第323話 義妹騎士と接敵
私、カリーナ・ブロンダンは焦っていた。陣地の後ろの方から、戦いの音が聞こえている。敵が坑道を掘って塹壕線を突破したらしい、ということは聞いたが、それ以上のことはわからない。どうにも不安だった。
普段の私はお兄様と一緒に指揮壕で過ごしているのだけれど、敵の攻撃が始まった時はタイミング悪く前線の第一塹壕線に来ていた。お兄様に命じられて、騎士隊のジョゼットさんに書類を届けに行っていたのだ。
「お、お兄様、大丈夫かな?」
思わず、上ずった声が出る。後方から聞こえてくる戦闘音はなかなかに激しく、アリ虫人兵の用いる陣太鼓の音まで混ざっていた。坑道を使って侵入してきた敵の戦力は、なかなか多そうだ。
不安だ。とても不安だ。お兄様の居る指揮壕はかなり厳重に防御されているけど、相手はアリだし穴を掘って強引に突破してくるかもしれない。お兄様は大丈夫だろうか?
私の脳裏に、あの恐ろしい四本腕でムリヤリ押し倒されるお兄様の姿が浮かんでくる。おぞましい。おぞましすぎる。お兄様があのエルフのおばあちゃんとキスをするのですら本当にイヤだったのに、あんな蛮族にお兄様の貞操が奪われるなんて、絶対に認められない。
「ジョゼットさん。わ、私、指揮壕に急いで戻らないと……」
厳しい表情で望遠鏡を覗き込んでいたジョゼットさんに、そう話しかける。ジョゼットさんはお兄様の幼馴染の騎士の一人で、騎士隊の隊長をやっている。
「いや……こういう時に、やみくもに動き回るのは良くない。状況が落ち着くまで、アナタはここにいなさい」
望遠鏡から目を離さないまま、ジョゼットさんはそう言った。
「そ、そんな! でも……」
「四の五の言わない! こんな状況で単独行動してたら危ないでしょ! もし敵に狙われたら、アナタたちだけで何とかできるの!?」
強い口調でそう言われて、私は思わず子分のロッテと顔を見合わせた。私以上に小心者のこのリス獣人は、青い顔で首をブンブンと左右に振る。
……正直なところ、確かにジョゼットさんの言うとおりだった。先日の戦いでは私もあのアリ虫人兵と戦ったけれど、防戦一方に追い込まれてしまった。お兄様やエルフ兵の援護が無かったら、あそこで死んでいたかもしれない。
あの連中は本当に手強い。周囲からの援護が見込めない状態で戦い始めたら、私やロッテ程度では一方的に殺されるだけだろう。認めがたい現実だけど、どうしようもない。
「とりあえずしばらくは、私の指揮下に入りなさい。アル様にはあとで私の方から事情を話しておくから」
「わかりました……」
がっくりとうなだれつつそう答えると、バザリと大きな音がして大きな何かが上から降ってきた。
「ぴゃっ!?」
おもわずおしっこを漏らしかけたけど、よく見ればよくみればソレはカラス鳥人だった。ウルさんだ。
「指揮本部より伝令じゃ。東部より敵本隊が接近中。後方は気にせずそちらは迎撃に専念せよ、以上じゃ」
「ン、了解。……やっぱり後ろのは陽動だったかぁ。ま、即席のトンネルじゃあ大人数は通行できないしねえ」
飄々とした態度で、ジョゼットさんは頷いた。流石はお兄様の同期だけあって、こんな状況でも平然としている。
「それじゃあ、そげんこっで」
用件はそれだけだと言わんばかりの様子でウルさんが飛び立とうとしたので、私はひどく慌てた。ウルさんは、司令本部……つまり指揮壕から伝令に来たわけだ。だったら、後方の状況も知っているはず。
「あっ、ちょっと待ってください! お兄様は……お兄様は無事なんですか!?」
「ピンピンして気炎を吐いちょりましたわ。ご安心めされや!」
