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第332話 くっころ男騎士と間一髪

「なにも、命まで、取ろうという、訳では、ないのです。腕を、一本くれたら、我慢、できるのです。ね? 食べさせて、くれませんか?」


 カマキリ娘ネェルは、ずいずいと身を寄せながらそんなことを言ってくる。狂暴な肉食獣のような目つきで僕の腕を見てくる彼女には、本能的な恐怖を感じざるを得なかった。


「いや、ちょっとそれは、勘弁してほしいというか……」


 僕は冷や汗をダラダラと流しながら、後ずさりした。僕の戦闘スタイルを考えると、例え利き腕でなくとも片腕を喪失すれば剣士としては死んだも同然である。そう簡単には頷けないし、そもそも本当に腕一本で済むのかという問題もある。

 ネェルの恐ろしい形状の口からはヨダレが垂れ流されており、一歩間違えれば頭からバリバリと食べられてしまいそうな気配を感じる。めっちゃ怖い。


「もちろん、タダとは、言いません。ネェルは、文化的な、ニンゲンなので、取引の、意志が、あります」


 訳の分からないことを言い出すネェルを視線で牽制しつつ、僕はここからどうやって逃れるかを考えた。戦う? 勝てる確率はたぶん一パーセント未満だ。武器も技量も筋力も足りない。逃げる? このカマキリ娘は明らかに僕より足が速いし、空まで飛べる。徒歩で逃げだすのはまったく現実的ではない。

 というか、運よく逃げ切れたところで待っているのは遭難なんだよな。僕は今自分がどこにいるのかすらわからないし、正確な地図も方位磁針も手元にはないからな。そんな状態で原生林を突破して無事に陣地に帰りつけると考えられるほど、僕は楽天的ではない。


「今後、ネェルが、アナタの、片手の、代わりに、働きます。それで、どうですか?」


 そんなこちらのことなどお構いなしに、ネェルは自らの腕……つまりは鎌をこれ見よがしに掲げながら、そのような提案をしてくる。


「ネェルの、腕は、アナタの、腕の、十倍くらい、パワーが、あります。一対十の、取引です。大変お得! もってけドロボー! 的な?」


「腕の性能評価基準はパワーだけじゃないのよ!?」


 彼女の鎌のデカくて物騒な鎌は見た目よりもはるかに器用な様子なのだが、それでも鎌は鎌。あのような形状では剣を握ることもマスを掻くこともできない。申し訳ないがノーセンキューって感じだ。


「アルベールくんは、チョー強い腕と、強力な戦力が、手に入ります。ネェルは、美味しいご飯と、永久就職先が、手に入ります。ウィンウィンの、取引です。ぜひ、ぜひ、ご決断を」


「ナチュラルにウチに永久就職しようとするんじゃねえよ!」


 いやもう、どうするんだよこれ。実はマンティスジョークでしたー、とか、言ってくれないかな? ……そういう気配、全然ないわ。完全にガチトーンだわ。めっちゃ捕食者の眼つきで僕を見てるわ。ウオオオン……

 自己申告が事実なら、彼女は一週間ほど絶食しているらしい。そりゃまあ、死ぬほど腹ペコだろうね。しかもほんのさっきまで兵隊相手に大立ち回りしてたわけだし、そろそろ限界だろう。ギリギリ会話が成立してるのは、もしかしたら奇跡的なことなのかもしれん。


「これは、脅しでは、ないのですが。空腹が、限界に達した、カマキリ虫人は、危険ですよ? 手遅れに、なる前に、腹を満たして、おいた方が、安全です」


 マジな目つきでそんな物騒なことを言うのはやめてくれ! めっちゃ怖いから! ……いやまあ、飢餓状態になった人間が共食いを始める……というのはカマキリ虫人だけの専売特許ではないがね。

 漂流・遭難が日常茶飯事だった大航海時代などでは、人肉食事件などはまったく珍しくなかったという話である。問答無用で捕食してこないだけ、ネェルはまだ理性的かもしれない。それにしても、だがなあ……。


「……」


 僕は深く考え込んだ。マジで腕一本で済ませてくれるというのなら、もういっそくれてやってもいいかもしれない。とにかく、今の僕には時間がないのだ。可及的速やかに戦線復帰せねば、部下たちに大変な迷惑をかけてしまう。……いやまあ、迷惑は既にかけているんだろうが。

 ソニアたちは大丈夫なのだろうか? 指揮権の引継ぎはスムーズにできたのか? 乱戦の真っ最中であろうエルフ兵は……心の中に、心配事がいくらでも湧いてくる。こんな場所でくだらない問答をしている暇があったら、さっさと陣地に戻りたい。だったら……ネェルの案に乗るというのも、アリ……か? 隻腕でも、指揮官としての仕事はできるしな。


「…………ひとつ、聞きたいんだ」


「アッ!」


 僕が意を決して、ネェルに話しかけた瞬間だった。彼女は空を見ながら小さく声をあげ、そして翅を広げて突然走り出した。暴風と土煙を上げながら、ネェルは離陸する。突然のことにあっけに取られていると、上空から「ぎゃあ!」という悲鳴が聞こえてきた。


「喜んで、ください。大きなハトを、捕まえました。これでもう、アルベールくんの、腕を食べる、必要は、ありません」


 地響きを立てながら着陸してきたネェルが、満面の笑みを浮かべながらそんなことを言う。彼女の鎌には、青白の司教服を纏った翼人の少女が挟まれていた。


「みぎゃあああ! 食べないでぇ! 助けてパパァ!」


「フィオレンツァ様!?」


 泣き叫ぶ少女の顔を見て、僕は腰を抜かしかけた。僕の幼馴染にしてガレア宗教界の重鎮、フィオレンツァ司教である。彼女には、退避壕に避難した男子供の世話を頼んでいたハズなのだが……いったいなぜこんなところに?


