろ?」
王都の公衆浴場と違い、この村の浴場は男湯と女湯で別れていない。まあ、男が極端に少ない世界なのだから、仕方が無いのだが……。いや、前世の世界でも、昔は混浴が普通だったっけ? 歴史はそれなりに好きだが、流石にその辺りの記憶はあいまいだな……。
「いけませんよ、アル様。あの小汚い連中が使った後の風呂などに入ったら、綺麗になるどころか病気になってしまいますよ」
「う……」
確かに、その通りである。ソニアの発言は差別的に聞こえるが、我々は戦場帰りで、しかも今は沐浴すらためらうような気温の季節だ。二週間以上水浴びすらせず働き続けていた者も多い。その汚さは尋常なものではないのだ。兵士たちが一斉に入浴した後の湯舟は、真っ黒に濁っているにちがいない……。
「なら、僕は身体を拭くだけにとどめよう。まあ、もう少しすればカルレラ市に戻れる。入浴は、それまでの辛抱ということで……」
「いけませんよ、アル様。総指揮官が一人だけ風呂に入らないようなことがあれば、下々の者どもは遠慮してしまいます。衛生状態の改善は急務、まずはアル様自身が率先して身綺麗にならねば」
「……一理あるが、時間は有限だろう。僕一人が、公衆浴場を独占するのか? そのぶん、兵士たちの入浴時間が圧迫されてしまう。なにしろ我々は、二千人の大所帯だ。時間を効率よく使わねば、全員が入浴することはできないぞ」
なにしろアッダ村は人口数百人の小さな集落だ。とうぜん、浴場の大きさも集落の規模にあった小ぢんまりとしたものである。一度に入浴できる人間の数は限られている。
その上、蛮族の入村許可は入浴に限った例外的な措置だ。浴場の前で蛮族どもが長蛇の列を作っては村人たちが怯えてしまうので、小さなグループに分けて順番に村に入れてやらねばならない。入浴者の入れ替えのために、かなり余計な時間を浪費せねばならないということだ。……一日や二日では、全員が入浴し終えるのはムリだろうな。
「なんの問題があるのか、理解できませんね。アル様も、我々と一緒に混浴すればよいのです」
「……は?」
混浴? は? いったい何を言ってるんだ、この副官は。こちとら未婚の男やぞ!? そんなことしたらお婿に行けなくなるんだが!?
「……何を驚いているのですか? 子供の頃は、毎日のようにわたしと一緒に入浴していたではありませんか」
「いや、確かにそうだが……」
幼馴染だからね、まあそういう経験はあるよ。ただ、それはあくまで子供の頃の話だろうに。お互い、図体はずいぶんとデカくなってしまった。あの頃と同じような気持ちで混浴するなど、もはや不可能である。僕はソニアのクソデカおっぱいを睨みつけながら、唇を尖らせた。
「むろん、御身はわたしとジルベルトがお守りいたします。あのカマキリ以外は、なんの脅威にもならぬでしょう。ご安心を」
「わたしも!?」
ソニアの言葉に、ジルベルトはポロリと煙草を取り落とした……。




