第333話 未亡人エルフの想定外
私、ヴァンカ・オリシスはたいへんに困っていた。あのカマキリ虫人が予想外の暴走をし、ブロンダン殿を攫って行ってしまったからだ。腹を満たしたいだけならば、エルフやアリンコを狙えばいいものを……なぜわざわざブロンダン殿を狙ったのだろうか?
何はともあれ、急いでブロンダン殿を救出せねばならん。指揮官不在で混乱した状況では、"天の劫火"がきちんと運用されるか不安な部分がある。あの兵器には、しっかり全エルフ兵を薙ぎ払ってもらわねばならない。
それに、我が策が原因でブロンダン殿が亡くなるようなことだけはどうしても耐えがたい。幸いにも、あのカマキリには頑丈な口枷をつけている。すぐに食い殺されることはないだろう。そこで私は、透破衆を引き連れ自らブロンダン殿の捜索に乗り出した。
一応は総大将である私が戦場から離れるのは正直かなりよろしくないが、男性の捜索をほかの雑兵エルフに任せるわけにはいかない。あの品性下劣な連中のことだ、たとえ強く命令していたところで、私の見ていないところでその卑劣な欲望を解放しようとするに違いなからな。ブロンダン殿が我が夫と同じような目にあうことだけは、絶対に避けたかった。
「まだか、まだ見つからんのか!」
「カマキリ共は飛ぶっでね。どれほど遠うへ行ってしもたんやら……」
透破頭の言葉に、私は「ええい!」と叫びながら近くに生えていたキノコを蹴り飛ばした。焦燥感が、私の精神をジリジリと焦がしている。そこへ、木々を縫うようにして飛んできた一人のカラス鳥人が私の傍に着地した。鳥人衆は大半がリースベン方についてしまったが、それでもごく少数の者は我々に協力してくれているのだ。
「報告! アリンコ軍で反乱が発生しもした。宰相んゼラがリースベンとん停戦を求め、女王の首級を獲ったようでごわす」
「放置で構わん!」
私は短くそう答えた。今さらアリンコ共がどうなろうが知ったことではない。あいつらの仕事は、敵味方を問わずエルフ兵を拘束し続けることだ。反乱が起きようがどうしようが、大勢に影響はない。
飛び去って行く鳥人伝令を半目で見送りつつ、私は親指の爪を噛む。エルフ兵やアリンコ兵などどうでも良いが、ブロンダン殿だけは心配だ。一体、どこへ行ってしまったのか……
「そう焦りなさっな。男であっブロンダン殿を狙い撃ちにして捕めたんじゃで、あんカマキリん目的は交尾んハズ。いかに夫喰いんカマキリ虫人でん、流石にすぐに食わるっことはなかやろう」
透破頭の言葉に、私はギリリと歯を食いしばった。命が無事ならそれで良し、という問題ではないのだ。心が壊れてしまえば、もう手遅れである。あの可愛らしい男騎士が、我が夫と同じ運命をたどるなど……想像するだけで耐えがたい。
「……それにしてもだ! とにかく、ブロンダン殿を早く見つけてもらわねば困る。わかるな!?」
とはいっても、この苛立ちを透破頭にぶつけても仕方が無い。彼女は忠義心から私に従っているのではなく、あくまで利害の一致から協力しているに過ぎないのだ。私の感傷など、透破頭は考慮してくれない。
「リースベン勢よりは、はよ見つけ出して見せっじゃ。こん森は我らん庭んようなもん、よそ者に後れを取っことはありません」
そう言ってから、透破頭はクツクツと陰湿に笑った。
「ブロンダン殿を確保したや、例ん"天の劫火"とやらを合戦上んド真ん中に撃ち込んよう、キッチリとお頼みせんなならんでしょうな。自由意志に任せて決断を待つより、そちらん方がよほど話が早か」
肩をすくめつつ、透破頭はあっけらかんとした声で言う。
「そう考ゆっと、カマキリも良か仕事をしてくれた。流石に我らだけでブロンダン殿を拉致すったぁ、なかなかに難儀やったでね」
「……」
私は思わず顔をしかめてしまった。どうやら透破頭は、乱暴な手段を使ってでもブロンダン殿に"天の劫火"の使用を強要するつもりのようだ。この女のこういうところは、正直言って私は嫌いだった。
……まあしかし、外道なのは私とて同じだ。所詮は同じ穴のムジナに過ぎぬということだろう。文句を言う気にもなれず、私は黙り込むことしかできなかった。
「ブロンダン殿を発見しもした! 幸いにも、まだ殺されてはおらんようにごわす!」
そこへ、透破の一人が走り込んできた。彼女の言葉に私はほっと胸を撫でおろしつつ、詳細な報告を聞く。どうやら、ブロンダン殿は我々の現在位置からそう離れていない場所であのカマキリに捕らえられているようだ。
「それと、白かハト鳥人のような者がブロンダンどんと一緒におったげなとじゃが……」
