第213話 くっころ男騎士と新勢力
ダライヤ氏らはそれから二日間カルレラ市に滞在し、新エルフェニア帝国へと帰っていった。交渉自体の進展はほとんどなかったが、まあ実質的に初顔合わせのような会議だったのだからこんなものだろう。
連絡員に関しては、お互い三名ずつ交換することで妥結した。新エルフェニア側はウルを留任し、さらにエルフが二名追加。一方、僕は自らの幼馴染の騎士たち三名を送ることとした。なにしろ、重要かつ危険な任務だからな。一番信用できる連中を選抜する必要があった。
「ンヒィ……」
エルフたちがカルレラ市を去った三日後。僕は自らの執務室で、書類の山に埋もれていた。この世界の封建領主は前世で言うところの三権(司法権・行政権・立法権)を一手に握る役職なわけだから、当然処理すべき業務もすさまじい量があるわけである。
机仕事というのは、どうも肌に合わない。合わないが、自らの職務を投げ捨てるわけにもいかないのである。ウンウン言いながらペンを走らせていると、執務室のドアがノックされた。「どうぞー」とやる気のない声で返事をすると、入ってきたのはカリーナだった。
「お兄様、手紙が来てるよ」
ニッコリと笑ってそう言うわが義妹は、デスクワークの疲れも吹き飛ぶ可愛さだった。カリーナ自身も士官候補生としての教育の真っ最中だから、ひどく忙しいはずなのだが……それでも、こうして暇を見ては僕の仕事まで手伝ってくれる。何ともありがたい話だ。
「おお、助かる」
手紙の束を受け取ると、カリーナは当然のような顔をして頭を突き出してきた。撫でてくれという合図だ。とにかく、この牛娘は頭を撫でられるのが好きなのである。むろん、拒否する理由もない。彼女の白黒の髪をぐりぐりと撫でまわしてから、僕は手紙の方に目を向けた。
「ええと……いろいろ来てるな」
手紙は数十通もあり、なかなかに多い。少々げんなりしながら差出人を確認していると、見逃せない名前を見つけてしまった。
「げえ、アーちゃん」
その手紙に書かれていた差出人名は、クロウン。そのほかには苗字すら書かれていない不審極まりない手紙ではあるが、僕にはこの名前に覚えがあった。隣国・神聖帝国の元皇帝、アレクシア陛下……通称アーちゃんの偽名である。
リースベン戦争に偽名で参加していた彼女の手により、僕はひどい迷惑を被っている。さらに、和平交渉の際に起きたトラブルにより、彼女は僕に妙な執着をみせるようになってしまった。正直、名前すら見たくない相手だが……流石に、そのまま捨てるわけにもいかない。僕はため息を吐いてから、卓上に置いたナイフを使って封蝋を外した。
「面倒ごとじゃなきゃいいが……」
ボヤきつつ、内容を流し読みする。アーちゃんは少々……いや、かなりアレな性格をしているが、腐っても大国の元皇帝。丁寧な字と典雅な文体で、時候の挨拶や当たり障りのない近況報告がつづられていた。……そこまではいい、よくある御機嫌伺いの手紙である。問題は、その後の本題だ。
『ソニア殿にへし折られた我が腕は完治いたしましたが、貴方に開けられた我が心の穴は、治るどころか日々大きくなるばかりであります。この傷を癒すには、再び貴方から特効薬を頂くほかないでしょう。いずれまた領地にお邪魔いたしますので、その時はししなにお願いいたします』
……要約すると「そのうちまた会いに行くから、その時はキスしてね」だろうか? なんだろうね、この人。実際のアーちゃんはまさに唯我独尊という言葉が高身長豊満ドスケベボディを得て擬人化したような女なんだが、手紙ではキャラが変わってしまうようだ。
しかし、キスねえ。なんか流されて唇を許しちゃった僕も悪いが、味を占めて二回目を要求するアーちゃんもアーちゃんだよ。あんた、敵国の元皇帝でしょうが。……などと考えていると、封筒から金色のモノがポロリと落ちてきた。
「わあお」
拾ってよく見てみると、それは金貨だった。大昔に滅んだ大国が鋳造していた、純度の高い高価な代物である。……そう言えば、前回は"キス代"として魔法の短剣を貰ったが……今回は現金か。いよいよもって売春めいてきたな。何とも言えない気分になりながら、僕は彼女のことを思い出した。
身長二メートルオーバー、かつ体格に見合った非常に豊満なバストを持った獅子獣人の美女。それがアーちゃんである。おまけに家柄も非常に良いときている。それほどの人物から迫られるのは、まあ悪い気はしないが……性格がちょっとな。どうかしてるくらいの人材マニアだし、身勝手だし、エロい感じで迫ってくるし……いや最後のは長所かもしれない。少なくとも僕にとっては。
