第294話 くっころ男騎士と夜戦
エルフ謹製の焼夷剤の威力は凄まじいものがあった。暗闇の帳を纏っていた夜の森はあっという間に火の海に飲み込まれ、鮮やかな火炎が踊り狂う。周囲には刺激性のある煙と臭いがたちこめ、ひどい有様になっていた。
「だ、大丈夫なのかコレは……」
悲鳴を上げつつ逃げ惑うエルフ兵たちを見ながら、僕は呟いた。「"正統"の兵士は炎を怖がらない。ビビっているのは敵兵だけ」というオルファン氏の主張はある程度真実らしく、明らかに恐慌をきたしているのはヴァンカ派の兵士だけだった。"正統"の連中はむしろ愉快そうな様子であり、逃げる敵に追撃を喰らわせる余裕すらあった。
こんなひどい状況でこの余裕っぷりなのだから、火計に巻き込まれることにすっかり慣れてしまっているとしか思えない。どれだけ火炎放射器兵を多用してきたんだ、"正統"軍。そんな調子で畑を焼いてるから飢饉から脱することができないんだぞ!
「この火勢だと、村まで延焼するんじゃないか?」
「問題無か」
部下を引きつれ悠々と本隊との合流を果たしたオルファン氏は、ひどく機嫌よさげな表情でそう答えた。もう、びっくりするくらいのニコニコ顔だ。"新"に対して相当鬱憤が溜まってたんだろうなあ。三者会談じゃヴァンカ派の元老たちに随分とひどいことを言われてたしな……。
「男子供はお前らん街まで連れて行っとじゃろう? こん街が燃え尽きたところで困ったぁ僭称軍ん連中だけじゃ」
「……」
「……」
僕とダライヤ氏は同時に頭を抱えた。ううーん、すがすがしいまでのバーバリアンぶり。敵にも味方にもしたくないタイプだな、オルファン氏は。流石に味方の"新"の将兵に聞かれぬよう、声を絞る程度の配慮があったのは不幸中の幸いだった。聞かれてたらこの場で同盟が崩壊してたかもしれん。
……でもなあ、たしかにルンガ市はいっそのこと燃え尽きてもらったほうが良いかもしれない。この街を維持し続けようとすると、防衛の為に戦力を割かざるを得なくなる。一方放棄する場合、街に備蓄してある物資がヴァンカ派に渡ることになる。どちらにしても、僕らリースベンとしては面白くない事態だ。しかし、物資が街ごと燃え尽きてしまえばそれらの懸念も完全に解消される。幸いにも、住民の避難はすでにほぼ完了しているようなものだし……。
「昔は優しい子じゃったのにのぅ……すっかり染まりおって……はぁ……」
なんだかひどく悲しげな様子でダライヤ氏がボヤいてらっしゃる。元オルファン氏の教育役としては、やはり思うところもあるのだろう。流石にちょっとかわいそうだ。
「……ま、まあ、とりあえず今は奴らを追い返そう。今はあれこれ話し合いをしている場合ではないし」
こほんと咳払いをして、僕は敵兵の方を見た。今は混乱している様子のヴァンカ派兵だが、相手は戦うことにかけては天下一品のエルフどもだ。このまま放置していたらあっという間に統制を取り戻し、反撃を仕掛けてくることだろう。その前に出来るだけダメージを与えておきたいところだ。
「射撃で敵を圧倒する! 総員、構え!」
あっけにとられた様子で火災現場を見ていたリースベン軍の将兵が、慌てた様子で小銃を構えた。エルフ兵たちも、心底嬉しそうな様子で弓を引き絞る。"正統"兵はもちろんダライヤ派の"新"の兵士たちもひどく元気な様子なのだからタチが悪い。お前たちの街の郊外で大火災が発生してるわけなんだが、危機感とか抱かないんだろうか……。
いやまあ、相手はエルフである。いい意味でも悪い意味でも恐れ知らずの勇士しかいない頭のおかしい種族だ。深く考えていては身が持たない。具体的に言うと胃に穴が開く。気にしないのが一番だろう。
「射撃開始!」
