第281話 未亡人エルフとスタンピード
私、ヴァンカ・オリシスは困っていた。完全に想定外のタイミングで戦端が開かれてしまったからだ。むろん、交渉の結果がどうあれ"正統"との戦闘は継続するつもりだった。だが、リースベンを巻き込む気はさらさらなかったのである。
このあまりにもくだらない内戦は、エルフの身から出た錆びだ。只人や鳥人たち、その他のこの地に住む種族たち……彼女・彼らですら、出来るだけ巻き込まぬようパージを進めていたというのに、外国にさえ迷惑をかけるというのは我慢がならぬ。恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。
「おい、おい! 何を勝手に戦っている! 私はそのような命令は出していないぞ!」
「じゃっどん、ヴァンカどん! あん毒夫を除かんなマズイことになっど! 腰抜けん年寄り共が、男ん色気に迷いよって……!」
進撃するエルフどもを制止しようとする私だが、連中は聞く耳を持たない。戦を前にしたエルフは得てしてこういう状態になるものだが、いくらなんでもこれはひどすぎる。昔のエルフは、戦バカなりにあれこれ考えていたというのに……いまのこいつらは、目の前の餌に食いつくことしか頭にない畜生のようだ。
しかし、今回の一件……どうしてこんなことになったのだろうか?当然だが私は攻撃命令など出していないし、むしろ待機するよう強く命じていた。にもかかわらず、この暴走。解せぬ。むろん、我が配下は特級の愚か者ばかり。命令を聞くにもある程度の頭は必要なのだから、馬鹿なこやつらにはそれだけの知能すら無かった可能性もありはするのだが……。
「ダライヤめ……!」
だが、おそらくは違う。下手人は、おそらくダライヤだ。あの腹黒、悪だくみだけなら天下一品の我が幼馴染……! あの女は、いつだって『自分は無力な苦労人ですよ』という顔をしながら裏ではコソコソ動いているのだ。今回だって、同じだろう。
目的は、おそらく和平に不満をもつ者のパージ。ヤツの目的はあくまでエルフ賊の存続にしかないわけだから、新エルフェニア帝国などという国家がどうなろうが知ったことではない。組織を割ることに躊躇はないだろう。……まあ、私も新エルフェニアなどどうでもいいのだが。
「はあ、まったく」
なんとも言えない心地になりつつも、私はバカの行進の後ろにひっついて森の中を進んでいく。呆れすぎてもう家に帰ってふて寝したいような心地になっていたが、そういうわけにはいかない、放置していたら、このバカどもは一体なにをやらかすか分かったものではないからな。
一番心配なのは、ブロンダン殿だ。あの大柄な竜人騎士が護衛についているのだから、まあ大丈夫とは思うのだが……こちらは戦うことだけは大得意な害悪生物である。万が一ということもある。そしてエルフにつかまった男の末路など、ただ一つ。そんなことになる前に、なんとかこの馬鹿を抑えねばならない。
「ヴァンカどん、連中は川船と合流しようとしちょっとかね。あん船、ないやら厄介な武器を載せちょっちゅう話だが」
配下のバカ氏族長が、そんなことを聞いてくる。意見が欲しいなら、命令を聞くかせめて検討する素振りくらいは見せてほしい。こちらの指示を完全に無視して動いておきながら、平気な顔をして意見を求めてくるとは……どういうツラの皮をしているんだ。
……いや、仕方ない。仕方が無いのだ。マトモな頭をしている奴は、私が片っ端から粛清してしまった。私の派閥に残っている連中は、肥大化した自尊心を誇りと取り違えている最悪な愚か者だけだ。……いや、何やら今は、リースベンを叩けば男が手に入ると思っている昆虫並みの倫理観しか持ち合わせていない馬鹿も合流しているようだが。
……馬鹿の博覧会か? 頭が痛くなってきたな……どうしようもないにもほどがある。こんなバカ集団など、滅んだ方がマシだ。そう、ブロンダン殿が思ってくれれば良いのだが。
「おそらく、そうだろう。あの船には、大砲とやら……火を使って鉄矢を放つ、大きな弩のような武器が搭載されている。おそらく、それを使って逆襲を目論んでいるのだろう」
