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第3話 くっころ男騎士とセクハラ宰相

 それから数時間後。叙爵やらなにやらのもろもろの儀式を終え、僕は王宮のむやみやたらと広い廊下を歩いていた。

 お偉方の長話やら保守派貴族からのやっかみやらに長時間晒され続けた僕の精神は、すっかりヘロヘロになっていた。こんな敵ばかりの場所からはさっさと抜け出して、自宅のベッドでゆっくり休みたい気分になっている。


「おや、おやおやおや」


「んげ」


 しかし、そんな僕の望みは無残に打ち砕かれた。長い黒髪の女と出くわして、僕は潰されたカエルのような声を上げた。宰相である。彼女は無駄に整った顔をにたりと好色にゆがめ、僕に向かって大股で歩み寄ってくる。


「ずいぶんと酷い対応じゃあないかね? ええ、アル君?」


 笑みを顔に張り付けたまま、宰相は馴れ馴れしく僕の肩に腕を回した。豊満な胸が背中に押し付けられ、甘美な感触をもたらす。そのまま流れるような動きで、僕の尻を撫でまわした。言い訳のしようのないセクハラムーブである。

 宰相の熱い吐息が耳にかかり、背中にゾワゾワとした感覚が走る。尻を撫で続ける手つきはひどくイヤらしい。何しろ相手はとんでもない美人なので、興奮するなという方が無理だろう。何といっても僕は前世でも女性経験は皆無だから、耐性などあるはずもなく……。


「宰相閣下……ご勘弁を!」


 が、この世界の貞操観念は僕が元居た世界とは男女が逆転している。しかも、かなり古い価値観で、だ。

 女性が男性にセクハラするのはなあなあで済まされるのに、男がそれに乗ってしまうと淫乱扱いされてしまうのだから恐ろしい。いくらなんでも理不尽にもほどがあるだろ。ヤられたらヤりかえして何が悪いんだ。いや、やり返すほどの根性はないけどさ。


「また君は閣下だなどと……気軽にアデライドと呼べと言っているじゃないか、ねえ?」


 粘着質な笑みと共に、宰相ことアデライド・カスタニエは僕の頬を指先でなぞるようにして撫でた。もうこの人ルートに入って(ゴールして)いいんじゃないかという気分になってくるが、何しろ相手はお偉いさんで、僕は下っ端のクソザコ貴族だ。向こうは完全に遊びのつもりでコナをかけているに違いない。

 いくら童貞でも……いや、童貞だからこそ、飽きたらポイと捨てられてしまうことがわかっている相手とは付き合いたくないんだよな。僕の前世がヤリチンの類なら、割り切ることもできたんだろうけど。


「あ、アデライト……とにかく、皆見ています。どうか許してください」


 ポイ捨てされるのもビッチ扱いされるのも勘弁願いたいので、なんとか宰相の身体を引き離そうと抵抗してみる。もちろん相手は偉い人なので力ずくとはいかないが、幸いにも宰相はあっさりと(しかし名残惜しそうな表情で)僕から体を離した。


「まったく、相変わらず身持ちが固いねえ? 私と君の仲じゃないか、少しくらいサービスをしてもいいと思うんだがねぇ」


 どういう仲かと言えば、債権者と債務者である。僕は彼女に多額の借金をしているのだ。大半は、僕の部隊の装備を整えるために使った。質の良い軍馬やら新方式の銃やらを用意できるほど、貧乏貴族出身の僕の財布は大きくないのだ。残念ながら。


「いえ、その……しかし……」


 そういう訳で、僕は彼女には強く出られない。いや、正直に言えば、彼女のような美人からセクハラされるのはむしろだいぶ興奮する。しかし、この世界の貴族の男としては、貞淑アピールをしないわけにはいかない。ひどいジレンマだ。いい加減自分に正直になりたい。

 とはいえ、ただでさえ男騎士などという珍妙な役職についているわけで……この上淫乱などという風評が流れれば、いよいよ結婚相手が居なくなる。そうなれば貴族としてはオシマイだ。跡継ぎを残すのも貴族の重要な仕事の一つであるわけだし。


「ふん……まあ今日のところは許してあげよう。ついて来きなさい、話がある」


 面白くなさそうな顔で肩をすくめ。踵を返して歩き始めた。僕はセクハラから解放された安堵感と美女からのボディタッチが終わってしまった悲しみを同時に味わいつつ、彼女に続く。債務者が来いと言っているのだ。僕に拒否権などない。


「……」


 まったく、厄介なことばかりだ。僕は宰相の背中を眺めながら、内心ボヤく。こんな苦労をしているのも、僕が男だてらに騎士などやっているせいだ。しかし、ではなぜ騎士になったかと言えば、僕の選択のせいである。自業自得ということだ。

 僕の前世は、タチの悪いミリオタだった。それを拗らせすぎて、日本を飛び出し他国で軍人になった。そのまま大尉までスマートに出世できたのは良いのだが、平和維持(PKO)活動に参加していたある日、テロ組織の自爆攻撃を喰らいあっけなく死んでしまった。

 あのまま行けば佐官に、そして最終的には将官に上がるのも不可能ではなかったはずだ。そのリベンジを果たすべく、転生後も軍人を目指したのだが……。


「ここだ」


 過去に思いを馳せていた僕の思考は、宰相の声で現実に引き戻された。彼女はちらりとこちらに目を向けてから、廊下の片隅にある部屋へと入っていく。少々怖いが、僕に拒否権はない。警戒しつつ、部屋に入る。

 品のある装飾が施された小さなテーブルと椅子が置かれた、小さなティールームだ。宰相はにたにたと笑いながら椅子に腰を下ろし、体面の席を指さして僕の方を見た。


「はあ、ご相伴させていただきます」


 僕が席に着くと、給仕服の男性使用人が慣れた手つきで香草茶の入ったカップを宰相と僕の前に置いた。この世界では、メイドは男の仕事である。王宮で働く彼らは、侍女ならぬ侍男(じなん)などと呼ばれている。


「用意がよろしいのですね」


 湯気を上げるカップを一瞥してから、僕は言った。どう見てもお茶は淹れたてだ。僕がこの部屋に入ってくる前から準備していたに違いない。


「アル君を待たせたくはなかったからねえ」


 キザな伊達男のようなセリフだが、宰相が言うとなんだかやたらと下心が透けているように感じるから不思議なんだよな。黙ってさえいれば美人なのに……普段の言動のせいだろうか。


「それはありがとうございます……で、話というのはやはり?」


 さすがに、単なる世間話のために呼んだわけではないだろう。僕が切り出すと、宰相は呆れたように肩をすくめた。


「相変わらずせっかちな男だ。少しくらいは会話を楽しもうという気はないのかね?」


「申し訳ありません、そういうタチでして」


 この女のペースに乗っていたら、いつまたセクハラされるかわかったものではない。これ以上ベタベタされたら、いよいよ僕の自制心が吹っ飛んで軍人ルートから淫乱ルートへ転落待ったなしだ。

 やれやれと肩をすくめつつ、宰相は使用人たちに退室するよう命じた。あまり多くの人間に知られたい話題ではないようだ。


「まあ、アル君もだいたいは予想できているだろう? 話というのは、あのオレアン公についてだ」


 あの鬱陶しい保守派重鎮の名前を出しながら、宰相はひどく苦々しい表情を僕に向けた。


「やっぱり……」

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