銃声と弓鳴りが同時に燃える森の中で響き渡った。鉛球や矢を受け、数名の敵兵が倒れる。射撃数の割に戦果は少ないが、森の中ではこんなものだろう。あちこちがボーボーと燃えているとはいえ、身を隠せる遮蔽物はまだあちこちに存在するのだ。
「グワッハハハ! 無様よなぁ僭称軍! 虫けらんごつ蹴散らさるっ心地を貴様らにも味合わせてやっ!」
「大将首はどっかのぅ……若様に献上しよごたっんじゃが」
何やら物騒なことを言いつつ、味方のエルフたちは心底楽しそうな様子で敵に連続射撃を撃ち込んでいた。必死の形相で鉄砲の弾込めをしているリースベン兵とは大違いだ。本当に怖いよこいつら。
「叛徒などと結託しよって! エルフん恥さらしども!」
「どいつもこいつもあん毒夫にたぶらかされたんか!? 男に狂うた年寄りどもめ、許すまじ!」
しかし、こちらもエルフならあちらもエルフである。混乱しつつも、反撃に魔法や弓矢を打ち返してきた。しかもその射撃の隙間を縫うようにして、突撃まで仕掛けてくる。
魔法が魔術師の専売特許である竜人や獣人と違い、エルフはほぼ全員が魔法の素養を持っている。そのため、剣を構えて吶喊しつつ魔法も放つ、などという器用な真似もできるのである。射撃の応酬は大変に熾烈なものになった。
「ぐっ!」
「要救護者二名! 衛生兵! 衛生へーい!」」
こうなると、我々も一方的な射撃で圧倒するというわけにはいかなくなる。倒れる味方兵も増え始め、敵の肉薄を許してしまった。バカでかい巻貝の笛を吹き鳴らしつつ、木剣を構えたエルフ兵集団が猛烈な勢いで我々の隊列へと襲い掛かる。
……アレどう見てもほら貝だよね? なんでほぼ内陸国みたいになってるエルフェニアの人間がほら貝なんかもってるの? マジでわけがわかんない……。
「あんボケどもを若様に近寄らせっな!」
「短命種ん兵子どもにもなっ! 短命種より後に死ぬんはエルフん恥ぞ、命捨てがまってん守り切れぃ!」
リースベン兵たちは必至の形相で銃剣付き小銃による槍衾を作ったが、その穂先が敵に届くよりも早く味方エルフ兵が敵の前へと立ちふさがった。木剣同士が打ち交わされる鈍い音が僕の鼓膜を叩く。
「今じゃ! 打ち崩せ!」
助けてくれるのは大変に嬉しいが、迎撃に人が取られると射撃の手が緩んでしまうのである。むろん、敵はこの隙を逃さない。弓を放っていたエルフ兵も武器を木剣に持ち替え、突撃に参加してくる。
「ライフル兵! 弓兵! 敵を近寄らせるな! 制圧を続けろ!」
あわてて迎撃を命じるが、上手くはいかない。何しろここは森の中だ。木々を有効活用して接近してきた敵兵が、あっというまにこちらの隊列へとりついてきた。こうなるともう、こちらも剣や銃剣で対抗するしかない。敵味方の入り乱れた白兵戦へと逆戻りだ。
「むぅ……」
思わず顔が引きつりそうになるが、なんとか耐える。やはり、森の中で射撃戦に徹そうというのが無理な話なのだ。なんど戦線を引き直したところで結果は同じだろう。腹をくくって、僕はサーベルを抜いた。
「隊列は崩すな! 押し返せ!」
この状況で同士討ちを避けるには、ガッチリとスクラムをくんで味方とはぐれないようにするほかない。竜人や獣人ならまだしも、エルフ兵に関しては本当に敵味方判別が難しいのだ。隊列から少しでも離れれば、味方の手によって袋叩きにされてしまいかねないだろう。
おまけに、周囲は相変わらず景気よく燃え盛っている。煙やにおいのせいで非常に息苦しいし、異常な熱気が甲冑を炙って内部をサウナ状態にしている。僕はもう、全身汗でびしゃびしゃだった。喉はすっかりカラカラで、今すぐ浴びるほど水を飲みたい心地だ。だが、今はそんなことをしている余裕は微塵もない。なんとハードな戦場だろうか。クソッタレめ。
「面白くなってきたじゃないか……!」