短くそう言ってから、ウルさんはあっという間に空へと消えて行ってしまった。とはいえ、知りたい情報は知れた。どうやら、お兄様は今のところ無事らしい。ほっと胸を撫でおろすと、ジョゼットさんが苦笑する。
「あんなアリンコ風情にアル様がやられるわけないでしょうが。傍にソニアのヤツもついているわけだし」
「確かに……」
アリ虫人も恐ろしいけれど、ソニアはもっと恐ろしい。私はおもわず笑ってしまった。アリ虫人の兵士をダース単位でなぎ倒すソニアの姿が、ありありと脳裏に浮かんできたからだ。
「ところで一つ聞きたいんだけど、君たち弾薬は何発ぶん持ってる? あ、ライフル弾ね」
表情を改め、ジョゼットさんが質問を投げかけてくる。私は慌てて腰の弾薬ポーチに手を突っ込み、紙製のカートリッジを掴む。
「ええと、ひぃふぅみぃ……十発ですね」
「八発ッスね」
「少ないねぇ」
ちょっと困った様子で、ジョゼットさんは肩をすくめる。
「私たち、あんまり前線には出ないので……弾薬は最低限のぶんだけ確保しておいて、あとは前線のヒトにあげちゃったんです」
弾薬の欠乏については、前々から問題になっていたからね。発砲機会の少ない者が持っている弾薬を集めて、前線の兵士に配ることに決まったのよ。もちろん私の独断じゃなくて、お兄様の命令よ。
「ふぅむ……」
ちょっと唸ってから、ジョゼットさんは私にちょいちょいと手招きをしてきた。それに従うと、周囲に聞こえないよう声を潜めて耳打ちをしてくる。
「実はさ、私たちも君らと同じくらいしかタマを持ってないんだよね。ちょっとマズいよ、これは」
「ええ……」
なんともイヤな情報に、私は一瞬気が遠くなりかけた。前線の人たちですら、十発やそこらしか持ってないの? 弾薬。しかもジョゼットさんのライフルは、連発をしやすい後装式とかいう新型だし。戦闘が始まったらあっという間に撃ち尽くしちゃいそうなんだけど……。
しかも、不足しているのは弾薬だけじゃない。エルフたちの使う矢も、もうあんまり残っていないみたい。まあ、戦闘が起きるたびに鉄砲も弓矢も派手に売ってたからね。長期戦になったら、そりゃあ足りなくもなるでしょ……。
「敵が本腰を入れて攻勢を仕掛けてきたら、まあ十中八九白兵戦にもつれ込むよ。早めに銃剣をつけておきな」
「は、ハイ……」
ああ、嫌だなあ。アリ虫人、本当にシャレにならないくらい強いんだけど。あんなのとまた白兵戦をしなきゃいけないの? 勘弁してよ、もう……私、今度こそ死んじゃうかもしれない……。
内心ちょっと泣きそうになっていると、前方から威圧的な太鼓の音が聞こえてきた。見張りの人が「敵接近! 大部隊です!」と叫ぶ。慌ててそちらの方に目をやると、森と河原の境界線を進軍する敵集団の姿があった。
「ぴゃ……」
ヤダーッ! 敵、めちゃくちゃ多いじゃないの。百や二百なんて数じゃないよ、アレ。少なくとも五百、おそらくはそれ以上だと思う。真っ黒い甲冑に身を包んだ(まあ胸やお腹は丸出しなんだけど)アリ虫人兵たちがミッチリとした密集陣形を組み、その左右をポンチョ姿のエルフ兵が固めている。
いままでの嫌がらせじみた攻撃で見たものとは明らかに違う、正面戦闘で打ち勝つための陣形だ。敵が決戦を企図していることは、経験の少ない私でもハッキリと理解できた。これは……さぞやハデな戦いになりそうね……。
「アリンコどもめ、諦めが悪いじゃないの……! 古臭い戦術を使っている蛮族どもに、最新の戦術ってのを教育してあげなきゃあね! 総員、射撃用意!」
ジョゼットさんが、ライフルを指揮刀のように振り上げてそう命じる。……でも、その"最新の戦術"を実行するには、明らかに弾薬が足りてないんだよね。大丈夫なの、コレ……。




