第329話 盗撮魔副官の焦り
わたし、ソニア・スオラハティは焦っていた。アル様が、あの緑色のバケモノに連れていかれてしまったからだ。
「そ、捜索隊だ! 捜索隊を組織せよ!」
まさか、このわたしが鎧袖一触にやられてしまうとは。むろん相手は巨大な化け物である。容易に勝てるとは思っていなかった。しかし、ここまで一方的だとは思ってもみなかった。わたしを無視してアル様へと矛先を映した時のカマキリの目つき……あの『まあ、こいつは放置してもいいか』くらいの興味なさげな目! あまりに屈辱的だった。
しかし、事実としてわたしはあのカマキリにかなわなかった。その結果がこれだ! さらうなら、わたしを攫えばいいものを、あのカマキリめ……ああ、自分もあのカマキリも許せない!
「ダライヤ! 奴が人間を攫うのは、喰らうためなのか?」
「う、うむ……あのカマキリどもは、女はその場で貪り食うのじゃが……男は落ち着ける場所へ連れ帰ってから、じっくりと喰らう習性がある、と言われておる。一説によれば、交尾をしつつ捕食するためだとかなんとか……」
「……ッ!」
なんとおぞましい生物だろうか! そのような手合いによりにもよってアル様を奪われてしまうなど、わたしは何をやっているんだ! 我慢できなくなり、手近にあった椅子を蹴り飛ばしてしまう。
せっかく手元に少なくない数の鳥人がいるのだ、何名かに追跡を命じれば良かったのだが……状況があまりに混乱していたため、その期を逸してしまっていた。
しかも鳥人自身、ふいのカマキリとの遭遇で腰を抜かしてしまったものが多かったのである。どうやら、リースベンの原住民たちにとっては、あのカマキリは本能的な恐怖を呼び起こす存在らしい。スズメにしろカラスにしろ、尋常な怖がりようではなかった。
「気持ちはわかるが、少し落ち着け! ソニア殿。あやつは口枷を付けておった、そう簡単に捕食されることはないじゃろう。時間的猶予はある!」
ダライヤの言葉を受けて、わたしの脳裏にあの忌まわしいカマキリの顔が浮かび上がってくる。たしかに、あのバケモノは頑丈そうな口枷を付けられていた。あのような状態では、人間を喰らうなどまず無理だろう。
しかしいったい、アレはなぜ口枷などつけられていたのだろうか? ……考えるまでもない、兵器としてコントロールするためだろうな。これがヴァンカの考えた作戦だとすれば、わたしはあの女を許すわけにはいかない。思いつく限りもっとも残虐な方法で殺してやる。
「……しかし、口を封じられていても、男女の交わりは可能だろう! あのような化け物にアル様の貞操が奪われるなど……!」
ああいう男を攫う化け物は、えてして強引に男を"その気"にさせてしまう手段を持っているものだ。たとえば媚毒であったり、精神をかき乱す類の魔法であったり……。アル様の意志は鋼のように固いが、それでも毒牙にかける方法はあるということだ。
むろん化け物に貞操を奪われた程度でアル様に対するわたしの愛はいささかも欠けるところはないが、問題は心の傷である。あのような化け物に犯されれば、トラウマになるのは間違いない。
「た、確かにその通りじゃ……ウムム……」
唸るダライヤから、わたしは視線を外した。周囲の兵士や騎士どもの動きが、どうにもノロノロとしているように見える。何をダラけているんだ、早くアル様を見つけ出せるように動け! そう怒鳴りつけようとした時だった。
「ソニア様! ジルベルト様が到着されました! 部隊を副官に任せ、騎兵のみ先行してこられたようです!」
伝令兵が飛び込んできて、そう報告した。……ジルベルトが着いたか。もう少し早く来てくれていれば……いや、今さら言っても詮無いことか。とにかく、人手が増えるのはありがたい。ヤツにもアル様の捜索を手伝ってもらおう。そう考えたわたしは、すぐにジルベルトを呼んでくるように伝令兵に命じた。
それから十分後。指揮壕にジルベルトらがやってくる。護衛として、数名の騎士たちが彼女の周りを固めていた。
「ジルベルト! 遅かったじゃないか! 話は聞いていると思うが、アル様が化け物に攫われた。可及的速やかに救出せねば……」
「ソニア様」
ひどく抑制の効いた声で、ジルベルトはわたしの言葉を遮った。
「指揮の引継ぎもせず、貴方は何をやっているのですか?」
ジルベルトは前線を指さしながらわたしを睨みつける。そこでは、混沌とした戦いが続いている。指揮本部がマヒ状態に陥っているため、統制だった動きが出来ずにいるのだ。
「貴様、なんだその態度は! わかっているのか!? アル様が化け物に……」
「それは存じております」
「じゃあどうしてそんなに落ち着いていられるんだ!」
カッとなったわたしは、思わずジルベルトに掴みかかった。しかし彼女は冷たい目つきでわたしを睨みつけるばかりで、表情さえも変えようとはしない。
「指揮官は、いついかなる時も動揺を表に出してはいけない。主様が常日頃おっしゃられていることです。忘れましたか?」
「……」
確かにその通りであった。わたしがおもわず黙り込むと、ジルベルトはこちらの胸倉をぐいと掴んでひっぱる。そして顔を寄せ、小さな声で言った。