「もぐもぐ、あむあむ。おいしー!」


 それから十分後。ネェルはホクホク顔で食事を楽しんでいた。むろん、食べているのはフィオレンツァ司教ではない。レンガにそっくりな形状の堅焼きビスケットやベーコンなどといった、ごく一般的な保存食である。


「いやはや、なんとか間に合いました。本当に良かったです」


 首から吊り下げた大きなカバンからビスケットのお代わりを取り出しつつ、フィオレンツァ司教が言う。これらの食料は、すべて司教が持ってきてくれたものだった。


「彼女がこちらの陣地へ突撃してきたとき、わたくしは直感したのです。ああ、これはそうとうお腹が減っていらっしゃるな、と……。アルベールさんが食べられてしまう前に、なんとか別のモノでお腹を満たしてもらおうと思いまして。手近にあった食べ物をカバンに詰め込んで、慌てて飛んできたのです」


「流石の判断力ですね……感服いたしました」


 本心から司教を賞賛しつつ、僕はなんども頭を下げた。いやあ、本当に助かった。あのまま行ってたら、間違いなく僕は片腕を失っていたからな。間一髪、食料の配達が間に合ったわけだ。いくら感謝してもしたりない。


「いやー、おいしー、ですね。ニンゲンより、ウマーい。こんなの食べられるなら、ニンゲン狩りなんて、馬鹿らしくて、やってなれない、デスネー」


 ビスケットをバリバリとかみ砕きつつ、ネェルがそんなことを言う。……あのビスケット、大型獣人ですら咀嚼に難儀するほどカチカチなんだけどな……凄まじい顎の力だ。アレが僕の肉体に向けられる可能性があったと思うと、大変に恐ろしい。本当に司教が間に合って良かった……。


「あは、あはは……それは善かったです。……ハァ」


 引きつった笑みで頷いたフィオレンツァ司教は、ひっそりとため息をついた。危うく食われかけたモノだから、すっかりネェルに苦手意識を抱いてしまっている様子である。


「約束通り、コレを食べ終わったら、陣地に、帰してあげます。ご飯の、お礼に、エルフの、駆除も、手伝いますよ。一宿一飯の恩義、的な?」


「あ、ありがとう」


 とにかく空腹が限界だったというネェルの言葉は本当だったようで、彼女の態度はすっかり軟化していた。話が早すぎてちょっと面食らうレベルである。エルフたちとの交渉では、あんなに難儀したのになあ……。正直複雑な気分である。


「ただ、僕としてはエルフどもの殲滅を目指しているわけではないんだ。もっと穏当に済む作戦を考えてある。良ければ、ネェルにはそっちの方に協力してもらいたい」


 まあ、せっかく協力すると言ってくれているのだ。有効活用させてもらおう。エルフからもアリンコからも畏れられるカマキリ虫人の存在は、僕にとっても都合が良い。彼女が協力してくれるだけで、僕の作戦の成功率はグンと上がるだろう。


「えー、エルフ狩り、したいんですけど。アリンコは、どうでも、いいですけどねー」


「ええ……」


 ところが、ネェルの返答はどうにも色よいものではなかった。明らかに不満そうな様子で、バリバリとビスケットをかじっている。


「ネェルは、エルフ、嫌いです。生理的にムリ、的な? あんなの、絶滅したほうが、世のため、人のため、ですよー」


「そうは言ってもだね、これ以上の戦乱は……」


 ネェルを説得しようと、僕が口を開いた時だった。突如として、我々の方に何かが飛んできた。地面に転がったそれは、泥団子のような物体であった。団子状のソレには導火線が差し込まれており、シューシューと音を立てながら火を噴いていた。


「グレネード!」


 反射的にそう叫びながら、フィオレンツァ司教を抱きしめつつ地面に伏せる。ほとんど反射的な行動だった。次の瞬間、泥団子は間抜けな音を立てて破裂した。爆発はしなかったが、その代わりに内部から大量の煙が噴射される。周囲はあっという間に濃霧めいた煙幕に包まれた。


「おや」


 冷え冷えとした声で、ネェルが何かを呟く。しかし、煙幕のせいでその表情は見えなかった。僕はフィオレンツァ司教を庇いつつ、慎重に立ち上がって周囲をうかがった。もちろん、姿勢は低くしておく。敵の出方がわからない以上、伏せ続けるのも姿勢を高くするのも危険だ。


「び、びっくりしました。これは……一体何が起こったのです?」


「不明です。ですが、おそらく味方ではありません。ご注意を」


 投げ込まれた発煙弾は、リースベン軍で採用されているモノとは形状も煙の出方も異なっていた。こんなものを使う手合いといえば、おそらく……。


「お助けにあがりました。こちらへ」


 その時、何者かが僕の腕をぐいと掴んだ。面食らう僕に構わず、手の主は強引に我々の腕を引っ張って走り始める。……煙が目に染みてよく見えないが、手の主は覆面を被ったエルフのようだった。

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