第307話 くっころ男騎士と新手
それからしばらくの間、戦闘は膠着した。ヴァンカ派の兵士たちはずっと森と河原の境界線上でモゾモゾとしている。なんとかこちらに攻撃を仕掛けようとはするのだが、そのたびに集中射撃をうけてとん挫しているのである。
この防衛線を突破するには、多方向から同時に大戦力を送り込むしかないわけだが、兵力に乏しいヴァンカ派はそういった戦術はとれないはずだ。全身に銃弾や矢玉を浴びて倒れる虚無僧エルフ兵たちを望遠鏡で眺めつつ、僕は「このまま諦めてくれないかな」などと益体のないことを呟いていた。
「まあ、無理でしょうね。こういう展開になることは、敵側も承知していたはず。それでもなお攻撃に踏み切ってきたのですから、そう簡単にはあきらめてくれないでしょう」
「……だろうね」
正論である。マジレスである。僕はため息を吐きながら、望遠鏡を腰のベルトにひっかけた。
「ダライヤ殿、君はこの盤面をどう見る? 相手は強引な突撃で血路を開こうとしているようにも思えるが、そのわりにどうにも動きに統一性が見られない。攻撃するフリをしてこちらを釘付けにしようとしているのでは……」
話しかけた相手は、時間稼ぎ任務を終えて本陣に帰ってきたダライヤ氏だ。いつものポンチョは戦塵と返り血で汚れ、たいへんに凄惨な有様になっている。遅滞戦闘は、なかなかの激戦だったようだ。
「ワシもまあ、あのヴァンカが無意味に己の戦力をすり潰すような真似はせんとは思うのじゃがのぅ……これが単なる現場の暴走なら、話は別じゃ。ヴァンカめも状況を制御できなくなっている可能性もあると思うぞ」
湯気の上がる香草茶のカップを両手で持ちつつ、ダライヤ氏は言った。南国リースベンとはいえ季節は晩秋、気温は随分と下がってきた。動いて汗をかいた状態で風に吹かれると、流石に寒い。特にこの指揮壕は天蓋でカバーされているため、陽光もまともに入ってこないのである。
おまけ今我々のいる塹壕は河原に掘られた物だから、底から若干水が湧いてるんだよな。おかげで足元がクソみたいに寒いし不衛生だ。戦闘が長期化したら、病気も出始めるかもしれない。
怖いのは塹壕足と呼ばれる塹壕戦中によく見られる特有の疾病で、重症化すると足が壊死し始める。医療が未発展のこの世界では、そんな状態になったら足を切り落とすほかなくなってしまう。そんな状態になる前に事態を解決したいところだが……。
「嫌なことを言うね……」
もしダライヤ氏の言う通り現場が暴走して捨て鉢な攻撃を繰り返しているだけなら、こんなご立派な塹壕に籠っている理由は無い。さっさと出撃して、叩きのめしてやればよいのだ。戦力的にはこちらが優越しているのだ。多少の被害は受けるだろうが、勝利は揺らがない。
「まあ、しかし……確かにそれにしては、おかしな動きをしているように見えるしのぅ。判断の難しいところじゃ……」
結局どっちなんだよ。僕は肩をすくめ、従兵に香草茶を注文した。染み出してきた水のせいで、僕の足も靴下までグチャグチャである。メチャ寒い。兵士たちに定期的を乾かし、マッサージをするよう通達を出しておく必要があるな。
ほんの数日前まで暑い暑いと言っていたのに、今度はこんなクソ寒い思いをしている。兵隊稼業にはよくある話とはいえ、本当に辛い。もちろん、口には出さないが。
こんな状態になってまで塹壕に籠っているのに、結果が大山鳴動して鼠一匹……などということになったら、僕は兵士たちに叩き殺されてしまうかもしれん。味方にリンチされるのは流石に勘弁願いたいだろ……。
「ま、ヴァンカに何かしらの策があると仮定して……考えられるのは、やはり増援じゃの。現状のヴァンカの手元にある戦力は、五百未満じゃろう。対するこちらは千人近い……どのような策を弄したところで、この戦力差を埋めるのは容易ではない。で、あれば……周辺の諸蛮族と手を結んででも戦力を増強する、というのは現実的な選択肢じゃ」
「なるほど、ダライヤ殿もフェザリアと同意見か」
