第336話 くっころ男騎士と説得
くだらない誤解で時間を浪費している余裕はない。僕はあわててジルベルトらに己の身に起きた出来事を説明した。『ネェルは理性的な人間であり、十分に交渉の余地がある相手だった』という説明にはジルベルトはもちろんダライヤ氏も懐疑的な様子だったものの、それはまあ仕方のないことだろう。全身を返り血で真っ赤に染めた彼女は、どこからどう見ても危険極まりない怪物である。
ネェルはネェルで事あるごとに物騒なマンティスジョークを投げてくるものだから、余計に話がややこしくなった。お前状況わかってんの!? と聞いてやりたいところだったが、たぶんわかってやってるんだよな。この女、人をビビらせて楽しんでいる節があるし。
「まあそういうわけで、ネェルとは協定を結びアレコレ協力してもらうことになりました」
頭に冷や汗を浮かべながら、僕はリースベン軍の面々にそう熱弁する。これ以上面倒ごとが起きてはたまらないので、もう必死だった。さっさと本陣に戻ってこのクソみたいな戦争を今すぐ終わらせたいんだよ、僕は。
「しかし……しかし、本当に大丈夫なのですか? 正直その……わたしとしては、ちょっと……なんというか……」
ひどく曖昧な口調で、ジルベルトが抗弁する。まあ実際、言いたいことはわかるよ。実際、ネェルってば無茶苦茶怖いしな。司教なんか、僕の腰に張り付いてガクブル震えている。彼女の頭を優しく撫でつつ、僕はため息をついた。
「カマキリ虫人は、この半島に住まうすべての人間種の天敵。ワシとしても、コヤツと手を結ぶのは賛成しかねるのぅ……このような手合いを陣地に迎え入れたら、夜な夜な兵士が一人、また一人と食われてしまうやもしれぬ」
「それは、杞憂ですよ? ネェルは、文化的な、ニンゲンなので、他の、食料が、あるのに、人間を、食べたりは、しません。小骨が、多くて、食べづらいので。……マンティスジョークです、うふふ」
ジルベルトらの顔からさーっと血の気が引くのを見て、ネェルは満面の笑みを浮かべた。なんだか滅茶苦茶楽しそうな様子である。
「あと、エルフの、皆さんは、特に、心配しなくて、いいです。ネェルは、エルフが、生理的に、ムリなので。どうしても、しかたない時以外は、食べません。エルフは、ゴキブリと、同じくらい、ムリです。マジキモーい、的な?」
「は? ゴキブリくらい、腹が減ったら普通に食うじゃろ……」
半目でそんなことを言うダライヤ氏。その隣に座っていたジルベルトがガタンと椅子を蹴って立ち上がり、ロリババアから距離をとった。「ゴ、ゴキブリを……食べる!?」とドン引きした声を漏らしている。
「ほらね? ゴキブリを、食べてるような、生き物は、ネェルも、あえては、食べたくないです」
「じょ、冗談じゃ! エルヴンジョークじゃ! エルフはゴキブリなぞ食わん!」
ブンブンと頭を左右に振るダライヤ氏に、僕は思わず苦笑した。エルヴンジョーク、ねぇ。信用のできなさでいえば、マンティスジョーク以上かもしれないな。
「食文化の話題はいろいろセンシティブだから、いったん流そうか。今はそんな話をしている暇はないしな……」
まあ、ゲテモノ食い云々の話で言うと、僕もぜんぜんエルフを笑えないからな。あえて突っ込むのはやめよう。変なものを喰ってるのがバレたら、ジルベルトはもうキスしてくれなくなっちゃうかもしれない。
……キスを全力拒否されるの、想像しただけで精神的に大ダメージだな。同じようなシチュでめちゃくちゃショックを受けていたアーちゃんの気持ちがちょっと理解できてしまった。彼女には悪いことをしてしまったかもしれん。
「とにかく、今最優先すべきなのは戦闘を強引にでも終わらせることだ。戦場の方が、今なかなか大変なことになってるん……だったよな?」
「え、ええ、ハイ」
おそるおそる席に戻りつつ、ジルベルトが頷いた。本陣の現状に関しては、先ほど彼女から軽く説明を受けていた。
「現在の指揮はソニア様が執っていらっしゃいますが……なにしろひどい乱戦状態でして。敵味方が入り混じりすぎて、命令の伝達にすら難儀するような有様のようです」
「数ではこちらが勝ってるはずなんだがな……やはり一筋縄ではいかんか」
エルフ兵とアリンコ兵の連携は極めて脅威だ。少々の数の優位性などひっくり返してしまうほどのポテンシャルがある。……というか、ほぼエルフ兵のみで構成されてる我々の方が悪いんだよな、こればかりは。
