第212話 ロリババアエルフと蛮族カラス娘
ワシ、リンド・ダライヤは、上機嫌な心地でベッドに身を投げ出していた。時刻はすでに深夜。ブロンダン殿から提供された客室は手入れが行き届いており、真新しいシーツの感触が肌に心地よい。
「いやー、若い男と飲むなぞ一体何百年ぶりかのぅ。やはりいいもんじゃ」
昼間の会議はひどくつまらぬものじゃったが、その後の酒宴はとてもよかった。若い男とサシで飲むなど、何百年ぶりじゃろうか? ……記憶を探ってみると、そもそも男と一対一で酒を飲んだ経験自体がないような気がする。これだけ永く生きておきながら、なんと華のない人生じゃろうか……はあ……・。
「大婆様、人に『絆されんよう注意せい』などちゆちょいて、自分だけお楽しみと?」
などと聞いてくるのは、腹心のカラス族ウルじゃ。ヤツは半目になりながら、ワシを睨みつけてくる。
「なぁにを言うておるか。一番いい思いをしとるのはオヌシじゃろう。まったく、ちょっとの間にぷくぷく太りおって……そのうち、目方が増えすぎて飛べぬようになっても知らんぞ!」
耕作地の減少とそれにともなう食料不足は極めて深刻じゃ。特に敵対勢力のエルフ火炎放射器兵の活動が極めて厄介で、今年だけでもかなり数のサツマ芋が成長しきらぬまま地中で焼き芋になってしもうた。同胞相手に兵糧攻めを仕掛けるなぞ、本当にろくでもない連中じゃ……。
そういう訳で、現在の新エルフェニアの人間は上から下まで例外なく一日一食の食事を強いられておる。なんなら、丸一日水以外は口にせぬという時もあるほどじゃ。そんな中でこのカラス娘は、ここしばらく三食酒付き男付きの酒池肉林生活を楽しんでおったわけじゃから、まったく羨ましい限りじゃ。
「まあ、ここが楽園んごたっ場所なんな事実じゃっどんね。マァ、向こうにもそれなりに思惑があって、あてをもてなしちょっちゅうたぁ分かっどん」
その漆黒の翼をパタパタと振りながら、ウルはため息を吐く。このカラス娘は、頭の方は実によく回る。リースベンの者たちが自分に優しくするのは、情報を得るためであるということはキチンと理解しておるようじゃ。
「役得というヤツじゃな。ま、せいぜい楽しめばよいじゃろう」
笑いながらベッドから立ち上がり、小ぶりなテーブルの上に酒瓶を置く。ブロンダン殿からお土産にもらった、例のブランデーじゃ。壁際の棚から陶器製の小さな杯を二つ持ってきて、酒瓶から琥珀色の液体を注ぎ入れる。その片方をウルに渡してやると、彼女は「あいがとごわす」と一礼し、それを受け取った。
上司であるワシが部下に酒を注いでやるというのも変な話じゃが、鳥人連中はモノを持ったまま歩くことができないのだから仕方がない。本来ならエルフなり只人なりの従者がやるような仕事じゃが、今この場にはそのような者はおらぬしな。
「……」
ウルのヤツは酒杯を足でつまんだとたん、妙に寂しそうな表情で視線を空中にさ迷わせた。
「どうした」
「いや、なんちゅうか……自分の足で酒を飲んちゅうとが、こげんとぜんねもんじゃとは。やっぱい、男ん手で飲ませてもらうとがいっばんじゃなあ」
「飲ませてもらったんか、男の手で」
「……」
カラス娘は、その褐色の肌を真っ赤に染めて頷いた。ひどく照れている様子じゃった。
「誰じゃ、ブロンダン殿か」
「ん」
目をそらしながら、またウルは頷く。ワシは思わず、額に手を当ててしもうた。エルフェニアの鳥人たちにとって、誰かから直接食べ物や読み物を貰うという行為は、親子や夫婦の間でしか行われぬ特別な物じゃからな。未婚の男が、未婚の鳥人に酒を飲ませてやる。これは、ほとんど求婚に近い。
「……ブロンダンどんは、お前らん習慣にちて知っちょっとか?」
言葉を普段のものに戻し、小さな声で聞く。盗み聞きを警戒してのことじゃ。ブロンダン殿はそれなり以上に歓迎してはくれているが、それでもここが敵地であるという現実は変わらんからのぅ。
「絶対知らんやろう」
「じゃあ、どうすっど。なんちゃって新婚生活を楽しんだけでおしめか?」
まだしばしの間はウルにはこの街で働いてもらうつもりではあるが、流石にいつまでもというわけにはいかん。明らかに色気づいている様子の部下に、ワシは呆れた目を向けた。