オルファン氏改めフェザリアは現在、ダライヤ氏とは入れ替わりで前線指揮を担当している。ダライヤ氏ほどではないにしろ彼女も歴戦の指揮官であり、その統率力はなかなかのものだ。今のところ、逃げ散る敵を追って塹壕から飛び出していくような者も出ていない。統制はバッチリだ。頼りになるね。
「フェザリア、のぅ」
ダライヤ氏は可愛らしく唇を尖らせつつそう呟いてから、香草茶を一口飲んだ。
「そう言えば話は変わるが、男子供どもは大丈夫かの? 流石にこれほど戦場の近くで過ごすことなどまずないことじゃろう。ましてや、オヌシらの武器はパンパンと派手な音を立てる。不安がっておるのではなかろうか?」
「まあね……」
従兵が淹れてきた香草茶を受け取りつつ、僕は小さく唸った。民間人たちは陣地の最奥に用意した避難壕に集めているが、なにしろ陣地が狭いので戦場からの完全な隔離はできていない。さぞ恐怖を覚えていることだろう。トラウマなどにならなければ良いのだが……。
「まあ、大丈夫だろう」
気楽な声でそう言うのは、ソニアだった。彼女はちらりと後方に目をやりつつ、言葉を続ける。
「避難壕にはあの羽虫……フィオレンツァも居る。あの女は腹黒のロクデナシだが、民草を慰撫するのには慣れている。上手くやっているだろうさ……」
「現役の司教様になんてことを言うのさ」
僕は思わず苦笑した。なんともひどい言い草ではあるが、まさか司教嫌いのソニアが「フィオレンツァがいるから大丈夫」などと言い出すとは思わなかった。腐っても幼馴染である。反りが合わずとも、信用できる部分については信用しているのだろう。なんだかホッコリした心地になってしまった。
「フィオレンツァというと、あのうさん臭い眼帯ハト娘か……信用してよいのかのぅ?」
「口先三寸の手管だけは本物だ。それ以外はカスだが」
なんてこと言うの二人とも。流石にあんまりだろ……。
「大婆様! アルベールどん!」
何とも言えない微妙な心地になっていると、ひどく慌てた様子でウルが上空から急降下してきた。彼女が指揮壕のド真ん中に着地すると、溜まっていた泥水が跳ね上がって周囲に降り注いだ。ソニアとダライヤ氏が「ウワーッ!?」と叫びつつ持っていた香草茶のカップを庇う。むろん、彼女らの近くに居た僕も同様である。
「ど、どうしたんだそんなに慌てて」
顔についた泥を払いつつ、僕は聞く。上官に泥水をブッかけるなど無礼極まりない行動ではあるが、相手はエルフェニア出身者としては特別思慮深いウルである。それがこれほど慌てているのだから、何かしら異常事態が発生していると考えるのが自然だ。
「も、申し訳あいもはん、皆さま。実は、そん……北方三キロん地点で敵多数を発見いたしもした。新手にごわす」
「新手! やはりか……」
ゴシゴシと顔を手ぬぐいで拭きつつ、ダライヤ氏が唸った。
「種族はなんじゃ? エルフではなかろう」
「アリンコにごつ!」
「アリ! よりにもよってアリか!?」
ダライヤ氏の顔色が変わった。思わず、僕とソニアが顔を見合わせる。リースベンに来て日が浅い我々には、何のことやらさっぱりわからない。
「アリというと、アリ虫人か? リースベンには、そんな種族も居るのか……雰囲気から察するに容易い敵ではないようだが、どんな手合いなんだ?」
「それがのぅ……ただのアリ虫人ではないのじゃ、あの連中は」
ひどく苦々しい表情で、ダライヤ氏は呻いた。自身を落ち着かせるためか一気に香草茶を飲み干し、「熱ちゃちゃっ!」と叫んで顔を真っ赤にする。
「あっつ……こ、こほん。この地でアリンコと言えば、軍隊アリ種のアリ虫人のことじゃ。……何百年か前には、旧エルフェニアとこの地の覇権を争ったこともある。極めて危険な種族なのじゃ……」
……は? 旧エルフェニアと競合してた? 話を聞く限り、現在のガレア王国並みかそれ以上の軍事力があったと思われる、あの旧エルフェニア帝国と!? ええ、マジ……?