様々な兵科を組み合わせることで、お互いの弱点をカバーし長所を伸ばす。これが近代用兵術の基本だ。これがうまくいっていない我々の側が戦術面で劣勢になるのは、当然のことである。
「はい。一応、わたしが連れてきた増援も戦列に加わっているのですが、状況が混乱しており、あまり効果はあげていないようです」
「典型的な悪戦だな……まあ、予想されていた話ではあるが」
「相手の士気が低ければ、まだやりようがあるのですが……敵のエルフ兵どもは、このような状況にも関わらず戦意を衰えさせておりません。どうにも、やりにくい相手です……」
「追い込まれれば追い込まれるほど燃えるのがエルフの性質じゃからのぅ。勝ち戦より負け戦のほうが強くなる、それが我らなのじゃ……」
なんて厄介な種族だろうか。僕は深い溜息を吐いた。そりゃあ、一筋縄では勝てない訳だ……。
「一応、アリ虫人の一部が寝返ってこちらについた、などという情報も先ほど鳥人伝令が持ってきましたが。しかし、前線のことですので、確度は低めですね。本当だったとしても、どれほど信用して良いのやら」
「アリンコの離反か。首謀者はあの若頭かね……」
「おそらくのぅ。……まったく、アリンコどもめ。状況をひっかき回しおって」
恨みがましい目つきで、ダライヤ氏が空を睨んだ。……君も大概だと思うがねぇ。
「ふーむ……話は変わるが、カマキリ虫人の脅威度はエルフはもちろんアリンコ共も認識しているんだよな?」
僕はチラリとネェルの方を見ながら聞いた。
「ウム。まあ、カマキリ虫人はラナ火山の噴火を期に数を激減させていったから、アリンコ共の現役世代はこやつらと直接事を構えたことは無いじゃろうが……。しかし、口伝という形でその恐ろしさは語り継いでおるはずじゃ」
「なるほどな」
で、あれば……ネェルの協力を得られたのは望外の収穫かもしれん。うまく嵌まれば、僕の作戦を成功させるための重要なピースになってくれるはずだ。
「ネェル、この戦いを終わらせるためには君の力が必要だ。約束通り食料は提供するから、手伝ってほしい」
「主様!」
ジルベルトが眉を跳ね上げたが、僕はそれを手で制した。こうしている間にも、敵味方の兵がどんどん死んでいるのである。じっくり議論している余裕はない。
「いいですよ。今後も、お腹いっぱいになるまで、ご飯を、食べさせて、くれるのならね。ギブ&テイク、的な? ……あ、もちろん、イケニエを寄越せとは、言いません。ご飯は、家畜の肉で、大丈夫ですよ。お芋さんも、好きではありませんが、我慢して、食べましょう」
ニヤリと笑って、ネェルは頷く。彼女はすさまじく図体がデカいから、その食費も尋常なものではなかろう。彼女を雇用するためのコストを考えるとちょっと頭を抱えたくなるが、仕方があるまい。敵対されるよりは何倍もマシだ。
問題は彼女がどこまで信用できるかだが……物騒な発言こそ多いものの、出会ってからの経過を考えると、ネェルは自己申告の通りかなり理性的な人間のようだからな。取引相手としては、それなりに信用してよかろう。
「ありがたい! それじゃあ、まず最初の仕事だ。僕を連れて本陣まで戻ってくれるか?」
「いいですよ。お腹いっぱいになったので、元気もいっぱいです。それくらい、お安い御用、的な?」
頷くネェル。それを見たダライヤ氏が、眉を跳ね上げた。
「そのカマキリを戦列に加える気か? たしかにカマキリどもは強いが、敵味方の判別ができるのか、かなり不安じゃのぅ……」
「失礼な。それくらい、出来ますよ。目につく、エルフを、全員、駆除すれば、良いのでしょう?」
「できておらんじゃないか! 敵味方判別!」
「冗談です。マンティスジョークです」
憤慨するダライヤ氏を見て、ネェルはくすくすと笑った。たいへんにご機嫌な様子である。長年監禁されていたらしいし、人との会話に植えてるのかね?
「安心しろ、ネェルに戦ってもらう予定はない。……これ以上無駄に死人を増やすのは、面白くないからな」
僕はそう言ってから、自信ありげな笑みを顔に張り付けた。……内心、己の作戦に少々の不安は抱いていたがね。しかし、このバカみたいに無意味な戦いをスパッと終わらせるには、この作戦しかないのだ。せいぜい頑張ってみることにしようか。