第331話 くっころ男騎士と人食いカマキリ
カマキリ娘は思ったより話の通じるヤツだったが、それはそれとして僕の貞操を狙っていた。その上確かに会話は成立するが人食いカマキリであることには変わりなかったのである。僕のピンチは継続中だった。
「い、いや、その……僕ってばお仕事あるから、ね? すぐ戻らなきゃいけないっていうか、ホラ、その……帰してくれないかなーって」
僕は脂汗をにじませながらそう弁明した。普段なら『くっ、殺せ!』などと言って相手の油断を誘うところなのだが、このカマキリにそんなことを言った日には『オッケー、じゃあいただきまーす!』ということになりかねない。口に出す言葉は慎重に吟味する必要があった。
「そうですか。では、致し方ありませんね。ネェルは、文化的なニンゲンなので、無理強いはしません」
「エッ」
ところが、カマキリ娘の返答は予想外のものだった。彼女は僕を地面に下ろし、ニコリと笑う。
「あの、その……いいの?」
「いいですよ、どうぞお好きに」
こっくりと頷くカマキリ娘。
「ただ、一つ、忠告が、あります。いまのネェルは、お腹がペコペコです。目の前に、獲物が歩いていたら、即座に飛び掛かります。……ところで、ツガイでもない男って、単なる獲物、ですよね? あなた、とても、美味しそうです。飛んで火にいる夏の虫、的な?」
「直球の脅迫じゃないか!!」
僕は思わず叫んでしまった。つまり、ツガイにならないのなら殺して食っちまうぞということである。なんだこのカマキリ娘は、やりにくいったらありゃしないぞ!
「冗談です。マンティスジョーク」
「冗談かよ!」
「冗談です。うふ、たぶんね? でも、あなたが、美味しそうなのは、本当ですが。……なので、食べられたくなかったら、もっとご飯を、寄越すのです」
「……うぃっす」
なんだかなあ、なんだかなあ……調子狂うなあ、一筋縄ではいかない相手だろうと思ってたが、厄介さの方向性が予想してたのと全然違うタイプなんだけど。
まあ、何にせよ食われるのは勘弁願いたい。僕はポーチから鶏肉の缶詰を取り出した。非常食として、いつも常備しているものだ。銃剣の鍔に装備されているカンキリを使って手早く開封し、カマキリ娘に手渡してやる。
「見たことの無い、食べ物、ですね? ふむふむ、あむあむ……食べにく……あ、でも、おいしー。あむあむ」
大ぶりかつ凶悪な形状の鎌を器用に使いつつ、カマキリ娘は缶詰の中身を食べ始めた。なんだか猛獣に餌付けしているような気分だ。
「ところで、あなた。さっき居たところへ、帰りたい、ですか? 本当に、帰してあげても、良いですよ。……あむあむ」
「えっ、マジですか」
そっちは冗談じゃなかったのか。……だったら、最初から拉致なんて真似はしないでほしかったんだが?
「しかし、条件が、あります。あむあむ。タダというわけには、ね? ネェルも、生きていかねば、ならないので」
「う、うん。条件、ね。どんな内容だろう?」
人を攫っておいて「帰してほしくば条件を……」などと言い出すのはどう考えても誘拐犯のやり口だが、僕はあえて指摘しなかった。交渉が成立しているだけでも驚きなのだから、あえて相手の機嫌を損ねることはあるまい。
「ひとつ。今後も、定期的に、ご飯をください。この地には、まともな獲物がいません。狩猟だけで、生きていこうと思えば、人間を狩って、食べるほか、ありません。ですが、ネェルは、文化的なニンゲンなので、そのような、面倒……もとい、残虐な真似は、できません。食っちゃ寝できる状況を、望みます」
「アッハイ」
そりゃそうだね、ウン。リースベンって、マジで野生動物が少ないからね。狩猟生活のみで、この巨体を維持するのはムリだろ。だったらもう人間を食うしかないというのは、ワカル。いや人食いはやめてほしいが、生きるためならなんでもやるのが人間という生き物だからな。
しかしリースベンの為政者としては、人間狩りなんて真似は絶対に許せん。でも、力づくでそれをふせぐのは、ちょっと難しいんだよな。カマキリ虫人って、空飛ぶ装甲車みたいなもんだし。現状の装備と兵力では、討伐に成功したとしても多大な被害を伴うのは間違いない。そんなことになるくらいなら、食料を渡して飼い殺しにしたほうがコスパはいいだろう。
