第340話 くっころ男騎士と人里
戦闘が終結して、まる一週間が経過した。なんとか穏当な形で戦いを終わらせることができたのは良かったのだが、そこからがまあ大変だった。なにしろ彼我の死傷者は三百人を超え、凄まじい損害率を叩きだしていた。死者は埋葬して弔い、負傷者にはキチンと手当てする。それだけでもかなりの大仕事である。
さらに言えば、我々に降った元敵兵たちの処遇もなかなかに難儀だった。彼女らはいわば寝返り勢であり、通常の捕虜のようには扱えない。できれば武装解除したいところだったのだが、そういうわけにもいかなかった。おかげで刃傷沙汰を含む大小さまざまなトラブルが雨後のタケノコのように発生し、我々の神経を石臼のようにすり潰していった。もう滅茶苦茶だ。
それでもなんとか最低限の戦後処理を終え、陣地を引き払い、非戦闘員を含めると二千名(あれだけ死者が出たのにまだこれほどの人数がいるのだから驚きだ)を超える数にまで膨れ上がった軍勢を行軍させ、やっとのことで人里にたどり着いたのが今日の正午ごろの話である。
「で、やっぱり村長は我々を村内に入れたくはないと」
ところが、我々は農村直前で足止めを喰らっていた。いくら自分の領地とはいえ、いきなり集落へ軍勢を突っ込ませるわけにはいかないからだ。とりあえず小休止も兼ねて街道上で陣を張り、村内へ使者を送り出したわけだが……。
「ハイ」
猟師狐のレナエルが、その大きな狐耳をペタンと伏せながら頷いた。ここはリースベン領最南端の農村、アッダ村。レナエルの故郷である。とうぜん彼女は村長とも面識があるため、使者を任せたのだが……彼女が持ってきた返事は、なんとも無情なものだった。
入村拒否。なんとも常識的な判断だな。僕は周囲の兵士たちを見回した。血と汗でドロドロになった、敗残兵にしか見えない蛮族どもが沢山いる。そりゃあ、村長としてはこんな連中を村に入れるわけにはいかんわな。僕が村長でも同じ判断をするわ。
「久しぶりに屋根のある場所で寝られると思ったのになあ……」
ズタボロの獣人リースベン兵が、ボソリとそんな声を漏らす。……村長の気分もわかるが、兵隊どもの気分もわかるんだよな。延々と続くクソみたいな持久戦が終わったかと思えば地獄みたいな戦後処理が始まり、それを片づけたと思えば原生林を延々と行軍……うんざりしない方がどうかしている。
上は司令官(つまりは僕だが)から下は員数外の雑役婦まで誰もかれもが疲労困憊状態で、しっかりとした休養を必要としていた。それをなんとかするため、ありとあらゆる問題を棚上げにして強行軍で人里まで戻ってきたとたんにこの仕打ち。そりゃあグチの一つも言いたくなるだろう。
「もちろん、領主様や騎士さま方は歓迎すると言ってましたが。しかし、その……」
蛮族連中をちらりと一瞥し、レナエルはため息をついた。そりゃあね、ウン……まあそもそも、この小さな農村に二千名オーバーの兵士を収容すること事態が、だいぶ無理があるしなあ……。結局、郊外に野営地を作るほかないわけだが。
とはいえ、すでに軍全体の統制が限界に達しつつある。むしろ、敵味方に分かれて戦っていた連中が雑に集合しただけの軍勢が、破裂しないまま一週間も持っていること自体が驚きなんだよな。いい加減に少しくらい鬱憤を晴らしてやらないと、大変なことになるぞ。
「僕はまあどうでも良い。とにかく、連中をどうにか休ませてやりたいんだが……」
農村ですらこの調子なのだから、カルレラ市に帰還したところで扱いは同じだろうな。やはり、どこぞに本格的な宿営地をこしらえて、そこでしばらく暮らしてもらうほかないか……。
いや、今はそんなことを考えている余裕はない。とにかく、兵隊どもの今日の寝床をどうするか考えねばならん。季節は晩秋とういうよりもはや初冬で、温暖なリースベンとはいえ朝晩はひどく冷える。栄養失調や戦闘による衛生状態の悪化から、蛮族兵どもの体力はずいぶんと低下しているはずだ。寒さの防げない簡単な野営地で寝起きさせるのは、いい加減辞めるべきだ。