「わが軍の次席指揮官はあなたです、ソニア様。主様が戦線を離脱された以上、部隊の掌握は貴方の仕事なのです。何をさぼっているのですか?」
「貴様!」
わたしは思わず、ジルベルトを殴りつけた。彼女の身体は軽く三メートルは吹き飛び、水しぶきを上げながら地面に転がる。殺気立ったプレヴォ家の騎士たちがズイと前に出ようとしたが、ふらふらと立ち上がったジルベルトがそれを手で制する。
「今のような状況は、演習で何度も繰り返し訓練していたハズ。指揮官が何度戦死しても戦い続けられる組織を目指せ、アル様は繰り返しそうおっしゃられていました。にもかかわらず、その想定が現実になった途端にこの体たらく! 貴方の行動は主様を愚弄している!」
ジルベルトの言葉に、わたしは頭をハンマーで殴られたような心地になった。指揮官が戦死し、次席指揮官がそれを引き継ぐ……そういうシチュエーションは、演習で何度もやった。本当にしつこいくらいにやった。
そのたびにわたしが次の指揮官をやらなければならないものだから、少々辟易した。むろんわたしとて指揮の心得はあるが、アル様の方が明らかに指揮官としては優れているのである。わたしは副官としての仕事に専念したほうが効率が良いだろう。そう思っていた。
わたしが御身をお守りするのですから、アル様が戦死されるなどということはあり得ません。そんな風に、文句を言ってしまったことも一度や二度ではない。……しかし結果はこのざまだ。
「わたしは、わたしは……」
「主様は、貴方のことを最高の副官だと賞賛していたのですよ! そのあなたが無様を晒せば、主様の名誉をも汚すことになります! 部下たちがまだ戦っているというのにそれも気にせず右往左往しているような輩が、本当に主様にとっての最高の副官なのですか!?」
「……」
……その通りだ。確かに、アル様のことは心配である。だが、だからと言って指揮を放棄するのは論外である。アル様がいない以上、この場の総責任者はわたしだ。士官としての義務を果たさねばならない。
「……すまない、ジルベルト。わたしが間違っていた」
わたしは兜を脱ぎ、ジルベルトに歩み寄った。そして彼女の怒りに燃える目を真っすぐに見つめ、言う。
「頭を冷やしたい。悪いが一発殴ってくれ。全力でな」
ジルベルトは無言でわたしの顔面をぶん殴った。体重百キロを超える……というか、甲冑のぶんを合わせれば百五十キロを遥かに超えるであろうわたしがふっとんだのだから、凄まじい一撃であった。口元から垂れる血を拭いつつ、わたしは思わず笑ってしまった。
「……失礼いたしました」
「いやいい、注文通りだ。おかげで頭がすっきりしたよ」
差し出されたジルベルトの手を取りつつ、わたしは立ち上がった。そして甲冑についた泥を拭いながら、彼女に言う。
「とりあえず、わたしはアル様の作戦計画をもとに指揮を継続する。とはいえ、少々特殊な作戦だ。最後の詰めは、おそらくアル様でなければ絶対に成功しないだろう。これは感傷ではなく、客観的な事実だ」
「はい」
頷くジルベルトに、迷いの色は無い。変更後の作戦……オペレーション・ヴィットルズとやらについては、鳥人伝令を使って彼女にも伝達していた。これは策というよりは詐術に近い特殊な作戦で、はっきりと言えば邪道の類である。はっきり言って、わたしでは実現不可能だ。
「はっきり言えば、この作戦では砲兵以外のリースベン兵にはあまり仕事がない。そこで、ジルベルト。貴様にはリースベン軍の歩兵隊を率いて、アル様の捜索をしてもらいたい」
「よろしいのですか? 上官に対して、このような態度を取る女にそんな重要な任務を任せて……」
「貴様だから任せるのだ、ジルベルト。頼んだぞ、お前にしかできない仕事だ」
わたしはニッコリと笑って、ジルベルトの肩を叩いた。そして表情を引き締め、続ける。
「……そして、万が一の時には……業腹だが、作戦を従来のモノに戻す」
従来の作戦というのは、要するにごり押しで敵軍を殲滅するプランである。はっきりいって作戦ともよべないような強引な代物であり、こちら側の被害も甚大なものとなることが予想されている。できれば取りたくない作戦だが、背に腹は代えられない。
「……何かあったら、すぐに鳥人伝令を飛ばしてくれ」
「……了解」
『アル様の保護に成功した』以外の伝令は、来てほしくないものだがな。しかし、指揮官たるもの最悪の事態も想定しておかねばならない。……これもまた、アル様の受け売りだな。
「ダライヤ、貴様も捜索隊に参加しろ。あのカマキリの生態については、貴様が一番詳しいだろう」
「うむ、相分かった」
腕組みをしつつ、ダライヤは頷く。はっきりいってこの女は信用ならないが、古老としての知識と魔法使いとしての腕前は本物だ。有効活用させてもらおう。
「よし。ではジルベルトはいったん戻って……」
わたしがそう言った瞬間だった。指揮壕に、ひどく慌てた様子の騎士が走り込んでくる。
「た、大変です!」
「……どうした、一体」
うんざりとした心地になりつつ、聞き返す。すると騎士は、真っ青な顔で叫んだ。
「フィオレンツ様が……司教様が、あのカマキリを追いかけて飛んで行ってしまわれましたそうです!」
「……は?」
わたしは、思わず素っ頓狂な声出してしまった。




