第324話 義妹騎士とエルフの流儀
敵のアリ虫人兵は肩同士がくっつくような強固な密集陣を組み、太鼓を打ち鳴らしながらこちらへ接近してくる。とうぜんそんな状態では走るどころか速足になることすら難しいので、その進軍速度はびっくりするほど遅い。
密集してるわ足は遅いわ、もう完全に射撃標的って感じ。大砲が一門でもあれば、気持ちよく吹っ飛ばせそうに見える。でも、悲しいかな私たちの手元にある射撃武器は、残弾の乏しい小銃だけだった。
「ぐっ…こなくそぉ!」
お兄様の前じゃとてもじゃないけど口に出せないような罵声を飛ばしつつ、私は塹壕の中からライフルだけを地上に出して発砲した。肩を叩く衝撃と、弾けるような銃声。ぱっと広がった白煙のせいで標的は確認しづらかったけど、たぶん弾は当たったと思う。でも……。
「あんな格好なのに防御力高すぎでしょうが! ふざけてんの!?」
敵は、誰一人倒れてはいなかった。盾か甲冑辺りに、弾丸が弾かれてしまったんだと思う。胸や腹みたいな急所が丸出しのこっ恥ずかしい格好してるくせに、なんで鉄砲が効かないのよ! おかしいでしょうが!
イライラするけど、文句を言っても状況は改善しない。私は弾薬ポーチから紙製薬莢を取り出し、包みを歯で破って火薬を銃身に流し込む。そしてドングリ型の鉛球を半ばまで銃口に差し込み、包んでいた紙をぺりっと破った。あとは棒で鉛球を銃身に突き込み、銃身の根元に生えたニップルに真鍮のキャップを装着すれば、装填完了。
……本っ当に手間よね、この装填手順。お兄様やジョゼットさんが使っている、後装式? とかいうライフルなら、こんな面倒なことをしなくてもパンパン連射できるのに……。でも、残念なことにアレは貴重な試作兵器だからね。私みたいな下っ端の見習い騎士には回ってこない。
「……っ!」
再び鉄砲と頭だけ塹壕から出して、敵に向かって撃つ。装填にはめちゃくちゃ時間がかかるのに、撃つ時は一瞬だから不条理よね。しかも、相変わらず効いてないし。……いや、当たってないだけ? とにかく発砲の時に出る白煙が凄すぎて、そのあたりさっぱりわかんない。
「ンヒーッ! もう嫌ッスぅ!」
私の隣で、ロッテが半泣きになりながらライフルを撃ちまくっている。だいぶビビってるわね、コイツ。いや、私ももうだいぶ逃げたくなってるけどね。いくら弾丸を撃ち込んでも倒れないアリ虫人はまるで不死身の化け物みたいだし、ひっきりなしに鳴り響いている陣太鼓の音はとにかく威圧的でコワイ。もう、チビる一秒前って感じ。
でも、敵前逃亡なんてもう二度とご免だからね。頭の中でお兄様の身体をめちゃくちゃに弄ぶ妄想をしつつ、なんとか恐怖に耐える。……あーもう、こんなに頑張ってるんだから、戦いが終わったら本当に一発くらいヤらせてくんないかなあ!?
