第320話 くっころ男騎士と籠城戦
戦線は膠着状態に陥った。ヴァンカ・アダン王国残党連合軍は塹壕戦を突破する手段をもたず、嫌がらせじみた攻撃をするのがせいぜい。一方、我々の側も大砲が故障し、矢玉が欠乏した状態で攻勢を始めるのは難しい。
気付けばにらみ合いが始まって四日が経過していた。思ったより長引いたな、というのが正直なところだ。こちら側が攻勢に移るには、リースベンからの増援を受ける必要がある。しかし、物資輸送のための川船徴発に手間取っているらしく、待てど暮らせど増援はやってこない。流石に少し参ってしまった。
「ソニア、食料の方はまだ持ちそうか」
白湯を飲みつつ、僕は聞いた。普段なら香草茶で一息入れるところなのだが、残念なことにもう茶葉が無いのである。まあ、茶葉程度なら欠乏したところで大して困りはしないが、問題はメシなんだよな。腹が減っては戦が出来ぬ、とい格言はやはり真理だ。
僕たちは現在、指揮壕に設けた作戦卓で会議を行っている。参加者は僕とソニア、そしてダライヤ氏とフェザリアだ。フィオレンツァ司教は、兵士たちの慰問に回ってもらっている。
思いもよらず長期化した籠城戦のせいで、兵士たちに不満が溜まりつつある。これを解消するため、司教はてんてこ舞いしていた。それに加えて男子供の世話までやってくれているのだから、それはもう大変である。寝不足で目の下にクマを作りながら働き続けるフィオレンツァ司教を見ていると、なんとも申し訳ない心地になってしまう。
「昨日到着した補給船のおかげで、多少は余裕が出来ました。まあ、吹けば飛ぶような余裕ですが……現状の糧食消費量であれば、あと三日は引きこもれますよ」
ソニアの言葉に、僕はほっと胸をなでおろす。増援はまだ来ていないが、補給はやってきたのである。我々は河を背に布陣しているから、船さえあれば物資の受け渡しは可能なのだ。
もっとも、このやり方に問題がないわけではない。無動力の川船は自力で川を遡上できないため、リースベンに戻れないのだ。えっちらおっちら船をけん引してたら、エルフやアリンコから集中攻撃をうけるからな。結局、一回補給に使った船は包囲が解かれるまでは安全な場所に留め置くしかない。
さらに言えば、我らリースベン軍が保有する川船なんて、今のところマイケル・コリンズ号と作業用の小型舟艇くらいだからな。足りない分は、民間船を徴用するほかないのである。
ところが、リースベンで運用されている民間船など、一番大きいものでもボートに毛が生えた程度のモノがせいぜいだからな。一度に運べる物資の量は、まさに雀の涙程度である。連隊規模の部隊の補給をこんな不確かな代物に頼るのは、正直かなり不安だった。
「現状の消費量を維持すれば、ということは……食事の質そのものは向上せぬのじゃな?」
僕たちが囲んでいるテーブルの横に佇んだダライヤ氏が、顎を撫でながら言う。なぜ椅子に座っていないかと言えば、ソニアにシバかれた尻がまだ痛むから……らしい。たかがお尻ペンペンでこれほど痛みが長引くとは、さすがはソニアである。
「食料配給を通常の水準に戻すと、食料備蓄は一日やそこらで干上がってしまうだろうな。なにしろ、我々は総勢千人越えの大所帯だ。皆が満腹になるほどの食料を継続して配給し続けるのは、現状の補給効率では不可能だ」
ソニアの言葉に、僕とダライヤ氏は同時に唸った。僕としては、兵隊どもをすきっ腹のまま放置するのは大変に不愉快だ。まったくもって好みではない。感情的な問題を抜きにしても、慢性的な空腹は士気や規律にも多大な悪影響を及ぼすしな。ただ、やはり無い袖は振れなのである……。
「せめて、リースベン兵だけでも配給量を増やせんかのぅ? ワシらは飢餓には慣れとるが、あの短命種たちはそうではなかろう。腹が減った腹が減ったと嘆いておるあ奴らを見ると、なんとも哀れでのぅ……」
「おう、おう。良か考えじゃ。エルフは忍耐強か種族や、多少ん飢餓などどうちゅうこっもなか。なンなら、俺らん配給量をちょっと減らして、そんぶんを短命種ん兵へ回すちゅう手もあっ」
ダライヤ氏の主張に、フェザリアが同調する。……エルフども、普段はやたらと我が強いくせに、こういう時に限って他種族を優先しろと言い出すんだよな。死を畏れぬ価値観が、そうさせるのかもしれない。彼女らは明らかに、短命種より後に死ぬことを恥だと考えている節がある。
「だめだめ、すきっ腹がキツいのは長命種だろうが短命種だろうがかわらん。それに、我々の主力はエルフ兵だ。下手に食料を削って戦力が減退することになったら、元も子もないよ」
僕は首をブンブンと左右に振った。矢玉の欠乏が著しい現状では、白兵戦に比重を置かざるを得ないわけだが……チャンバラの技量で言えば、明らかにエルフ兵はリースベン兵に勝っている。しかし、腹ペコでは剣を振るう力も湧いてこないはずである。本来ならば、むしろエルフ兵の方に優先して食料配給すべきだろう。まあそんなことをしている余裕はないが。
