第339話 くっころ男騎士の演説
戦場のド真ん中に向けて、僕たちは降下していった。周囲では、相変わらず食料爆撃が続いている。予定では、爆撃はリースベン軍本隊が持ってきた糧食の三割を投下するまで続ける予定だった。軍の食料備蓄量を考えればかなりの大盤振る舞いではあるが、ここはケチっていい盤面ではないのである。
「それじゃ、突っ込みますよー」
気楽な声でそう言ってから、ネェルはその半透明の巨大な翅をブンと力強く動かした。その凄まじい加速Gに、ダライヤ氏が悲鳴をあげて僕にくっついた。
いやあ役得役得……などとホクホクしている余裕はない。僕もネェルにしがみつくので必死になっていたからだ。なにしろネェルには鞍どころか命綱もついていない。ちょっとでも手や足が滑ったらもうアウトである。飛行機慣れしている僕でも、流石にこれは怖い。
「ウワーッ! またもったいなかカマキリが来たぞ!」
「食い物の臭いでも嗅ぎつけたのか!? こがいな時に、畜生!」」
こちらの姿を見たらしい地上のエルフ兵やアリンコ兵たちが、わあわあと叫び始める。拾った食料袋を小脇に抱えながら逃げ出す者も少なからずいた。……エルフ兵がここまで動揺しているのを見るの、始めてかもしれんな。どれだけ怖がられてるんだろう、カマキリ虫人。
「化け物め、こなくそ!」
むろん矢を放ってくるエルフ兵なども居たが、相手は天性のキリングマシーン・カマキリ虫人である。鎌の一振りで矢を弾き飛ばしてしまう。いやあ、本当に心強いね……彼女だけは敵に回さぬよう気を付けねば。
「さあて、ちゃーくりーく!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う兵士たちをしり目に、ネェルは人ごみの切れ間に着地した。煙幕めいた土煙が舞う中、僕はダライヤ氏を背負ったまま地面に降り立つ。
「ご苦労!」
ネェルの足をポンと叩いてから、僕は戦場を見回した。よく見れば、地面のあちこちに戦死者の亡骸やうめき声をあげる重傷者などが転がっている。本物の地獄のような光景だった。
「おい、ありゃあ若様じゃらせんか!?」
「本当や! ないごて若様がカマキリめなどと一緒に……まさか、攫われたんか!?」
こちらを見ながら、そんな声を上げるエルフの一団が居た。どうやら、味方側のエルフ兵たちのようだ。僕は彼女らに笑いかけ、軽く手を振った。僕がネェルに囚われている、などと勘違いされると少々困ったことになるからな。出来るだけ落ち着いた態度を心掛ける。
「ダライヤ殿、準備はできているな?」
「う、ウム。任せるのじゃ?」
背後のダライヤ氏にそう問いかけると、彼女はコクリと頷きボソボソと何かの呪文を唱え始めた。数秒ほど待ってから、僕は拳銃を抜いて空に向ける。そして撃鉄を上げ、引き金を引く。鋭い銃声が、周囲に響き渡った。……発砲音に慣れている僕ですら、「うるせえ!」と叫びたくなるような大音量でだ。
これは、ダライヤ氏の使う魔法のせいだった。風の魔法の応用で、音を大きくしているのである。いわば、拡声器の代用だ。この作戦は、この魔法がなければ始まらない。なにしろ僕は、武力ではなく弁舌によってこの戦いを収めようと考えているのだからな。
要するに僕は「こんな戦いやめましょうよ!」と説得しに来たわけである。僕は前世でも現世でも軍隊でメシを食っている人間なのだから、それがどれほど難易度の高い行為であるのかは理解している。話し合いで戦いが納められるのならば、軍人などという職業はとうに地上から無くなっているハズだからな。……だが、今回に限って言えば、僕にはそれなりの勝算があった。
「聞け、すべての戦士たち! 僕はリースベン城伯、アルベール・ブロンダンである!」
腹の底から出たような声で、僕は叫んだ。その声は異様な大音量となって周囲に響き渡る。雰囲気としては、野外ライブに近いかもしれない。
あまりに突然のことに、周囲の兵士たちはピタリと動きを止めていた。まあ、意味不明の砲撃に、食料の投下に、さらには演説。わけのわからない出来事がこれだけ続けば、混乱もするというものだろう。
「僕は諸君らに問いたい! 貴様らは、己の命が惜しくないのか!」
「なんじゃお前は! ちょかっ出てきて訳んわからんこっを……馬鹿にしちょっとか!?」
「エルフのぼっけもんが死を恐るっとでも思うちょっとか! 舐むっともえーころ加減にせー!」
敵側と思わしきエルフ兵から罵声が返ってくる。予想通りの反応だ。僕はにやりと笑う。