「ふたつ。ネェルは、アナタとお友達になることを望みます」
「お友達」
「ハイ。本当なら、夫婦が良いのですが。しかし、すぐには、受け入れがたいでしょう。なので、妥協案です」
わあお、やっぱり僕の貞操が狙われてるじゃないか! ……でもお友達から始めようとするあたり、力づくで婿取りをしようとしてくるエルフどもよりよっぽど文化的だな! エルフどものモラルは人食いカマキリ以下かよ。頭が痛くなってきたな……
「……無理やり手籠めにはしないんだな」
「無理やりは、本当に、良くないので。知人に、強引な結婚をして、死ぬほど後悔する羽目になった、おばさんが、いるのです。反面教師、的な?」
「あ、そう」
それ、もしかしてヴァンカのことかね? ……死ぬほど後悔、ねえ。もしかしたら、彼女がエルフ殲滅を最終目標に置いているのも、夫婦間の軋轢が原因だったのかもしれないな……。
「いや、しかしなあ。なんというか……」
別にこの娘と同行なる気はさらさらないが、ツガイを食べてしまうような習性のある種族と仲良くするのは正直かなり怖い。僕が何とも言えない顔で唸っていると、彼女は「……ん?」と小首をかしげた。
「もしかして、さっきのアレ、真に受けてます? 本能云々のアレ」
「え、いや、その、まあ、うん……」
「アレも、マンティスジョーク、ですよ? 確かに、我々は、食欲と性欲が連動している、生き物ですが。交わるたびに、お相手を食べていたら、アッと今に、種族絶滅ですよ。男の人、貴重なんですから」
「……よく考えたらそりゃそうか」
この世界においては、男性は本当に貴重な存在だ。軽々に殺していたら、あっというまに己の種族も絶滅してしまう。だからこそ、どんな蛮族でも男だけは保護するのだ。
「まあ、母が、父を、食べてしまったのは、本当ですが」
「本当なのかよ!」
僕は思わず叫んだ。この娘と話していると、血圧の乱高下でクラクラしてくるから困る。
「ほかに、食べるものが、無くてですね。母が、止めるのも聞かず、父が、火中に身を投げて……ウウム、お腹ペコペコなのに、食欲が、失せてきましたよ? アハ、不思議、ですね?」
「……」
いきなり超重量級のエピソードを投げつけてくるのはやめてくれ、受け止めきれない。僕が青い顔をしていると、カマキリ娘はこほんと咳払いした。
……しかしこのマンティスジョーク、いったいどこまでがジョークなんだろうか? 冗談めかしてはいるが、わりと真実が混じってそうでコワイ。こうやってこちらをゆさぶり、交渉を優位に進める腹積もりなのだろうか? だとすれば、この娘はかなりの頭脳派なのは間違いない。
「そういうわけで、ネェルは、比較的、安全な、ニンゲンです。安心して、友達に、なってください」
「いや、しかしだね……」
それとこれとは話が別である。僕が難色を示すと、カマキリちゃんは鎌を軽く振っていった。
「もちろん、タダでとは、いいません。ネェルは、文化的なニンゲンなので、取引だって、できるのです。条件を、飲んでくれるなら、エルフや、アリの、駆除……手伝いますよ?」
空っぽになった缶詰を投げ捨てながら、カマキリ娘は言う。コラコラ、ポイ捨てはやめなさい。
「君、ヴァンカ陣営の人間だろ? 裏切るって事か?」
「あいつら、ロクな手合いじゃ、ないですよ。子供だった頃のネェルを、誘拐するし。攫っておきながら、ご飯も、ロクに、出さないし。裏切る、というか……復讐、的な?」
わあお、少年兵みたいな経歴だな。ヴァンカもえっぐいことをしやがる。やっぱあの女許せないわ。
「ネェルは、リースベン軍? とやらと、正面からぶつかり合って、そのまま、あなたを、拉致できるくらいには、強いです。味方に、しておいた方が、得だと、思いますけどね?」
う、うわあ、もしかして僕の誘拐って、交渉を優位に進めるためのデモンストレーションだったの? 思った以上に頭が回るな、この子。正直、そんな真似するくらいなら、最初から平和な形で接触してほしかったんだけど。
……いや、ムリか。口枷のせいで、会話不能だし。しかも、このカマキリ娘は見た目が怖すぎる。だからこそ、僕だって近寄ってきた瞬間迎撃を命じたわけだし。……ううーん、真っ当な方法で交渉を求めるのは、無理だったわけか。情状酌量の余地はあるな……。