内心呆れつつも、私はそう応えた。……自分で言っておいてなんだが、たぶんこの予想は間違っている。あの大砲とやらを使って反撃する気ならば、我々を川港か河原あたりに誘導しようと動くはずだからだ。しかし、ブロンダン殿はエルフェン河に直行するルートを選択していない。あの男が無駄な動きをするとは思えないので、なにかしらの思惑があっての行動だろう。
しかしもちろん、私はその予想をバカどもには話さない。思惑? 結構、それでブロンダン殿が無事にリースベンに帰還できるのなら万々歳だし、何かしらの反撃を目論んでいるのならそれはそれでよい。バカどもの間引きになる。
「走れ走れ! チンタラしていたら、獲物に逃げられるぞ!」
私は部下共を無意味に急かした。エルフとはいえ森の中を走ればそれなりに疲労する。戦うまえに馬鹿どもを疲れ果てさせ、ブロンダン殿を援護する作戦だ。エルフどもは野蛮な声を上げながら、私の命令に応える。
「もうちょっと慎重に立ち回った方が良かとじゃらせんか、ヴァンカどん。連中がないかしらん罠を張っちょっ可能性もあっ」
そう言ったのは、氏族長の一人だ。まあ、十中八九罠はあるだろうな。ブロンダン殿にしろ、あのソニアとかいう竜人騎士にしろ、なかなかの戦巧者のように見える。無為無策で行動するなどあり得ないことだろう。
「罠? 大変結構。そのようなものは正面突破するのがエルフの生きざまというものではないか」
「ヴァンカどんのゆ通りじゃ!」
「男ん罠を避くっような真似は雄々しか! 正面から叩き潰してやろう!」
私のバカみたいな主張に、バカどもが同調する。……愚か者どもめ。私が若い頃のエルフは、敵の罠を逆に利用して嵌め返すくらいの真似は平気でしていたものだ。何も考えずにただ攻撃、などという真似は決してしなかった。……まあ、今となっては昔の話だ。
そういう訳で、われわれは考えなしの猛追をつづけた。まるで暴走だ。まるでというか、まあ完全に暴走なのだが。いうなれば、狂った獣の大行進である。そしてその無謀の対価は、思ってもみない形で訪れた。
「……おや」
ひゅるひゅると、奇妙な風切り音が上空から聞こえてくる。違和感を覚えて天を仰ぐと、木々の隙間から何かが見えた。いくつもの小さな物体が、白い尾を曳きながら飛翔している。まるで小魚の大軍だ。これがブロンダン殿の策だろうか。そう思いつつ、飛翔体を目で追うと……。
「ウッ!?」
飛翔体が落下すると同時に、複数の火柱が上がった。そして一瞬遅れて、とんでもない地響きと爆風が我々を襲う。その威力はすさまじく、私は無様に地面に転がった。霞む視界の中、森中の小鳥が、ワッと飛び立っていくのが見える。
「なんだ、何が起こった!」
「わかりもはん! 戦略級ん攻撃魔法やも」
「馬鹿言え、こげん魔法を使ゆっような術者は、叛徒どもはもちろんリースベン勢にもおらんやったじゃらせんか!」
部下共が、わあわあと叫んでいる。私は目をこすりながら、なんとか立ち上がる。……間違いない、ブロンダン殿が何かをやったのだ。私は、己の顔に笑みの形に歪んでいくのを感じた。
「……素晴らしい」
いったい何が起こったのか、それはわからない。しかし、尋常ではない大爆発が起きたのは確かだ。私はポンチョについた土埃を払うのも忘れ、爆心地の方を見続ける。あの地響き、火柱。まるで噴火だ。ラナ火山が火を噴いた日の記憶が、脳裏をよぎる。
「ああ、ああ……なんということだ」
あの噴火を機に、エルフの国は滅茶苦茶になった。きっと、この噴火も、同じ結果をもたらしてくれることだろう。魔法を使ったのか何かしらの道具を使ったのか、それはわからない。しかし、そんなことはどうでもよいことだ。
「……そうか、そういうことだったのか。ブロンダン殿、貴殿が我らの滅びだったか」
なんとも素晴らしい。私は込み上げてくる笑いを抑えきれなかった。この力があれば、食料不足による大量餓死などというしゃらくさい手段に頼らずとも、我が夫の遺言を成し遂げることができるのではないだろうか?
「う、ふ……うふふふ、これが、運命というヤツか。そうか……うふふふ……」