【A視点】うるわしの白百合
「他になにか聞きたいことはある?」
それならばと私は聞いてみた。無神教の視点で。
なぜ信徒は神を求めるのかと。
物理的に存在しない相手が、困った時に手を差し伸べてくれるはずもない。
ありもしないものにすがる理由は何かと伺うと。
「人生の指針かなあ。その人たちにとってはそれが神様だったってこと」
彼女はこう述べた。
長い人生の途中では必ず、どうしようもなく辛い時がやってくる。
そのとき、何によって立ち直り歩きだせたかは人それぞれではあるが。
一人でも迷える子羊の救済となるように、宗教は存在する。
神の御言葉に心打たれて、生きる希望を与えられた人も大勢いるのだ。
実際、世界中に信徒があふれているあたり。
愛だけで地球は救えないが、一人の人間は救えるかもしれないということ。
……その理屈で言えば、まさしく私は彼女によって救われたと断言できる。
外見の美しさも相まって、女神様と形容しても過言ではないほどには。
「あたしがノンクリスチャンなのもそう。人生に必要としてるのは神様じゃないからね」
そう言って、彼女はさりげなく腕を組んできた。
そんな感じで、信仰心のかけらもない私達は件の教会へと到着した。
確かに彼女が言ったとおり、飾り気のない施設の屋根に十字架が立っているだけであった。
せいぜい、入り口に『本日クリスマス礼拝 どなたでもお気軽にご出席ください』と達筆な文字でつづられた紙が貼られている程度である。
「らっしゃーせー」
軽い調子で中高年の女性集団に出迎えられたので、ギャップに戸惑ってしまう。
彼女もおひさっすーと古くからの友人に接するような態度で、大きくなったね攻撃をけたけた笑いながら受け流している。
「よく来てくれたね」
彼女のご両親が私へと丁寧に頭を下げる。
釣られてこちらも深々とお辞儀を返した。
教えに反することを行っている立場ということもあり、今は後ろめたさを感じてしまう。
「よかったら。今日のお土産にどうぞ」
彼女のお母さんから、丁寧にラッピングされたお菓子の詰め合わせを受け取った。
しかし、カゴの数が多い。
教会内にいる人の数に対して、明らかに作り過ぎと言ってもいい量だ。
「12個のカゴだなんて洒落てますねー」
「パンくずにすれば傑作でしたのに」
私たちの後に入ってきた出席者が、カゴを指差し笑っていた。
他の人も釣られて笑っていた。意味が分からない。
「そうそう。実は私ディナー作ってきたのよ」
その出席者の一人が、大きな包みをテーブルへと広げる。
重箱に入っていたのは、ロールパン5つとメザシ2匹。
付け合せがぶどうジュース。質素にもほどがある。
「ちゃんとちぎって人数分分け与えるんですよー」
「これは最後の晩餐ですわ」
私を除く出席者全員が腹を抱えて笑っていた。意味が分からない。
彼女に聞くと、聖書のパロディと返ってきた。ノリの良い人達である。
さて改めて礼拝堂を見渡すと、私の思い描く教会とはずいぶん違う殺風景な内装が広がっている。
板張りの床に、木製の長椅子。
暖房は効いているものの、ずいぶん寒々しい印象を与える。
入り口から祭壇までまっすぐに白い布が続いていて、壁には木を二本交差しただけに見える十字架が掲げられている。
左右の観葉植物はシュロの木だ。
あとは、伴奏用のパイプオルガンが設置されている程度。
一応クリスマスなのでツリーもキャンドルも置いてあるものの、飾らないという意向に沿ってか色合いは控えめだ。
「ね、地味っしょ」
彼女が耳打ちしてくる。
そうだな、とは首を振れなかった。
「あ」
思わず声を上げる。
講壇の横、小さなテーブルに儚く咲くものを見つけたからであった。
真っ白な花びらを目いっぱいに開く、テッポウユリの花瓶を。
落ち着いた雰囲気の中でその存在は、ひときわ輝いて見えた。
「ああ、これ?」
私の視線に気づいたのか、彼女が花瓶を指差した。
「イースター・リリーとも呼ばれるやつだね。教会では縁深い花なんだよ。葬儀の献花もこれかカーネーションだしね」
「花言葉でもあるのか?」
「生命と純潔の象徴。理由はイエスの母であるマリアが清らかな身体で身ごもったからだってさ。受胎告知って絵が有名だね。カトリックだと白バラもそうかな」
聞いたことがある。
だから、キリスト教は処女性を重視するのか。
「皮肉だよね」
美しく咲き誇る白百合へ、一瞬だけ酷薄な笑みを浮かべて彼女は踵を返した。




