第180話 ナンパ王太子と次世代軍制
とりあえず、リースベンに王家の息のかかった人物をねじ込むことには成功した。余は内心で安堵のため息を吐きながら、男中(女中の男版)を呼んで香草茶を注文した。緊張のせいか、喉がカラカラだった。
「そういえば……」
退室していく男中の背中を見送ってから、余は自分の腰に目を向けた。そこには、牛革のホルスターに収まった大型拳銃がある。先日の内乱で、アルベールから借り受けたものだ。
「すっかり忘れていたが、これを返しておこう。貴重なものだろうからね、借りっぱなしというわけにもいくまい」
拳銃をホルスターごとベルトから外し、テーブルの上に乗せる。……しかし、連発式拳銃か。何度見てもすさまじい代物だな。こんなものが普及したら、騎兵の戦い方はずいぶんと様変わりしてしまうだろう。
「ああ、これですか。返さずとも結構ですよ、殿下」
拳銃を見たアルベールはにこりと笑い、こちらへ押し返してくる。
「……いいのかい?」
「ええ。これを作った工房から、宣伝を頼まれておりましてね。王太子殿下ご愛用の品となれば、これ以上ないほどの広告となりましょう」
「いや、王太子を金儲けの道具にする気かい? 君もなかなかワルだな」
笑いながら、余は再びホルスターをベルトに固定した。実際、余はなかなかこの銃を気に入っていた。もらえるのであれば、有難く貰っておこう。
「悪いことついでに、これもお渡ししておきましょう。……ジルベルト」
「はっ!」
アルベールの後ろに控えていたプレヴォ卿が、持っていたカバンから五冊の本を取り出してテーブルに並べる。タイトルはそれぞれ、『野戦指揮官教範』『歩兵操典』『砲兵操典』『騎兵操典』『兵站術心得』だ。手書きではなく活版で印刷された量産品で、簡素だが丈夫そうな装丁だった。
「これは……」
『野戦指揮官教範』を手に取り、めくってみる。……思わず、気が遠くなりかけた。これは、鉄砲や大砲を用いた軍隊の兵法指南書だ。土産物のような気軽さで出してきていい代物ではない。
なにしろ、アルベール式の軍制がどれほど強力なモノなのかは、この内乱やリースベン戦争で証明されている。あの精強なパレア第三連隊ですら、アルベール式軍制を採用した部隊には一方的な敗北を喫しているのである。そんな新軍制の指南書だ。下手な禁書の類よりもよほど危険な本なのではないだろうか?
「だ、大丈夫なのか? こんなものを余に渡して」
「渡さないほうが不味いと考えました」
それまでの笑みから一転し、アルベールは神妙な表情で視線を机の上の本に向ける。
「この本は、僕がリースベン代官に任ぜられる前に書き上げたものです。小銃と大砲を主軸に編成された軍隊の指揮法、戦術、作戦術、さらには各兵科の戦法や訓練のやり方まで、何もかもがこの本に詰まっています」
「……それで?」
「これらは、すでに辺境伯軍の公式教範として採用されています。とうぜん、編成についてもこの本の通りに転換しつつあるのです」
なるほど、言われてみれば辺境伯の私兵たちはライフルで武装していた。アルベールは、正式な騎士になる前から辺境伯の配下だった人物である。辺境伯軍がいち早くアルベール式の軍制を取り入れ始めるのも、当然のことだろう。
「一方、王軍はほとんどが伝統的な編成のまま……これは、非常によろしくない。王軍と辺境伯軍の戦力バランスが崩れてしまう」
余の懸念の根幹を突くような言葉だった。そう、余が恐れているのは辺境伯軍の反乱だ。オレアン公に続き、スオラハティ辺境伯まで反乱を起こしたら……ガレアと王家は滅茶苦茶になってしまう。王太子として、それは絶対に避けねばならない事態だ。
「辺境伯様は、お優しい方です。王家に牙を剥くような真似は、絶対になされないでしょう。しかし、戦力バランスの変化は情勢不安を招きます。そのうち、不埒な考えを持った人間がどこぞから湧いてくる可能性も高い……」
「そうだな。たとえ王軍と辺境伯軍がぶつかり合うような事態が起きずとも、王家や王軍を侮る者が増えるのはよろしくない」
余の言葉に、アルベールがしっかりと頷いた。……と、そこで部屋の扉がノックされた。注文していた香草茶が出来たらしい。慌てて本を隠し、入室を許可する。そして香草茶を受け取ると、ほとんど追い出すような勢いで男中を退室させた。
「しかし良いのか? この本は、おそらく辺境伯軍の軍機に属するものだろう。そんなものを外に流出させたことが露見すれば、キミもただでは済むまい」
「一応、辺境伯様の許しはいただいております。辺境伯様も、内戦は絶対に避けたいというお立場ですから……即座に許可を出してくださいました。……まあ、辺境伯軍の軍人からすれば、面白くはないでしょうが」
