第308話 くっころ男騎士とアリンコ軍団
軍隊アリとは、素を持たない徘徊性の特殊なアリである。数十万匹、時には百万匹以上の巨大なコロニーを形成し、地上を練り歩きつつ進路上の獲物を喰らいつくす、なんとも恐ろしい昆虫だ。その圧倒的な数の暴力には大型肉食獣ですら太刀打ちできず、食物連鎖の頂点と称されることもある。……まあ、実際はアリジゴク等の天敵は存在するが。
敵はそんなおっかない生物を起源に持つ亜人らしい。僕は思わず頭を抱えて極星を呪いたくなったが、嘆いていても状況はまったく改善しない。とりあえず予備戦力を投入し、迎撃準備を進めた。……とにかく味方の数が多いので、予備戦力だけは豊富にある。何ともありがたい話だ。戦場が狭くて数の優位を生かしづらいのが難点だが。
「ワッ……!」
望遠鏡を覗き込んだ僕は、思わず妙な声を上げた。敵のアリンコ軍団は、すでに目視できる距離まで接近している。望遠鏡を使えば、その奇妙な風体までハッキリ視認できた。
アリ虫人といっても、外見上はクモ虫人などよりは随分と只人に近い。違いとえば腕が二対四本ついていることと、アリの腹のような部位が尻尾めいて腰についていることくらいだ。
だが、何より異様なのはその風体である。四本ある腕のうち、左の二本にはそれぞれ大ぶりな丸盾を一つずつ計二つ、そして右の二本には短槍を一本持っている。そして群青のマントに、兜、籠手、脚甲。防具類は、すべて黒光りする奇妙な素材でできていた。……そこまではいい。そこまではいいのだが……。
「へ、変態だ……!」
僕の隣で望遠鏡を覗き込んでいたソニアが、そんな声を漏らした。僕も全くの同感である。エルフどもがアリンコと呼ぶその連中は、四肢や頭は立派に防護しているというのに、胴鎧は身に着けていなかった。いや、それどころか衣服すら身に着けていない。褐色の肌を惜しげもなく露わにし、もちろん乳房も丸出しである。
そしてそれが数百人、見事な横隊を組み、陣太鼓を打ち鳴らしながら行軍しているのである。見まがうことなき変態軍団だった。やべぇ集団だ。断じて近寄りたくない。
「いやスパルタじゃん、どっからどう見てもスパルタじゃん。ええ……お前……マジか……」
しかし、僕がショックを受けたのは、その変態性からではない。こんな恰好をして戦う集団を、前世の知識で知っていたからだ。ギリシャ重装歩兵、通称ファランクス。しかもここまで徹底的に衣服を省いた軍装となると、かの高名なスパルタ軍を想起せざるをえない。
そう、スパルタだ。テルモピュライの戦いでは僅か三百の兵力で百万の(数には諸説あり)ペルシア軍に立ち向かったと言われる、ガンギマリ軍事大国である。尊敬してやまない方々だが、だからこそ敵対したいかと言えば絶対にノーである。あまりにも怖すぎる。
「うむ、うむ、うむむむ……」
いや、もちろんここは異世界である。彼女らはスパルタ軍とは全く無関係の一般辺境蛮族に違いあるまい。とはいえ、あの奇妙な軍装を見るだけで、彼女らが一筋縄ではいかぬ敵手だと理解できる。
胴鎧を省いた前衛的な恰好は、伊達ではあるまい。あの手の重装歩兵は、強固な密集陣形で戦うのである。己の身体は、隣の戦友の盾が守ってくれる。そして己の盾で、また別の戦友の身体を守る。それ故に、胴体の防御は必要としない。そういうことだろう。
理屈ではわかるが、本当に一切の防具を捨て去ってしまうのは狂気の沙汰だ。実戦経験のない机上の空論で構築された軍隊ならまだしも、ここは修羅の大地リースベン。実戦を経験していないなどという話はあるまい。つまり、連中はあの痴女スタイルでも問題ないほどの練度をもっていると推測できるわけだ。……ヤンナルネ。
「アレか。アレが君たちの言うアリンコなのか」
「ウム。彼奴らの名はアダン王国。かつてはエルフェニアの好敵手と称されていた、戦士たちの国……その残党じゃ」
懐かしさをにじませた目つきで、ダライヤ氏は痴女軍団に目をやる。……あんなのとエルフェニアが覇を競ってたの? 昔のリースベン。世紀末ってレベルじゃねーぞ。勝った方が我々の敵になるだけですって感じだ。
「しかし、相変わらずのふざけた服装じゃのぅ。ワシがヒラの戦士じゃった時代から何も変わっておらん」
ダライヤ氏が一般兵だった時代って、一体何百年前だよ!? 滅茶苦茶伝統的な戦闘スタイルじゃん、あの痴女様式。
「恰好を見て油断はせぬようにな。あの連中が組む密集陣形は、防御力と攻撃力に優れた極めて強力なモノじゃ。平地での戦闘であれば、同数のエルフよりも強いぞ。……まあもっとも、この地は森ばかりじゃから、結局最終的に勝利したのは我々じゃったが」
「あの恰好を見て油断するのは素人だけだよ……」
