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第302話 くっころ男騎士と赤ん坊

 なにしろ僕は前世でも現世でも一人の子供も授からなかった(子供が出来るような行為をした経験がないので当然のことだが)、生粋の独身貴族である。乳児の世話がどういうものであるかなど、さっぱりわからない。

 とにかく父親や赤ん坊の世話をした経験がある者たちの意見を聞きつつ、なんとか行軍しながら赤ん坊の世話ができるように体制を整えた。……こんなことは出発する前に決めておけよという話なのだが、何しろ僕も乳幼児を抱えての行軍など初めての経験である。とにかく要領がよくわかっていなかった。


「おー、よしよし。たぁんと飲め」


 行軍の小休止・大休止中なども大忙しである。子持ちの鳥人や虫人などが集まってきて、赤ん坊に授乳をし始める。明らかに人手が足りていない。「なんであてには乳が二つしかちちょらんのや」とボヤいている者も少なくない。……複乳の亜人も、世界のどこかには居るかもしれんなぁ。

 それはさておき、乳母役も大変だが父親も大変である。オムツを変えてやったり、離乳が始まっている子には粥などを食べさせてやったり、もう大忙しだ。授乳以外のあらゆる仕事は父親の役割なのである。


「子供の世話ってヤツは……本当に難儀だな。最前線並みの忙しさだ」


 使用済みのオムツを川でジャブジャブ洗いながら、僕は隣の青年に話しかけた。なんで僕がこのようなことをしているかといえば、明らかにオーバーワーク気味になっている父親たちを見て我慢ができなくなり、手を出してしまったからだ。

 洗濯なんて領主の仕事ではないのだが、人手が足りないのだから仕方が無い。兵士たちは休ませておかないと今後の襲撃に対処できなくなるし、従者や使用人の数も限られている。一人でも多くの労働力が必要だった。

 ま、技術と文明が発展した現代ですら、育児現場は戦場だという話だからな。使える機材の少ないこの世界では、さらに大変である。ああ、紙オムツと粉ミルクが欲しい。レトルト離乳食もだ。


「申し訳ありません、お貴族様にこのような汚い仕事をやらせるなど……」


 ひどく恐縮した様子で、青年が言う。エルフとスズメの赤ん坊を一人ずつ抱えていたあの青年だ。もう一人いたエルフの幼児は、年長の子供たちが預かってくれている。


「こちとら敵兵の返り血やら臓物やらを浴びるのがお仕事なんだ。この程度で汚いなどと言っていたら騎士は務まらんよ」


 手早く糞便を洗い流しつつ、僕は言う。一応は貴族階級とはいえ、ブロンダン家はあくまで貧乏宮廷騎士の家系である。家事も自前でこなす必要があった。洗濯も手慣れたものだ。


「あの、アル様、お手伝いいたしましょうか?」


「い、いや、ここは自分がやりましょう。城伯様はどうぞお休みになってください」


 上司が働いている中で休むのは気が引けるのだろう。騎士や兵士たちがそんな風に話しかけてくる。しかし、僕は彼女らをシッシと追い払った。


「今のお前たちの仕事は体を休めることだ。上司の前で職務放棄を図るとは良い度胸だな? ……いざという時はお前たちが頼りなんだ、体力は温存しておけ」


「しかし、城伯様だって騎士でしょう? 戦わねばならないのは同じことです。その城伯様が働いておられるのですから……」


 兵士の一人が、そう抗弁する。……まったくこいつら、本当に優しい連中だな。僕が逆の立場だったら、まったく気にせず休憩を満喫してる所だぞ。


「僕は後ろでふんぞり返って指示を出していればそれでいいんだ。前線で働くお前たちほど体力は使わない」


「アル様、後ろでふんぞり返るどころかイの一番に前に飛び出していくじゃないですか……」


「そ、そげなことは……」


 幼馴染の騎士の一人の指摘に、僕は冷や汗を浮かべた。こうなるともう、劣勢である。あっという間に洗濯物を奪われてしまった。隣で洗濯をしていた先ほどの青年も同様である。


「むぅん……」


 臨時の洗濯場と化していた川べりから追い出された僕は、石の上に腰をかけながら唸る。なんとも不本意な結果である。……せっかくの機会だから、育児についてのアレコレを学んでおきたかったのに。いやまあ、今のところ育児どころか子供が出来るような行為ですら行う見込みが立っていないのだが。