「お互い勘違いしちょっフリをして仲を深め、抜き差しならんくなったタイミングで偶然を装いこん習慣を教ゆっ。あとは『あてん純情を弄んだんか!』てゴネれば晴れてあては既婚者ん仲間入りちゅう訳じゃなあ」
「お前……」
我が部下ながら、あまりにセコい。エルフであれば、「そげん雄々しかおなごはエルフェニアにはいらん。腹ァ切れ!」と言われかねん態度じゃが、こやつはカラスじゃしのぅ……。
「政略結婚じゃ、政略結婚。あては故郷ん為、わが身を犠牲にしてこん国に嫁入りすっとじゃ」
「ほーん」
ワシは軽蔑しきった目でヤツを見ながら、酒杯のブランデーを一気に飲み干した。濃度の高い酒精が喉を焼き、思わず咳き込みそうになる。……やはり、ワシはもうちょっと軽い酒の方が好みじゃな! 目尻に浮かんだ涙をぬぐいつつ、ワシはため息を吐いた。
「では、将来的にはワシとオヌシは義理の姉妹になるわけじゃな?」
言葉を戻し、ニヤリと笑いかけてやる。そうすると、ウルは眉を跳ね上げながらぐいと詰め寄ってきおった。
「どげん意味じゃしか」
「そのままの意味じゃよ。政略結婚! 素晴らしい響きじゃなあ。ワシのような化石級の売れ残りが婿を手に入れるには、略奪か政略結婚しかないのじゃ。わかるじゃろ?」
「お、大婆様もアルベールどんを!?」
「しっ、声が大きい! 連中に聞かれたら、警戒されるじゃろ。静かに話すんじゃ」
「す、すみもはん」
ウルは唇を尖らせ、酒杯を口に運んだ。そしてちょっと顔をしかめ、舌を出す。やはり、この酒は我々には少々キツすぎるようじゃ。水で薄めんことには、飲めた代物ではない。どうもブロンダン卿は普段この手の酒をそのまま飲んでいるような口ぶりじゃったが、流石にそれはどうかと思うぞ……。
「交渉がある程度まとまった段階で、ワシの本来の身分を明かす。ブロンダン殿も戦争は望んでいない様子じゃったからな。こちらから政略結婚を申し込めば、なかなか断れぬハズじゃ」
エルフは歳を取らぬ。つまり、いくら年齢があがろうとも性欲は減退せぬということじゃ。実際のところ、アルベール殿の身体はだいぶソソる。酒を酌み交わしている間も、ワシは頭の中でずっとあの鍛え上げた肉体を寝床で弄ぶ妄想をしておった。ああ、たまらんのぅ。
あのような生真面目で意志の強そうな男を猫かわいがりして、ワシにだけ甘えた顔を見せるようにしつければ……さぞ愛らしかろうな? 想像するだけで、股が濡れてくるほど興奮してきたわい。んっふふふふ……
「セコかねぇ」
「お前にいわれたくないわっ!」
渋い表情で言い捨てながら、慎重にブランデーを飲む。ちょっぴりだけ口に含むと、なんとも芳醇なブドウの香りが鼻孔をくすぐった。香りはよいんじゃがなあ、酒精がなあ……。
「こちとら、もう数百年も同胞のために働いて来たんじゃ。いい加減、隠居しても良いじゃろう?」
とくにラナ火山が噴火してからは、苦労ばかり多い日々じゃった。もういい加減、楽になりたいんじゃよ。普通のエルフなら二百か長くとも三百年もすれば夫を迎えて隠居をするというのに、何が悲しくてこれほど永きにわたって働き続けねばならんのか。
「数百年ちゅうか、千年以上やなあ?」
「ア、そうじゃった、うぐぐ……まあ何にせよ、子を産み、育て、そして死んでいく。それが生物として正しい生き方というものじゃ。自然の摂理に逆らい続けるのも疲れてきた。そろそろ、我が人生も終幕の時じゃよ」
エルフにとって、結婚と隠居は同じ意味を持つ言葉じゃ。なにしろ、子を孕んだエルフは加齢が再開するからのぅ。あとはせいぜい、数十年しか生きられぬ。子を産んだ後の人生は、余生のようなものじゃ。
若い燕を捕まえて、甘やかしたり甘やかされたりしながらただれた余生を過ごす。それが、若かりし頃からのワシの夢じゃからな。あとは四、五人ほど子供を産んで、そやつらに見送られながら老衰で穏やかに逝く……はー、なんとも魅力的な最後じゃのぅ。
「まあ、大婆様んゆことじゃっで、あては否定しもはんが」
ウルはため息を吐いてから、卓上の水差しを使って酒杯のブランデーを薄めた。そしてそれを一気に飲み干し、もう一度息を吐く。
「あてらん幸せな結婚のためにも、エルフェニにはしきっだけ高か値札を付けてアルベールどんに売り払おごたっところじゃなあ。きばりたもんせよ、大婆様」
「ああ、任せておけ。このボロボロの国を、出来るだけ綺麗に畳んでやるのがこの婆の最後のお役目じゃでな」
 