そこまで言って、アルベールは湯気の上がる香草茶を一口飲んだ。……そうか、スオラハティ辺境伯も了承済みか。朗報と言えば、朗報である。内乱を避けたいのは向こうも同じであることが分かったのだからな。
しかし、しかしだ。辺境伯は、自らの愛人を平気で戦場に出すような卑劣な女だ。正直に言えば、まったく信用ならない。歩み寄ったフリをして、こちらの背中を刺してくる可能性もある。警戒を緩めるわけにはいかないな。
「……しかし、王都は僕の故郷です。ここが、二度も戦場になるような事態は絶対に避けたい。……そのためには、王軍には無敵の存在であってもらわねば困るのです。なにしろ、勝てない相手に戦争を仕掛ける馬鹿はそう多くありませんからね」
「なるほど、分かった」
思わず、涙が出そうになった。辺境伯はさておき、アルベール個人は決して私利私欲の人間ではない。余は、そんな確信を持ちつつあった。
脳裏に浮かぶのは、アルベールの休日の姿だ。昼間は小娘どもと王都巡りをし、夜になれば安酒場で見ず知らずの女どもと痛飲する。なんとも陳腐で……楽しげな日常だ。そんなくだらない毎日を守る事こそが、彼の目的なのかもしれない。……やっと、この男の本質を理解できたような気がした。
「ありがとう、感謝する。……しかしだ。万が一、余がこの力を侵略に利用するつもりだったら……どうする?」
いたずらめかしているが、半分は本気だ。我が国は複数の敵対的な国家と国境を接している。状況次第では、我が国の方から戦端を開くこともありうるだろう。
「この方式……火力戦ドクトリンをもとに編成された軍には、決定的な弱点があります。はっきり申しますが、外征に使うのはオススメしかねますね」
「……というと?」
アルベールは、ニヤリと笑ってから香草茶を飲んだ。丁寧な動作でソーサーにカップを置き、言葉を続ける。
「火力戦型の軍隊は、ひどく大喰らいです。一度の会戦で射耗する弾薬の量は、荷馬車の一台や二台で賄えるものではありません。当然、戦闘部隊は重厚長大な輜重段列(いわゆる補給部隊)を引き摺りながら機動せざるをえません」
「……」
「そうすると当然進軍速度は遅くなりますし、補給路を叩かれるリスクも増えます。国内、あるいは国境地帯で戦う分にはなんとかなるでしょうが……敵国の中心部に進軍すれば、ほぼ確実に途中で補給体制が破綻します。そうなれば、戦わずしてわが軍は負けますよ」
「なるほど、な……。いや、面白い。誰もかれもが防衛型の軍隊を編成するようになれば、自然と戦争も少なくなる……君は、そういう絵図を描いているわけか」
よく考えられている! 余は思わずうなりそうになった。思えば、リースベン戦争でも今回の内乱でも、アルベールは敵を迎え撃つ戦法を多用している。火力戦ドクトリンとやらで編成された軍隊は、攻勢に向いていないのだ。
「流石だな、ますます君が欲しくなった。……どうかな、余の元で働いてみないか? 与えられる限りの最高の待遇は約束するが」
感動しつつも、余はなんとも複雑な気分になっていた。銃や大砲の飛び交う戦場が、いかに悲惨なものになるか……経験の少ない余でも、多少は想像することができる。そしてアルベールは、その地獄のような戦場に身を投じようとしているのだ。
これが、竜人であれば余も気にせずにいられた。だが彼は只人で、さらに言えば男なのだ。いかに鍛えたところで、その肉体は戦闘向きとは言い難い。
竜人は、亜人の中でも特に戦闘向きの人種だ。つまり、我々は男たちを庇護する義務を負っている。その義務を投げ捨て、男を戦場に追いやるなど……気分の良いものではない。
「申し訳ありませんが、そういうわけには参りません。辺境伯様にも宰相閣下にも、並々ならぬ恩義がありますから。これを裏切ることは、僕の信条に反します」
「……そう言うと思ったよ。残念だ」
予想通りの答えに、思わずため息を吐いてしまう。アルベールを直接の部下にすれば、あらゆる問題は解決するのだ。彼を前線に出さないよう差配することなど、造作もない話だからな。本人が満足する程度に軍事に関わらせつつ、緩やかに飼い殺しにすればよい。それが本人のためにもなる。
しかし、現実は無情である。今の余に彼の人事をどうこうする権限はない。なぜならば、彼はすでに宰相たちのモノだからだ。せめて宰相や辺境伯の毒牙にかかってしまう前に彼と出会っていれば、このような苦悩など感じる必要などなかっただろうに。これが極星のお導きだとすれば、なんとも残酷なことだ。