「そうか! だが、僕は惜しい! たいへんに惜しい! 諸君らのような戦士が、このような場所で命を落とす! 許しがたい話だ!」
大仰な身振り手振りで、僕は嘆いて見せた。……味方の士気を上げるための演説には慣れているが、こういうタイプの演説は初挑戦なんだよな。うまくできるだろうかという不安がムクムクと心の中に湧いてきたが、間違ってもそれを表に出すわけにはいかない。
「エルフやアリ虫人の戦士が、どれだけ勇猛で誇り高い人々なのか、僕は知っている! 戦友や男子供を守るため、笑顔で死地に踏み込む! あるいは、仲間がバタバタと倒れる中であっても、なお整然と行進を続ける! このような真似は、凡百の戦士にはとても出来ぬ行いだ! そうは思わないか!」
「……」
突然に褒められたエルフ兵やアリンコ兵は、すっかり黙り込んでしまった。野次の類は飛んでこない。よしよし、主導権はつかめたな。
「死を恐れぬ戦士! 大変結構! しかしそれが貴いものであるからこそ、勇士の死は価値あるものでなくてはならない!」
怒り狂ったような口調で、僕は叫んだ。大学で習ったことだが、まず聴衆の怒りを煽るのが扇動の基本なのだという。なにしろ、人間の感情のなかで最も煽りやすいものが怒りだからな。怒りで聴衆を熱狂させ、冷静な判断力を奪う……独裁者が良く使う手段だ。
「ここで貴殿らが戦死しても、惜しむものは誰もいない! その勇気と名誉を称える歌もない! それどころか、『僅かな食料を奪い合って滅んだ浅ましい蛮族ども』などと蔑む者すら居よう! そんな真似を、諸君らは許せるのか!」
実際、そういうことを言うやつは出てくるだろう。……おもに、リースベンの領民たちとかね。
「許せん!」
「そんなんを言うやつがおったら、ぶち殺しちゃる! 飢えたこともない外の連中が、ナメ腐りよって!」
エルフ兵もアリンコ兵も、武器を振り上げながら口々に叫んだ。いやあ、気が短い連中は煽りやすいね……。
「僕だってそうだ! 英傑の死は、名誉あるものでなくてはならない! しかし……」
僕は口を閉ざし、周囲の聴衆を見回した。彼女らは、かたずをのんで僕の次の言葉を待っている。……今のところ、想定通りに状況が動いているな。ここで失敗するわけにはいかない。プレッシャーのあまり、胃がキリキリとした痛みを訴え始めていた。
「この戦場には、名誉などどこにもないのだ! 誰も知らぬような辺境の森の中で、大陸の四方に誇れるような稀有な勇士たちが草生す屍となってゆく……なんと腹立たしいことであろうか!」
地団太を踏みながら、僕はそう言い捨てた。
「だからこそ、諸君」
一転して、僕は優しげな声を出しつつ右手を掲げて見せた。すると、上空からウルが飛来して僕の隣に降り立つ。そして、背負っていた長い竿を僕に渡してきた。受け取ると、ウルは無言で飛び去って行く。
竿に巻かれていた白いシーツを解くと、そこには見慣れた轡十字が大書されていた。即席で作った、リースベン軍の旗だ。僕はそれを高々と掲げつつ、兵士たちに語り掛ける。
「僕と共に戦ってはくれないだろうか?」
大事なのは、緩急……そう自分に言い聞かせつつ、努めて穏やかな声を出す。いやあ、ダライヤ氏が拡声魔法を使えてよかったな。この戦場には、敵味方合わせて二千名以上の兵士が居るはずだ。地声では、その全員に声を届けることなどとてもできなかった。
「僕は領主だ。領民の安全と財産を守る義務がある! だが、わが領地の農場や交易路を狙うものは多い……」
お前らのような蛮族とかからな? ……まあ、それはさておき警戒すべきはエルフをはじめとした領地内部の脅威だけではない。なにしろリースベンにはミスリルや石油と言った貴重な戦略資源が埋まっているのだ。我が物にしたいと望む外部勢力は多かろう。
前世の植民地主義の時代を思い出せばわかることだが、侵略者はまず第一に現地の内紛を煽るという手を良く使ってくる。そして諸勢力が相争い、疲弊したところで一番おいしい所をもっていくわけだな。
リースベン半島の内紛が長引けば長引くほど、そういう手口のカモになってしまう可能性が高まっていくだろう。多少の損害を被っても、今のうちに火種を潰しておかねばならん。
「我がリースベン軍は、諸君らのような本物の勇士の力を必要としている! 僕と共に来てくれ! 僕であれば、諸君らにふさわしい戦場を用意できる!」
あれこれ取り繕ってはいるが、ようするに僕は彼女らに服従を求めているわけだ。募兵のような言い方になっているのは、相手のメンツを立てているからにすぎん。
