第321話 くっころ男騎士と急報
「……ごめん、もう一回言ってくれる?」
「女王陛下が……女王陛下が大姉貴をハメたんじゃあ!」
アリンコ軍の軍使を大喜びで迎えた僕だったが、彼女の口から出た言葉は僕が望んでいたモノからはまったくかけ離れた代物だった。冷や汗をかきつつ聞き直すと、軍使殿はプルプルと怒りに身を震わせながら指揮卓を殴りつけた。乗っていた筆記用具や地図の類が、一瞬宙を舞う。
僕の隣に座ったソニアが、軍使殿をギラリと睨みつけた。ただでさえ目つきの悪いソニアが本気で威圧すると、戦慣れした軍人でも冷や汗をかくくらいには威圧感がある。軍使殿は顔を青くして(まあ褐色肌のせいで顔色は分かりにくいのだが)、「す、すんません。熱うなり過ぎましたわ」と頭を下げた。
「うちの女王陛下はなかなか食えぬお人で、大姉貴が和睦の話を出すたびにのらりくらりと逃げとったんですが……どうも裏でヴァンカの婆と妙な策を練っとったようで」
軍使殿の顔は冷や汗でびっしょりだ。とても演技をしているようには見えない。白湯の入ったカップを渡してやると、一礼をしてからゴクゴクと一気に飲み干した。カップをぐいぐいと呷るたびにその丸出しになったデカイ胸が派手に揺れたが、状況がヒドすぎてまったく邪念が湧いてこない。
「……どうも女王陛下は、あんた方と手を結ぶなら己らの力を見せつけた後で、と考えとるようですわ。このままじゃ、足元見られてケツの毛までむしられるやら言うて……」
「なるほどのぅ……」
難しい顔をしたダライヤ氏が、腕組みをしながら唸った。
「エルフの古い格言に、『交渉を円滑に進めたいのなら、まず最初に相手を一発殴れ』というものがある。相手にナメられては交渉どころではなくなる。それ故に第一に力を示すことが肝心である……という意味の言葉なのじゃが……」
言いたいことは分かるが知性も理性もまったく感じられない格言だな……。
「"女王陛下"もこれと同様の考え方をしておるのじゃろう。やられっぱなしのまま交渉の席に着くのは、負けを認めるのと同じ……そう思っておるのではないか?」
「むぅ……」
確かに、その考え方は決して間違いではない。アリンコ共は先日の戦闘で、得意の密集陣を破られ退却するハメになったのだ。首脳陣がこれを敗北と捉えるのはごく自然のことである。
負けっぱなしの状態で交渉に入ったら、一方的に不利な条件をつきつけられてしまう。ならば、せめて一撃を入れてから講和を始めるべきだ……そんな思考が働いた結果終戦が遅れてしまうというのは、前世の世界での戦争でもよくあった話である。
「何かの策を練っている……ということだが、具体的に何をやらかすつもりなのだ? あの連中は。そうそうのことではこの塹壕線は突破できないはずだが」
ひどく不愉快そうな声音でそう問いかけつつ、ソニアは人差し指で指揮卓をトントンと叩く。頭の中で、敵の出方をシミュレートしているのだろう。
「どうも、地下から攻めようと狙うとるようで。わしらグンタイアリ種のアリ虫人は穴掘りは苦手なんですがね、身内におる別のアリ虫人……ハキリの連中が、動員されとるようでして」
「地下から? 坑道戦を狙っているのか……」
強固な陣地や砦に対し、坑道を掘って地下から攻めるという戦術はごく古典的なものだ。前世の世界でも現世の世界でも、攻城戦においてはごく一般に実行されている作戦である。むろん僕も、敵がそういう手を使ってくる可能性については検討していた。しかし……
「だが、ここは河原だぞ? 土壌は砂ばかりで崩れやすいし、何よりちょっと掘っただけで水が湧いてくる。こんな場所で坑道なんか作ったら、土葬と水葬を組み合わせた新手の埋葬方式で永眠する羽目になるぞ」
僕は足元に溜まった大量の水をつま先で突っついた。少しばかり深めに塹壕を掘っただけでこれなのだ。人間が通行できるような坑道を掘ろうとすれば、湧き出してきた大量の水に巻かれて溺れ死ぬことになるだろう。この作戦はあまりに非現実的だ。
「わしもそう思っとたンですが」
ところが、軍使殿は視線を逸らしつつ唇を尖らせる。
「どうもエルフどもが排水と穴ボコの補強を魔法でゴリ押しとるようです。エルフとアリの共同作業、っちゅうやつですな」
「は?」
は?