「ぽっと出の癖に本当に厄介ねぇ、あいつらは……」
ライフルに銃剣を装着しつつ、ジョゼットさんがボヤく。騎士隊で一番射撃が上手いと言われている彼女はすでに三人もの敵兵を倒していたけど、とうとう弾が切れちゃったみたい。
私の手持ちの弾薬すべてを渡そうとしたけど、断られてしまった。ジョゼットさんのライフルは後装式だから、私たちが持っている弾は装填できないらしい。不便なものね……。
「迫撃砲さえあれば、あんな奴ら……」
銃身に弾丸を突き込みながら、私はボヤく。あんな密集陣、大砲があれば一方的に勝てるハズなのに……本当に悔しい。
「……みんな、残弾は?」
そんな私を見て薄く笑い、ジョゼットさんは聞いてきた。そして返ってきたのは、「あと一発だけでーす」だの「もう弾切れです」だのといった、絶望的な報告だった。とうとう完全に弾薬を使い果たしつつあるみたい。
「射撃中止。こんな豆鉄砲撃ってても、らちが明かないよ。白兵でなんとかするしかない」
「ウーラァ!」
騎士たちは、やけくそ気味に叫びながら銃剣付きのライフルを掲げて見せる。あー、もう。やっぱりこうなるのねぇ。あんなデカくて強いやつらと、接近戦なんかしたくないんだけどなあ……。
「ロッテ、あんたは私の後ろに隠れてなさい」
弾薬ポーチに手をつっこんだままアワアワしている子分の頭を叩き、私はそう言った。こいつ、射撃の腕は悪くないんだけど、白兵に関してはちょっと……いや、かなり不安があった。
一応、王都に行った時にはデジレさん……お義母様に剣術の手ほどきは受けてたんだけどね。とはいえ、剣の世界は付け焼刃でなんとかなるほど甘い所じゃない。コイツの腕前であの化け物みたいに強いアリ虫人兵に立ち向かうのは、だいぶ無茶だと思う。
「いや、さ、流石にそんな情けない真似は……」
ロッテが何か抗弁しようとしたが、彼女が言葉を言い切る前に上空から何かが降りてきた。スズメ鳥人だ。
「指揮本部からん命令書じゃ! それじゃサヨナラッ!」
スズメ鳥人はジョゼットさんに一枚の紙を手渡し、そのまま飛び去って行った。無言でその書類に目を通したジョゼットさんの眉が、きゅっと跳ね上がった。
「……良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」
「……じゃあ、良いニュースから」
騎士の一人が何とも言えない表情で答えると、ジョゼットさんはニヤリと笑った。
「カルレラ市からの増援部隊が、もうすぐそばまで来てるってさ」
「オオッ!」
「いっよっし! 砲兵隊の火力がありゃ、あんなくっ付いて守ることしか能のない蛮族なんぞ……!」
周囲の騎士たちが、グッと拳を握り締めながら喜びをあらわにする。私も思わずへたり込みそうになるほど安心した。なにしろ、増援には砲兵部隊も含まれているはずだからね。大砲さえあれば、アリなんかもう怖くはない
……怖くは、ないんだけどね。ジョゼットさんの表情が、どうも気になる。あの何とも皮肉げな、苦り切った笑み。しかも、いいニュースの他に悪いニュースもあるって言ってたよね? もしかして、なんかマズイことでもあったんじゃ……。
「……それで、悪いニュースというのは?」
恐る恐る聞いてみると、ジョゼットさんはニッコリ笑っていった。
「増援の到着まで最低でもあと一時間はかかるから、それまで戦線を維持し続けるように……だってさ」
「い、一時間!?」
私は思わず敵の方を見た。アリ虫人兵たちは、後列からさかんに投げ槍を投擲し始めている。細長い槍が、土塁や天蓋に突き刺さって威圧的な音を立てていた。
ここまで接近されたら、もはや白兵戦は避けようがない。ここから一時間持たせろって? いや、ムリムリムリ。弾もないのにどうしろって言うのよ!?