「参ったな……」
何にせよ、敵国のお偉いさんからカネをもらうのはヤバイ。下手をしなくてもスパイ嫌疑をかけられてしまう可能性がある。とくに、この金貨はめったに出回らない貴重な品物だからな、下手に市場に流せばあっという間に足がついてしまいそうだ。
エルフ関連だけでも寝不足になりそうなほど厄介なのに、更なる火種を押し付けるのはやめてもらいたい。さあてどうするかね。腐ってもカネだ、死蔵するのは惜しいし……。
「……そうだ」
ひとつアイデアを思いつき、手紙の束を探ってみると……見つけた。シンプルな白い封筒に書かれた差出人名は、ニコラウス・ヴァルツァー。アーちゃんに使える名うての魔術師にして、世にも珍しい男性軍人である。
リースベン戦争で、僕は彼を狙撃し足を吹っ飛ばしている。が、同じ男性軍人ということもあり、戦後も多少の交流は続いていた。交流というか、男性の権利拡大を目論む彼が、一方的に僕を仲間認定してるだけのような気はするんだが。
「よし、やっぱりか……」
封筒を開いて中身を確認する。内容は、いつも彼が送ってくる手紙と大差ないものだ。彼が主導している権利拡大運動の現状説明と、助力の要請である。ちょうど臨時収入があったから、ぜひ運動にご協力させてもらおうかね。敵国内部に潜んだ反動分子に、活動資金を渡す……十分に、我が国の国益に資する行為だろう。
「さあてと」
僕は立ち上がり、執務室に備え付けの暖炉へと歩み寄った。そしてアーちゃんの手紙にライターで火をつけ、炉の中に投げ捨てる。
「え、お兄様……いいの、燃やしちゃって」
困惑した様子でカリーナが聞いて来たので、僕はニヤリと笑って言ってやった。
「いいんだよ。世の中には、人に見せられないような手紙だってある」
「そ、それって間諜的なやつ!?」
我が妹は、目をキラキラさせながらズズイと近寄ってきた。彼女は十四歳、その手の謎めいた分野には興味津々のお年頃である。可愛いね。
「まあ、そんなものだ。敵国内に潜んでいる、僕の知り合いからの手紙だよ」
「へぇーっ! すごい!」
嘘はいってないぞ、嘘は。
「しかし、ちょっとくたびれてきたな。カリーナ、時間はあるかい? もし手すきなら、お茶に付き合ってくれると嬉しいが」
「いいの? もちろん!」
全身を使って大喜びする義理の妹を見ていると、こちらまで元気になってくる心地だった。目の前で大いに揺れている体格に不似合いな豊満な胸のせいで別の部分まで元気になりそうだったが、それは足の指にぐっと力を入れて我慢する。こんなところで兄の威厳を失いたくはないからな。
「よしよし。じゃあ――」
壁際に控えた従兵に、僕が声をかけた瞬間だった。突然に、執務室のドアがノックされる。
「アル様、わたしです」
声の主は、ソニアだった。カリーナが一瞬ひどく嫌そうな顔になったが、まさか我が副官の入室を拒むわけにはいかない。僕はこほんと咳払いしてから、「入れ」と短く返した。
「ラナ火山付近の探索に出ていた翼竜が帰還いたしましたので、ご報告いたします」
部屋に入ってきたソニアは、平素と変わらぬ口調と表情でそう言った。だが、付き合いの長い僕にはわかる。これは、何かあった時の態度だ。
「ン、どうだった。変わったことでも起きたか?」
翼竜隊は毎日のようにラナ火山に派遣し、救援物資の投下を行っている。この火山の付近に、カラス鳥人がいることが判明していたからだ。カラス鳥人の居る場所には、エルフもいる可能性が高い。ダライヤ氏とは別の情報ルートを構築するのが、僕の目標だった。
「例のカラス鳥人から、平和的な接触を受けたようです。そして着陸を求められ、騎手はそれに応じたのですが……」
「ふむ」
「着陸した先には、エルフの集落があったそうです」
「やるじゃないか!」
狙い通りの流れである。僕は思わずぐっと手を握り込んだ。
「で、どうだったんだ。奴らは、自分たちを何と名乗った? 新エルフェニア帝国か」
「いいえ。……正統エルフェニア帝国。彼女らは、自分たちの勢力をそう呼んでいたそうです」
「正統、正統と来たか……」
どうも、ダライヤ氏らとは別勢力の様子である。僕は小さく唸ってから、なんとも嫌そうな表情のカリーナに向けて頭を下げた。
「すまない、カリーナ。茶会はまた今度になりそうだ。……ソニア、直接報告を聞きたい。騎手は竜舎か?」
さてさて、正統エルフェニア帝国ね。いったいどんな連中だか知らないが……とりあえず、ダライヤ氏の話がどこまで真実なのかは確認できそうだ。少しだけ、肩の荷が下りたような心地だった。……まあ、錯覚だったけどな。