「女王陛下いわく、今日中に総攻撃に移れるやらなんとか」
「嘘やん……」
なんでだよ! どうしてこうリースベンの蛮族どもは無茶苦茶やることだけは大得意なんだよ! ふざけんなよ! その能力とやる気をもっと建設的な方向に活かせよ農場建設とかさぁ!!
僕はやけ酒を飲みたい気分になったが、残念なことに今は仕事中だし、そもそも酒自体がもう在庫切れである。なんとかシラフで頑張るほかない。白湯を飲み干し、なんとか気分を落ち着ける。
「今日中に総攻撃といったか? ……交渉を続ける意思があるのなら、もうちょっと早く連絡してほしかったものだがね」
「女王陛下は穴掘りしとることを大姉貴に隠しとったんです! 大姉貴とリースベンの旦那がたが繋がっとるこたぁ、女王陛下もわかっとったようじゃけぇ……」
本当か? ……いや、本当だろうが嘘だろうが大した問題ではない。攻撃が始まる前に情報を流してきた以上、一応アリンコどもにも交渉する気は残っているようだからな。とりあえず今は、連中のたくらみを砕くのが最優先だ。落とし前をつけるのは、その後で良い。
「……まあいい。とりあえず、お前たちは穴を掘って僕らの陣地を突破することを企んでいる……これは間違いないな?」
「ハイ」
ガックリとうなだれつつ、軍使殿は肯定する。そして懐から何かを取り出し、こちらへ渡してきた。
「こりゃ連絡が遅れてしもうたことに対する、大姉貴からのお詫びの気持ちじゃけぇ。どうぞ受け取ってつかぁさい」
……彼女が押し付けてきたモノ、それは人間の指だった。形状から見て、親指に違いない。うわあ、ナチュラルにエンコ詰めてきやがったぞ。しかも親指かよ、ガチ度が違うな……。いやまあ、アリンコ共は四本腕だから、当然指も合計二十本生えている。一本当たりの価値は、我々の半分程度なのかもしれないが……。
「それから、後ほどウチのハキリどもが作った麻薬キノコもあるだけお贈りするんで、それでなんとか大姉貴だけでも堪忍していただきたい。この一件は女王陛下の独走で、大姉貴は止めようとしたんじゃ。この状況は大姉貴の本気じゃないけぇ……」
「麻薬キノコはいらない……」
ハキリって、要するにハキリアリ種のアリ虫人だよね? あの、葉っぱを使ってキノコを栽培してるっていう、特殊な種類のアリ……。
まあグンタイアリ種のアリ虫人がいるんだから、ハキリアリ種のアリ虫人がいたっておかしくないけどさ。そいつら、麻薬キノコ作ってんの? なんなのリースベン、狂った連中しか住んでないのか?
「と、とにかく今は急いで迎撃の準備だ。敵は地下から出てくる、とりあえず音や振動を検知して、敵がどこから出てくるのか見当をつけなきゃ……」
僕がそんなことを言った瞬間だった。ドシャリと地盤が沈み込んだような音が、周囲に響き渡る。そして一瞬遅れて、鬨の声と敵襲を知らせる信号ラッパの音色が僕の耳朶を叩いた。どうやら我々の陣地のド真ん中に、敵の作ったトンネルの出入り口が現れたようだ……手遅れやんけ!
「……よかったな、索敵の手間が省けたぞ! 迎撃開始だ、急げ!」
ああもう滅茶苦茶だよ!!