「微妙に間に合ってないじゃないか……! 増援……!」
騎士の一人が、憎々しげに土壁を殴りつける。正直、私も同感だった。どんよりとした空気が、塹壕内に漂う。
「おう、ジョゼットどんはおるか?」
そこへ、数名のエルフがやってきた。"新"の長老の一人だ。何人かのエルフ兵を引き連れ、妙に上機嫌な様子だった。
「どうかされましたか、長老殿」
なんだこんな時に、と言わんばかりの表情で、ジョゼットさんが聞く。その声音には隠し切れないトゲがあった。ジョゼットさんも、このままならない状況に苛立っているようだ。
「命令書は読んだか? 一時間待てば、増援が来っらしいじゃらせんか」
「読みましたが。 ……その一時間をどう稼ぐかが問題なのでしょう、長老殿。大砲は魔法ほど小回りが効きません。乱戦が始まったら、援護射撃は期待できませんよ」
うんざりとした様子で、ジョゼットさんは肩をすくめた。実際その通りで、ひとたび白兵戦が始まればせっかくの砲兵隊は完全な役立たずになっちゃう。味方の大砲に背中から撃たれるなんてカンベンだからね。みんなが落ち込んでいるのも、それがわかっているからなんだけど……。
もちろん増援は砲兵隊だけじゃないけど、今さらライフル兵が増えたところでね。正直、あんまり役に立たない気がする。小銃は全くと言っていいほど聞かないもん、あいつら。
「一時間持たすれば良かとじゃろう? ワシらがないとかすっで安心せい」
「なんとかするって、またいったいどうやって……」
「チャンバラじゃ、チャンバラ。それしか手は無か。ワシらももう矢が無かでな、剣でないとかすっど」
ノコギリのように黒曜石の刃がはめ込まれた恐ろしげな木剣を掲げつつ、長老は言った。周囲のエルフ兵たちも、ひどく楽しそうな様子で頷いている。
「確かにこの状況では白兵戦は避けられないでしょうが……乱戦になったら、大砲は使えないんですよ。まあ、兵力はこちらのほうが多いんですから、正面から戦っても負けはしないかもしれませんが……」
ジョゼットさんは言いよどむ。確かに兵力ではこっちが勝ってるけど、平地ではエルフ兵よりアリ虫人兵のほうが強いって話だからね。そう簡単には勝てないし、戦闘自体が悲惨な消耗戦になるのは間違いない。だから、できるだけ射撃戦でカタをつけようとしてるわけだけど。
「安心せい、前に出ったぁエルフだけじゃ。お前らは後ろを守っちょってくれ」
決断的な口調で、長老はそう言った。
「ワシらがなんとか時間バ稼ぐで、あとは大砲でもあの天の劫火でもなんでん使うてあんド腐れどもを吹き飛ばすど。簡単で確実な作戦じゃろう?」
「そんな都合よく敵だけ狙い撃つような運用はできませんよ! 大砲は!」
話の通じないやつだなあと言わんばかりの口調で、ジョゼットさんが叫んだ。しかしそれを聞いた長老は「わかっちょるわ」と肩をすくめた。
「気にせずワシらごと撃てば良か。簡単なこっじゃ」
「……え? は?」
予想外の発言に、ジョゼットさんは口をあんぐり開けた。しかし、長老は気にせずグイと前に出る。彼女の顔は、ひどく晴れやかだった。とんでもない作戦を語っているのに、どうしてあんな表情ができるのだろうか? 私にはさっぱり理解できなかった。
「後ろには少なくなか数ん男子供がおっど。あん虫けらどもを一兵たりとも通すわけにはいかん。ここで確実に根絶やしにすっ必要があっ。……そんために少々エルフが味方ん攻撃に倒れたところで、そりゃ必要な犠牲じゃ」
「いや、しかし、そんな……」
「気にすっな、ワシらはお前らから見ればクソ年寄りんババアばっかいじゃ。年上から死ぬのが自然の摂理、死んだところでお前らを恨んような情けなかおなごはエルフにはおらん。のう!」
長老が周囲のエルフ兵たちに問いかけると、彼女らは「おう!」と威勢よく声を上げた。その表情からは、死地に赴く悲壮さなど微塵も感じられない。
「男や若造を守って死ぬとがエルフん誉じゃ。こんクソんごたっ時代にこげん晴れ舞台が来っとは思わんやった」
「ワシはもう五百年も生きたんじゃ、そろそろ死に花を咲かせてん良か頃あいじゃ」
配下たちの返答を聞いて、長老は満足げに頷く。そしてジョゼットさんに満面の笑みを向けた。
「それでは、あとは頼みもす。ブロンダン殿には、よろしゅう伝えちょいてくれ。では、さらば!」
それだけ言って、長老は塹壕を飛び出していった。それを皮切りに、塹壕線のあちこちからエルフ兵が鬨の声を上げつつ敵に向かって突撃を始める。……えっ、えっ、ナニコレ、なにこれ!?