「ハト鳥人?」
私の知る限り、この半島にはハト鳥人は住んでいない。おそらくは、例の星導教とかいう宗教の坊主だろう。ブロンダン殿を助けにきたのだろうか? ……まあいい、やることはかわらん。
「そん白ハトはおそらくリースベン勢ん斥候じゃな。連中に奪わるっ前に、ブロンダン殿を回収せねばならん。透破衆を集合させぃ」
テキパキと指示を出し始める透破頭。私は一瞬だけ考え込み、そして追加で命令を出した。
「制御できぬ兵器など、有害無益なだけだ。物のついでに、あのカマキリもここで始末しておくべきだろう。やれるな?」
「かっ乱程度ならともかっ、討伐となっと少々難しかどん」
眉間にしわを寄せながら、透破頭は難色を示した。むろん、そんなことは私にもわかっている。カマキリ虫人の戦闘力ははっきり言って異常だ。いかに優秀な透破たちでも、そう簡単に倒せる相手ではない。
「……いや、たしかにヴァンカどんのゆ通りか。カマキリはここでチェストすっ」
だが、透破頭はすぐに私の意図に気付いたようだ、すぐに表情を改め、部下たちに命令を出し始める。なまじの戦力ではあのカマキリは倒せない。すべての透破を動員し、一丸となって戦いを挑む必要があった。
……まあ、私が本当に始末したいのは、カマキリではなくエルフの透破どもだがね。ブロンダン殿が見つかった以上、あの透破どもももう用済みだ。せっかくなので、あのカマキリに全員処刑してもらおう。
「お頭、カマキリをチェストすっち聞いたとじゃが、真やろうか? 少々相手が悪かごつ思うどん……」
集まってきた透破の一人が、不安げな表情でそんなことを言う。勇猛果敢を是とするエルフの戦士がこのような弱音を吐くというのは大変に珍しいことだ。しかし、カマキリ虫人はエルフのぼっけもんをして"もったいなかカマキリ"から逃げるのは恥ではない、とまで言われる相手である。不安を覚えるのは当然のことだろう。
「ないを怯えちょっど、こん俺は、あんカマキリとそん母親をたった一人で倒しちょっど。同じことを貴様らができんはずがなかじゃろう」
「そ、それもそうでごわすな! 忘れたもんせ」
顔を赤くしながら、透破は納得した。実際、あのネェルとかいうカマキリ虫人を捕獲したのはこの透破頭だった。さらにその時の戦いでは、ネェルの母親も同時に倒すという大金星をあげている。
……もっとも、実際は毒餌やだまし討ちといった卑劣な戦術を駆使したうえでの戦果なので、決して誇れるようなものではないがね。しかも、今回は当時のような策の仕込みはしていないため、平押しで戦うほかない。
そんな裏事情ことなどおくびにも出さずに部下を騙して死地に向かわせるのだから、この女は本当に恐ろしい。まあ私も人のことをどうこう言えた義理ではないのだが。
「よろしか。……そいでは、俺も行たっきもんで。生きちょったらまた会いもんそ、ヴァンカどん」
そう言って一礼してから、透破頭は部下たちを伴って先行していってしまった。わたしも足を急がせるが、子を成して加齢の始まったこの身体では現役のぼっけもんたちにはついて行けぬ。あっという間において行かれる羽目になった。
「はあ、はあ……」
私が目的地にたどり着いたころには、すでに戦いは始まっていた。森の中には濃霧めいた煙幕が漂い、前方からは耳を覆いたくなるような悲鳴が響いている。呼吸を整えながら周囲をうかがっていると、やがて煙幕の中から人影が現れた。
「ブロンダン殿!」
安堵のあまり、おもわず大声が出た。出てきたのは、透破頭に手を引かれたブロンダン殿(とハト鳥人)だった。どうやら、五体満足のように見える。甲冑も壊されていないから、貞操も無事だろう。
よかった、本当に良かった。尊厳を凌辱された男がどうなってしまうのか、私は知っている。私のせいでブロンダン殿が我が夫と同じ運命をたどることになってしまうなど、とても容認できるものではなかった。
とはいえ、窮地は脱していない。どうやら、透破頭が不埒なことを考えている様子だからな。ヤツが妙なことをしでかす前に、なんとかブロンダン殿を逃がしてやらねば……。
「無事でよかった。さあ、こっちへ……」
そう言った瞬間のことである。ブロンダン殿の手が稲妻めいた速度で動き、腰のホルダーから何か鉄の塊を引き抜いた。そしてパンという乾いた音が響き、私は腹に猛烈な衝撃を受けて倒れ伏す羽目になった。
「何、が……」
呻きつつ、腹に手を当てる。いつの間にか、私のポンチョは血で真っ赤に染まっていた……。