「そうかもね。……しかし、ひとつ聞いておきたい。二つ目の条件、あれは友達になるだけでいいんだよな? それ以上はちょっと……僕にも立場があるので、即決は難しい……わけだけども」
僕としては、相手の条件を丸のみしても早い所戦線復帰したいところであった。作戦の真っ最中、しかも詰めに入る直前で、指揮官が離脱する。なんとも悪夢めいた状況だ。リースベン軍はさぞや混乱しているに違いない。
本当ならこんなところで遊んでいる暇はないんだよ。力関係が相手有利に過ぎるから、冗長な会話にも付き合わざるを得ないんだけどな。まあ思った以上にカマキリ娘が愉快な手合いだったので、会話すること自体はちょっと楽しくなってるんだが。
「いいですよ、今のところはね。ネェルは、話の分かる、ニンゲンなのです」
ふんすと鼻息を荒くしながら、カマキリ娘は頷いた。おかしいな、エルフを相手にしてた時よりもスムーズに交渉が進んでるだけど。いやまあ、エルフは集団でカマキリちゃんは個人だから、一概には比べられないんだが。しかしそれにしても……。
「いいだろう、条件を飲もう。……お友達になるなら自己紹介が必要だな。僕はアルベール・ブロンダン。騎士デジレ・ブロンダンの息子にして、リースベン城伯。……まあ、よろしく」
「ネェルは、ネェルです。不束者ですが、末永く、よろしくお願いします」
「それ完全に結婚の挨拶だろ! お友達だって言ってるじゃねえか!」
僕が思わず叫ぶと、ネェルはくすくすと笑った。ひどく楽しそうな笑顔だった。
「マンティスジョークです。いやはや、楽しいですね。ニンゲンらしい、おしゃべりは。エルフどもは、ネェルを、バケモノ扱い、してたので。こういうの、ぜんぜん、ありませんでした。とても、退屈、でしたよ?」
「……なあに、おしゃべり程度なら、飽きるまで付き合ってやるさ。作戦が終わったらな」
「ありがとうございます」
そう言った瞬間である。ネェルのお腹から、大きな音がした。彼女は少しだけ頬を赤くして、鎌の先端で頬を掻く。
「……それにしても、お腹が、減りました。正直、クラクラしてます。一週間ちかく、水しか、飲んでないので」
「ええ、そんなに……」
ヴァンカも無体な真似をする。僕は思わず顔をしかめてしまった。この半島の住人は、本当に誰もかれもが腹を減らしているな。リースベンを安定統治するには、やはり食料の供給量を増やすほかない。戦争が終わったら、農業政策や食料政策を見直す必要があるだろう。
「陣地に帰ったら、腹いっぱい食べさせてあげよう。それまで頑張ってくれ」
我々だって決して食料に余裕があるわけではないのだが、そろそろジルベルトに率いられたリースベン軍本隊が到着しているころ合いである。ジルベルトには十分な量の糧食を準備してから出陣するように命じておいたから、この娘の腹を満たしてやるくらいの余裕はあるはずだ。
「おや、それは、楽しみですね。しかし、このままでは、アルベールくんを、元の場所に戻して、あげられるだけの、体力が、ありません。途中で、力尽きて、しまうでしょう。もうちょっと、ご飯を、ください」
「……え? いや、その……もう、無いんだけど」
「何が?」
「食べ物……」
なにしろ僕は、本陣で指揮を執っている最中に拉致されたわけだからな。当り前だが、十分な食料など持っているはずもない。缶詰を持っていただけでも奇跡のようなものなのだ。
「それは、本当ですか?」
「本当です」
「……」
「……」
「じゅるり」
「人の方を見てよだれを垂らすのはやめてくれないか!!」
背筋に寒いものが走り、僕は思わず叫んでしまった。ネェルの眼つきが、明らかに獲物を狙う捕食者のモノへと変わったからだ。
「腕一本、腕一本で、かまいません。食べさせて、もらえませんか? ネェルはもう、お腹が空きすぎて、ケモノに、なってしまいそうです。理性の、残っている、今のうちに……何か、食べさせておくべき、ですよ? ケモノに、なったら、全身、食べちゃうので」
牙をギチギチと鳴らしながら、ネェルは顔を寄せてくる。その目には、冗談の色などまったく含まれてはいなかった。お得意のマンティスジョークではないようだ。……いくら話が通じても、人食いカマキリは人食いカマキリってコト? ヤ、ヤダー! 喰われる!!