僕は唸りながら、敵を観察した。連中は横隊の状態でガッチリとスクラムを組み、盾と槍を構えた状態で行軍している。数百人規模の集団だというのに、足音は完全に揃っている。王軍の精鋭部隊ですら、ここまで一糸乱れぬ行進をするのは困難だろう。……つまり、滅茶苦茶練度が高い。
「……まだだ、まだ打つなよ!」
僕は塹壕の中の味方兵に向けてそう叫んだ。彼我の距離は五百メートル。ライフルであれば一応射程圏内であるが、やや遠い。弾薬の備蓄もそれなりに乏しくなっているので、できるだけ温存がしたいところだ。
だが、何も手を出さないというのも面白くない。僕はマイケル・コリンズ号に火力支援を命じた。速射砲が火を噴き、榴弾が痴女軍団を襲う。
最初は試射だ。当然一発で命中などは見込めない。明後日の方向に着弾するが、マイケル・コリンズ号の砲術班は冷静に対処を続けた。速射砲特有の連射性を生かして素早く試射を続け、あっという間に至近弾を出す。
「……」
だが、連中は一切の動揺を見せなかった。所詮は五七ミリ弾、手榴弾程度の威力しかないわけだが、それが間近で爆発しても一切の足並みを乱さないというのは尋常な胆力ではない。
僕はちらりと、南の方に目をやった。そちらの戦線では、相変わらずヴァンカ派のエルフが漫然と攻撃を繰り返している。南にエルフ、北にアリンコことアダン王国残党とやら。そして僕らの東側には大河……。
ヴァンカ派とアダン残党軍の動きを見るに、彼女らは我々の退路を断つことを狙っているようだ。やはり、この二者は同盟関係にあるようだな。お互い、当然のことのように協調して動いている。
「砲撃、命中しました!」
見張り員の声に、僕は北側の戦線に視線を戻した。五七ミリ榴弾の直撃により、数名のアリンコ兵が吹っ飛んでいる。自陣から歓声があがった。
……だが、アリンコどもはこれでもなお動揺しない。行進速度を全く緩めないまま、後方から出てきた兵が戦列の穴をふさぐ。そして倒れ伏した仲間を踏みつけつつ、こちらへ接近を続けるのである。一定間隔で打ち鳴らされる陣太鼓のリズムすら乱れないのだから、徹底しているにもほどがある。正直めっちゃ怖い。ロボット軍団みたいな無機質さだ。
「……ライフル兵、射撃開始だ! アウトレンジで撃破する!」
あんなヤバげな敵と白兵などしたくはない。僕がメガホンを使ってそう命じると、北側陣地のライフル兵が一斉に射撃をした。猛烈な白煙が塹壕を包み込む。
彼我の距離は三百メートル、ライフルであれば十分に有効射程内である。鉛球は狙い違わずアリンコ兵の密集した場所へと降り注いだ。……だが、倒れるものは誰一人いない。致命的な威力を持つはずの銃弾は、すべて丸盾や甲冑によって弾かれてしまったのだ。
僕は思わず持っていた望遠鏡を地面に叩きつけそうになったが、根性で我慢した。指揮官が動揺を露わにしてはいけない。『ほう、やるじゃないか』みたいな顔を装いつつ、ちらりと隣のカリーナの方を見る。
彼女は、真っ青な顔でプルプルと震えていた。今にもおしっこをちびりそうな表情だ。……自分より何倍も動揺している人間を見ると、却って心が落ち着いてくるんだよな。ウン、だいぶ恐怖が薄らいできたぞ。流石カリーナ、期待した通りの働きをしてくれる。戦闘が終わったら、彼女が満足するまで頭を撫でまわしてやろう。
「あの盾や具足は、ガレアの魔装甲冑なみの防御力を持っているのか……!」
憎々しげに、ソニアが呟く。……げに恐ろしきは、防具の性能ではない。胴体をまったく防護しない前衛的スタイルにも関わらず、そこへ命中した弾丸が一発もないということだ。味方同士で盾を構え合い、ガッチリ守っているからこその防御力である。
クソ度胸と、なにより味方に対する圧倒的な信頼がなければこのような戦闘スタイルは成立しえない。まさにスパルタ・スタイル。お前マジでふざけんなよ、なんでこのレベルの兵隊が、しかも大隊規模でそこらの山野からナチュラルに湧いてくるんだよ! ゲームだったら即座に電源を切って「二度とプレイするかこんなクソゲー!」と叫んでいるレベルの理不尽さだぞ!!
「……」
僕の額に、冷や汗が伝う。蛮族には慣れている、そう思っていた。だが、それは思い上がりだった。僕は気付くべきだったのだ。バーサーカーエルフどもが大昔から跋扈しているような土地の土着民が、マトモな連中であるはずがないことに。
おかしいのは、エルフではなかった。リースベンそのものが狂った土地だったのである。完全に修羅の国だ。なんというクソ領地を押し付けてきやがったんだあのクソッタレのオレアン公は! 故人じゃなきゃ領地にカチコミ仕掛けてる所だったぞこの野郎……!