「……とにかく、村長と直接交渉しようか。けが人、病人だけでも、村に入れてもらえねば困る」
せっかく、起爆寸前の爆弾を処理することに成功したのだ。蛮族連中は、なんとか穏当な形でリースベンに溶け込んでもらいたい。しかしこのままいけば、指揮崩壊を起こして兵隊どもは巨大な野盗集団になってしまう。それは絶対に避けなければ。
あーくそ、本当に厄介だなあ。ヴァンカ氏の言う通り、蛮族なぞまとめて滅ぼしてしまった方が良かったのか? ……そうは思いたくないね。はぁ、大変に難儀だが、背負いこんでしまった以上僕には連中を養う義務がある。もういい加減気力体力共に限界だが、もうひと頑張りしなきゃあなあ……。
「そもそも、なぜ村長は我らの出迎えもしないのでしょうか? 領主を相手にこの態度、首を刎ねられても文句は言えませんよ……」
暗い光を目に宿しながら、ソニアがそう吐き捨てる。雰囲気が滅茶苦茶に怖い。僕の後ろにいたカリーナが、「ぴゃっ!?」と叫んでくっ付いてくる。
「首を刎ねたら、身体を、くださいね。もったいないので」
「駄目です……」
文字通り首を突っ込んできたネェルに、僕はデコピンを喰らわせた。
「うふふ、マンティスジョーク、マンティスジョーク……」
不気味な笑い声を漏らしながら首を引っ込めるネェルに、周囲の兵士たちが「絶対本気で言ってただろお前……」と言いたそうな目を向けた。
「あ……その、もちろん、村長は領主様をお出迎えできないことを、謝罪していました。ただ、どうにも村民たちが不安がっておりまして」
ジロリと蛮族どもの方を睨みつけながら、レナエルが言った。……前に聞いた話では、この村は数名のエルフの襲撃ですら大騒動になっていたらしい。それがいきなり、二千名もの蛮族が現れたのだから、騒ぎにならないはずがない
そりゃあ滅茶苦茶ビビるよね、村人も。もしこの蛮族連中が本気で村を攻めたてたら、あっという間に村は陥落してぺんぺん草一本も残らないような有様になってしまうだろうし。
「……そっちもそっちで問題だな。領民の不安を取り除くのも、領主の仕事だ。なんとか安心してもらえるよう、僕からも話してみよう」
ああもう、仕事が……仕事が多い! もうやだ、実家帰って酒飲んで丸一日寝続けてぇ! でもそんな自由は封建領主にはねぇ! ホアーッ!!
僕は半ばキレそうになっていたが、なんとか根性でそれを心の中だけに抑え込んだ。いい加減僕の堪忍袋の緒もズタボロだが、しんどいのは皆同じだ。仕事を投げ出すわけにはいかん。
「あの、主様」
そんなことを考えていたら、ジルベルトがおずおずといった様子で声をかけてきた。
「村長殿と会われるのでしたら、食料の調達もお願いできませんでしょうか? そろそろ、我々の幌馬車の荷台も寂しい事になっておりますので……」
「……はーい」
リースベン軍はこの世界の軍隊としては極端に兵站を重視した集団だが、それでもその輸送能力には限度がある。そもそも、組織の設計として二千名もの人間を食わせなければならないような状態は想定していないのだ。荷馬車や川船によるピストン輸送は続けているが、それでも食料事情はまったく改善していなかった。
自前の糧食が不足している以上、民間から徴発するしかないのである。僕だってそんなことはしたくないのだが、仕方が無い。むろん代金は渡すが……ま、農民たちは良い顔をしないだろうね。はあ……。
「レナエル、悪いが村長のところに案内してくれないか」
「りょ、了解です……」
憐れんだような目つきで僕を見ながら、猟師狐はコックリと頷いた。……貴族が平民に憐れまれるって、どうなのよ。まったく……。