第319話 義妹騎士と塹壕の日常
「むぅ……」
私、カリーナ・ブロンダンは思わずうなってしまった。手に持った木椀の中身を、匙でツンツンとつついてみる。
今日のメニューはエルフどもの郷土料理、芋汁。まあ、軍隊シチューみたいなモノね。お椀の中に入っているのは皮ごと輪切りにされたサツマ芋が一枚、塩漬けと思わしきバッタが二匹に、小指くらいの大きさの川魚が一匹。そして後は青菜っぽい雑草。それだけ。ちなみに副菜類はナシ。
足りない。全然足りない。というか料理の中になんでムシがはいってるの? 嫌がらせなの? お腹は情けなくキュルキュル鳴いているけど、正直口を付けたいとは思わなかった。
「うひぃ……またこれッスか……」
「……」
隣にいる子分のロッテと軍属猟師のレナエル先生も、凄い表情を浮かべていた。私たちは、塹壕の隅っこで食事をとっていた。作戦中なので、テーブルについて一斉にイタダキマス、なんてお上品なことはしていない。給食班から料理を受け取って、そのまま持ち場へ戻って食べている。
「平民の見習い兵でも腹いっぱい食えるってのが、リースベン軍の一番の長所だったハズなんスけどね。こりゃあひどいや……」
お椀の中身を匙でぐるぐるとかき回しつつ、ロッテがブー垂れる。「こら、下品よ」と注意はするけど、正直私も同感。こんな量じゃ腹の足しにもなんないわよ。しかも、ムシとか入ってるし。
ここ最近、配給される食事の量と質があからさまに低下していた。食料の備蓄が怪しくなってきたんだと思う。今の私たちは、凄い大所帯だしね。エルフだけでも千人前後居るって話だから、そこらの農村よりも人口が多い。節約しないことには、あっという間に食料を食べ尽くしちゃうんでしょうね。
「こんなモノを食べて大丈夫なのかしら……」
顔をしかめながら、バッタを匙で掬う。大きさとしては親指くらいで、畑や草原なんかでもよく見る種類のものだった。もちろん、私はこんなモノを食材として認識したことは一度もない。その無機質な複眼を見ていると、空腹のはずなのに食欲が失せてくるから不思議ね……。
「……」
狐獣人のレナエル先生が、無言でバッタにかぶりついた。太い尻尾がビコン! と立ち上がり、プルプルと震える。
「……た、食べられなくは、ないです」
「そっかあ……」
美味しくはないのね? いや、この外見で美味しい方がおかしいんだけど……。まあとにかく、こんなモノでも貴重な栄養源。食べないよりはマシ。そう思って、意を決して私もバッタを頬張る。
「…………」
……やっぱり美味しくないよコレェ! 味は思ったより悪くないけど、外殻が硬くて本当にダメ。なんとかかみ砕こうとすると、殻のカケラが歯の隙間に挟まってびっくりするほど不快だった。ンンーッ! キッツイ!
「……」
顔をしかめないように気を付けながら(士官たるものいついかなる時でも動揺を表に出すべからずって、お兄様も言ってたからね)、白湯で口の中を洗い流す。川が近いおかげで、水だけはいくらでも飲めるのよね。
「あー、うん。まあ、そこそこね、そこそこ」
などと言いながら、口直しにサツマ芋の輪切りをにかじりつく。……ウン、これは悪くない。でもちょっと味が薄いかな? ポーチの中から塩の入った小袋を引っ張り出して、一つまみ振るいかける。もう一口かじって、私は頷いた。うん、うん、これで美味しくなった。
「ンヒ~、やっぱ全然足りないッスよこれぇ」
あっという間に芋汁を食べ尽くしたロッテが、お椀を匙で叩きながら文句を言う。だから、そういう下品な真似はやめなさいって。まったくもう、何回注意しても直らないんだから……。
まあでも、この程度の量では全然足りないというのは確かなのよねぇ。まあ、お兄様やソニア、フィオレンツァ司教様まで同じモノを同じ量しか食べてないみたいだから、文句は言いづらいんだけども。でも、私らってば成長期じゃない? やっぱり、流石にもうちょっと食べたいというか……。
「……はあ」
何か腹の足しになるモノでもないかなとポーチを漁ってみるけど、ビスケット一枚出てこない。持ってきたぶんは、とっくに食べ尽くしちゃった。この遠征も、思っていたのよりだいぶ長引いてるからねえ……。
本当に困る。昨夜もお腹がくぅくぅ鳴いて、寝るどころじゃなかったのよね。おかげですっかり寝不足で、頭もあんまり回らない。さらに言えば、靴がずっと冷たい水に浸かってるせいで、足の感覚がなくなりかけてる。
お兄様の忠告に従って、時々乾かしたり温めたりしてるんだけどね、足。それでもだいぶ辛い。塹壕足とかいうビョーキになりかかってるのかも。ああ、もう……本当にイヤ。今回の戦いは、今まで私が体験した中で一番しんどいかもしれない。
「おい、お前ら」
ちょっと泣きそうになっていると、誰かが話しかけてきた。顔を上げると、そこに居たのはエルフ兵だった。外見上は、私と同じくらいかちょっと年下くらいに見える。同性の私でもドキリとしそうな美しい顔には、勝気そうな笑みが浮かんでいた。
私とロッテは思わず身体を固くした。レナエル先生は表情を消し、腰のナイフに手を這わせている。見た目は妖精みたいなエルフたちだけど、レナエル先生の弟はこいつらにヒドい目に合わされた……らしい。
実際エルフ兵たちの戦いぶりは傍で見ているだけで怖気が走るほど野蛮だし、このエルフ兵が着ているポンチョにもあちこちに血痕がついている。まるでホラー系の小説に出てくる殺人鬼みたいな雰囲気だ。私は完全にビビってしまっていた。
「レ、レナエル……」
それでもなんとか、レナエル先生の肩を叩いて余計なことはやめさせる。エルフたちは、一応友軍だからね。率先して刃物を抜くなんて真似は絶対にやめさせなくちゃ。
……そもそも、この集団においては私たちの方が圧倒的に少数派だしね。何かがあったら、袋叩きにされるのは私たちの方なのよね。そういう面でも、トラブルを起こすのはマズい。
「ど、どういった用件でしょう? エルフさん」
二人を庇うように(余計なことをしでかさないようにとも言う)して立ち上がりつつ、私は笑顔を浮かべて対応した。……大丈夫かな、顔引きつってないかな?