「領主様は、慕われているのですね」


 となりに腰を掛けた青年が、苦笑しながらそう言った。彼の抱えていた赤ん坊二人は子持ちのクモ虫人(アラクネ)が預かってくれており、すぐ近くで授乳されている。文字通り、肩の荷が降りた形だ。まあ、この青年は赤ん坊以外にも大量のカゴを身体に括り付けているのだが。……あのカゴ、一体何がはいってるんだろうね? なんか中からゴソゴソ音が聞こえてくるんだけど……。


「そうかね? まあ、いい部下に恵まれたとは思うが」


「ええ、もちろん。こうやって、積極的にみんなが手を貸してくれるわけですから。ウチの旦那なんて、頼んでも全然手伝ってくれないんですよ。『ガキん世話は男ん仕事じゃ』って」


 旦那というのは、妻……特に本妻のことである。この世界では、通常の場合男は旦那とは呼ばれないのだ。


「部下と旦那じゃ話が違うだろ? ……ところで、その……旦那というのは、エルフの?」


「ええ、そうです」


 なんでもない事のように、その青年は頷いた。


「……聞きづらいことだが、君は、その……リースベンの?」


「はい、だいたいご想像の通りだと思います。旦那は、ボクを攫って行ったエルフの兵隊ですよ」


「なるほど」


 僕は腕組みをして、小さく唸った。彼もまた、なかなか悲惨な経緯でエルフの集落にやってきたようだ。


「と、すると……やはり、故郷に帰りたいか?」


「そりゃ、帰れるものなら帰りたいですが。しかし、そういう訳にもいかないでしょう? エルフの子どもなんか抱えて実家に戻ったら、大事になってしまう」


 ため息を吐きつつ、青年は己の赤ん坊の方に目をやった。エルフとスズメの赤ん坊二名は、クモ虫人(アラクネ)娘の乳房にむしゃぶりつき、喉を鳴らしている。

 クモ虫人(アラクネ)は人型の上半身とクモの下半身を持つ亜人だ。人型の上半身に関してもクモの特徴が現れた姿をしており、美しくも恐ろしい。なかなかの異形っぷりだが、赤ん坊たちは微塵も怖がる様子を見せていない。彼女らにとって、クモ虫人(アラクネ)は見慣れた存在なのだろう。

 ガレア王国では、虫人はあまり目にする機会がない。しかし、リースベンではそれなりの数の虫人原住民が居るようである。なにしろ虫人は異形めいた外見の者が多いので、ある意味エルフ以上にガレア移民たちとの融和には難儀するかもしれないな……。


「エルフの子供をカルレラ市や農村で受け入れるのは、やはり難しいかな」


「難しいでしょうね。みんなエルフは大嫌いですし。下手をしたら、叩き殺されてしまうかも」


 そう言ってから、青年は悲しげにほほ笑む。


「ハッキリ言って、旦那はいまだに恨んでますけどね。でも、子供に罪は無い。経緯はどうあれ、あの子たちにはボクと同じ血が流れているわけですから……」


「……」


 僕は思わず黙り込んだ。実際、これはなかなかに難しい問題だ。両エルフェニアのリースベン移住は無事決定されたが、受け入れる側のリースベン領民たちはすぐには納得してくれないだろう。

 移住どころか、カルレラ市へ入ることすら許可されないに違いない。農村に関しても同様の対応が取られるだろう。領主とはいえ、それらの判断を強引に覆すような真似はできない。案外権限が弱いんだよ、ガレア王国の領主は。

 そのような状況では、彼ら拉致被害者の立場はなかなか難しいものになる。リースベン領民は彼らの返還を求めるだろうし、エルフどもは絶対に手放そうとはしないはずだ。融和どころか、更なる断絶の要因になりかねない。


「旦那もヴァンカ様に連れていかれてしまって、これからどうなるかはわかりませんけど……エルフと子供を作ってしまった以上は、ボクもエルフたちと共に生きるしかない。今はそう思っていますよ。……だから領主様、そんな顔をしないでください」


「……すまない、僕の力不足だ」


 できれば、彼らは故郷に帰してやりたい。だが、今後どのような政治的妥結が図られるのかわからない以上、僕は彼らに「必ず故郷へ帰してやる」とは約束できないのだ。彼が自分の意志で今のような表明をしてくれるのは、正直とても有難かった。

 ヴァンカ氏の起こした反乱を鎮圧したあとも、今回のような問題は延々後を引き続けることだろう。リースベンとエルフェニアの和解には尋常ではない労力を必要とするはずだ。

 ……まったく、オレアン公もなんと厄介な土地を寄越してくれたものだろうか。文句を言いたい心地になったが、彼女はすでに亡くなっている。なんとも残念な話だ。亡くなる寸前の彼女の顔を思い出して、僕はため息を吐いた。

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