むろん、その程度のダライヤ氏もフェザリアも理解しているだろう。彼女らは揃って難しい顔をして、小さく唸った。しばらく考えた後、フェザリアは水溜まりをつま先でちゃぷちゃぷと叩きつつ口を開いた。
「そもそも、さっさと敵を打ち負かしてしめばすきっ腹を抱ゆっ必要はなかとじゃなか? 頭数はこちらん方が多かとじゃし、少しくれぇ無理攻めをしてんこちらん勝利は揺らがんとじゃね……?」
「確かにそうかもしれない」
僕は彼女に頷いて見せた。フェザリアの言う通り、兵力的には明らかにこちらが優勢だ。彼我の戦力差は、三対二といったところだろう。塹壕を捨てて野戦を挑んでも、負ける可能性は低いだろう。
ただ、問題はアリンコどもだ。大砲がなく、小銃の残弾も乏しくなった現状では、彼女らの密集陣はかなりの脅威だ。おそらく、平地で戦う限りは同数のエルフ兵でも勝てない。先日の戦闘は、手榴弾を使って強引に主導権を奪ったからこそ有利に戦えたのだ。同じ手はもう使えない。
正直なところ、兵数の差ほどの優位は感じないんだよな。アリンコ兵のファランクス陣形を主力正面に押し出し、その脇をエルフ兵で固める布陣を取られたら、互角以上の戦いに持ち込まれる可能性もある。大量のエルフ兵と僅かなライフル兵で構成されたわが軍では真似できない戦術だ。
「ただね、はっきり言えば時間はこちらの味方なんだよ。なにしろ、こちらは効率が悪いとはいえ川船で補給を受けることができる。しかし、あいつらは根拠地を持っていないから物資は減る一方だ。先に飢えるのはヴァンカやアリンコの方だよ」
「フゥム、確かに一理ある。ルンガ市は、フェザリアの手で火の海にされてしまったからのぅ? 連中は、イモの一本さえも手に入れることはできんじゃろうて……」
「そういうこと。何なら、戦う必要もなくアイツらは空中分解する可能性もある。まあ、そう都合よくはいかんだろうが……僕が決戦を避けているのは、増援を待っているというだけではないんだ。相手の弱体化も期待してるんだよ」
「なるほど、流石は若様。流石に戦術眼にごわす」
「……」
なんでフェザリアまで若様呼びしてるんだよ。僕は内心ツッコんだ。この頃、エルフどもは皆僕を若様と呼ぶようになってしまっていた。正直、背中がくすぐったくなるのでやめてほしいのだが……。
「しかし、それはさておき問題はアリンコ共だ。連中、ウンともスンとも言ってこないんだが……ダライヤ殿、例の計画は本当に上手くいっているのか?」
例の計画というのは、ようするにゼラ氏に依頼した寝返り工作である。どうやら彼女は無事に自陣へと戻れたようなので、速やかな寝返りを期待していたのだが……どうにも動きが鈍い。アリンコ共は相変わらず嫌がらせ攻撃を仕掛けてくるし、ヴァンカ派と何かトラブルを起こしてる様子も見られない。
「ウウム……アリンコ共は、ああ見えて案外狡猾じゃからのぅ。現状で寝返りをすれば、安く買いたたかれてしまうと踏んでおるのやもしれん。身売りをするにしても、できるだけ高値で売りつけられるような状況を狙っておるのではなかろうか……」
「むぅ」
僕は思わずうなった。確かに、今の状態で寝返るとアリンコ共はかなり厳しい立場におかれることになる。実質的に降伏したのと同じことだからな。
つまり、連中はこちらから出来るだけ多くの譲歩を引き出せる状況に持ち込めるよう、裏であれこれ工作している可能性が高いわけか。なんとも小賢しいやり口だが、連中も種族の存亡がかかっている。必要ならばどんな手でも打ってくることだろう。厄介だな。
「なるほど、決定的なタイミングになるまでは連中は敵のままということか。で、あれば……早めにケツを蹴っ飛ばすというのも手かもしれん」
「ケツにか……」
神妙な顔をしつつ、ダライヤ氏は己の尻を撫でた。……この食わせ物のロリババアが、半泣きになってからなあ。ソニアのお尻ペンペンは、そうとう強烈なモノであったようだ。
「ま、しばらくは現状維持で大丈夫でしょう。連中に、塹壕線を突破する能力はありません。ヴァンカ派はどうかわかりませんが、アリンコの方はじきに根を上げるハズ。そうなれば、いかようにも料理できます」
「ウム、そん通りじゃ。アリンコどもに、こしゃくな策を弄した報いを受けさせてやっ」
ソニアの言葉に、腕組みをしたフェザリアがウンウンと頷いて見せる。その胸は平坦であった。ソニアもフェザリアもどちらかと言えばクール系に分類されるであろう美形だが、並んでみると全然タイプが違うよなあ。そんなくだらない考えが、脳裏に浮かんだ瞬間だった。
「城伯様! 白旗を上げたアリンコ兵が一人、こちらの陣地に向かってきております。いかがいたしましょう?」
指揮壕に走り込んできた伝令が、そんな報告を上げてくる。僕はニヤリと笑い、立ち上がった。
「おや、噂をすればなんとやらだな。……そいつは軍使だ、絶対に攻撃は仕掛けるなよ? 丁重にお迎えしろ」
どうやら、アリンコ共もそろそろ限界らしい。やっとこの戦いにも終わりが見えてきた。そう思って、僕は内心ほっと安堵のため息を吐く。……いやでも、相手はリースベン蛮族だぞ? そんな都合よく話が進むか……? なんか不安になってきたな……。