「そげん怯えんでんよかじゃろ? 勿体なかカマキリじゃあらんめえに、お前らを頭から食うちまうような真似はせん」
鼻で笑いながら、エルフはそんなことを言う。……もったいなかカマキリって何?
「そげんこつより、お前ら腹が減っちょっとか?」
「い、いえ、そんなことは……」
お兄様から聞いた話によると、エルフたちはすごい食糧難に陥っているらしい。実際、今日みたいな粗末な食事でも、エルフ兵は喜び勇んで食べてるみたいだからね。こいつらの食料事情がそうとうひどいというのは、本当の事みたい。
そんな連中の前で「こんな量じゃ全然足りない! お腹減った!」なんて言っていたら、そりゃあ気に障るでしょうよ。ここは絶対に誤魔化すべき。……そう思ったんだけど……。
「……」
私のお腹が、きゅうと音を立てた。反射的にお腹を押さえてからエルフ兵の方をうかがうと、彼女はゲラゲラと大笑いをし始めた。
「やっぱい腹ペコじゃらせんか! ったっしょうがなかね。他ん連中には内緒やど」
そんなことを言いつつ、エルフ兵はポンチョの中から何かを取り出して私に押し付けてきた。それは大きな木の葉の包みで、中には干し芋が入っている。
「お前ら短命種どもは弱かでな。腹ペコになったやすーぐ死にやがっ。俺らみてな年寄りより先にくたばられちゃ困っど」
「え、あっ、ありがとうございます!」
そのまま、エルフ兵は踵を返して去っていった。あとに残されたのは、ポカンとした私たちと干し芋の包みだけだった。
「……な、なんだったんだろう、アレ」
小首をかしげつつ、包みを開いて干し芋をつまんでみる。匂いを嗅いでみるが、怪しげな感じはしなかった。ちょっと古びてはいるけど、まだ食べられそうな雰囲気。三人で分けて食べるにはかなり少ない量だけど、それでも凄く有難い。
「差し入れ……ッスかね?」
「あの飢えた蛮族どもが、他人に食料を分け与えるなんて……」
ロッテとレナエル先生が、顔を見合わせて唸った。……なんなんだろうね、エルフ。とっても野蛮なのは確かなんだけど、悪い人ばかりじゃないってことなんだろうか……?
「敵襲!」
そんなことを考えていると、見張り員がそう叫ぶ声が聞こえた。一瞬遅れて、鏑矢(ヤジリが笛になっている矢)が飛ぶ独特な音があちこちから聞こえてくる。敵陣の方から、ほら貝や陣太鼓の音色も響き始めていた。
はあ、またか。私は何とも言えない心地で立ち上がった。戦況はすっかり膠着状態だけど、敵は昼夜を問わず攻撃を仕掛けてきている。とはいっても、嫌がらせ目的の腰の据わってない攻撃ね。被害はほとんどないけど、敵もすぐに逃げるから反撃もできない。
とはいえ、そんな攻撃でも無視するわけにはいかないのよね。ため息を吐くのをこらえつつ、私は急いでお椀の中身をかきこんだ。戦闘準備を命じる信号ラッパが流れているから、早くお兄様のところにもどらなきゃいけない。
「ああ、もう……」
壁に立てかけておいた騎兵銃を背負ってから、貰ったばかりの干し芋を一瞥する。その中の一枚を咥えて、残りはロッテとレナエル先生に押し付けた。もっとたくさん食べたいけれど、まあ仕方が無い。こういうときに度量を示すのも、貴族のたしなみってやつよ。