けれども、こうやって体裁を整えておくのはたいへんに重要だった。頭から「我に従え!」と怒鳴ったところで、エルフもアリンコも納得しないだろう。特に意地っ張りのエルフなど、「お前に従うくらいなら死んだ方がマシじゃ!」と死ぬまで抵抗してくるに違いない。そういう事態は流石に避けたいだろ。少しばかりこちらが譲歩するのも致し方のない話だ。
「な、なんじゃあの男は……いきなり勧誘たぁ」
「しかし悪い話じゃないかもしれんぞ……どうやらリースベンとやら、メシは余っとるようだし」
食料袋から出したビスケットをモソモソとかじりつつ、アリンコ兵がそんな話をしている。彼女らが持っている食料袋には、でかでかと轡十字のマークが描かれていた。これもまた、懐柔工作の一環である。
「リースベンには、守らねばならぬ民が大勢いる。諸君らが侵略者に打ち勝ち、我らの街へと凱旋した時、彼ら・彼女らは万雷の喝さいをもって諸君らを迎えるであろう! また――」
負けたら石が飛んでくるけどな。僕は内心そう吐き捨てた。熱のこもった口調とは裏腹に、僕の心は冷めていた。自分がアコギな真似をやっている自覚があったからだ。だが、このまま無意味な戦いを続けて大勢の死者を出すくらいなら、僕が詐欺師のそしりを受ける方がよほど良い。
「諸君らが敵の凶刃に倒れた時、民草は諸君らの死に涙し黙とうをささげるであろう! そして諸君らの勇気と奮戦を称える歌を、末代まで歌い継いでいくのだ!」
民衆がそんな都合の良い存在であるもんか! あいつら、滅茶苦茶チャッカリしてるぞ。ベトナム戦争後、先輩兵士たちが受けた仕打ちを思い出しながら、僕は内心そう吐き捨てた。
「……もう一度聞こう。ここは、諸君らが命を賭けるに値する戦場なのか? このような場所で無為に命を散らすのは、惜しくないか!?」
「お……惜しい! 俺は、俺は……こがいなところで死にとうない!」
エルフ兵の一人が、ひどく湿った声でそう叫んだ。その声が引き金になったように、周囲の兵士たちも次々と声を上げ始める。
「こがいなところで無駄死にするために、何百年も生きて来た訳じゃなか!」
「飢え死にするよりはマシと戦いに参じたが、これではあまりにも、あまりにも……!」
エルフ兵たちは、涙を流していた。……彼女らとて、闘争本能だけで生きるクリーチャーなどではない。どうしようもない現実を前に、苦悩し惑ってきたのだ。ヴァンカ氏などは、その典型だろう……。
今ならば、なぜ味方のエルフ兵たちが若いリースベン兵を庇って突撃したのかよくわかる。苦しいばかりの生の中で、味方を守って戦死することができるという状況がやってきたのだ。そりゃあ、飛びつかないはずがない。あれは一種の自殺だったのではないだろうか。……本当に嫌になるね。
「僕と共に来い、諸君! 勝利と栄光によって舗装された道を、僕と共に歩もうではないか!!」
そう叫びながら手を差し出すと、手近なところにいたエルフ兵たちが跪いた。轡十字の描かれたポンチョを羽織った連中だった。
「地獄までお供いたしもす、若様!」
それにつられたように、周囲のエルフ兵たちが次々と跪いていった。その中には、無地のポンチョを着ているものも多かった。一方アリ虫人たちは若干唖然としているようだったが、そんな彼女らの中から長身の女性が歩み出てくる。
「アダン王国女王、ゼラ・グロワ・アダンは、アルベール・ブロンダン様に臣従いたします。こりゃ手土産じゃけぇ、どうか納めてつかぁさい」
彼女はそう言って、中年女性の生首を足元に置いた。そして己は地面に伏し、深々と頭を下げる。……アリンコ軍の女王の首級か、アレ……。
「女王、女王じゃないの。ゼラの大姉貴、なんということを……」
「しかし、そもそもエルフどもの内紛に首をつっむハメになったなぁ女王のせいだで。大姉貴の判断ももっともじゃ……」
「どうにもあのカマキリは、アルベールとやらに従うとるようじゃのぉ。ワシは嫌じゃぞ、あがいなのと戦うなぁ……。キチンと食わしてくれるってんなら、あっちに乗り換えた方が賢いんじゃないのか?」
アリンコ兵はしばらくざわついていたが、やがてゼラ氏にならって跪いていった。いつの間にか、戦場は地に伏した者ばかりになっている。もはや、戦いを続けている者など一人もいない。僕はほっと安堵のため息をついた。
「諸君らの判断に、敬意を表そう。ようこそ、リースベン軍へ」
こうして、長きにわたったリースベンの内戦は終結したのだった。




