【A視点】温泉回ですよ③
水面に、化粧を落としたみすぼらしい己の素顔がゆらめく。
視線のやり場がなくなってしまった。
思わず余計なことを考えてしまう。
彼女はいつもと変わらず、接してくれているということは。
私のことは、何も意識していないということなのだろうか。
自分が女としての魅力なぞ欠片もないことは重々承知だが、一人空回りしている現状に複雑な想いが募っていく。
……だめだ、振り払おう。
そういう目で見るために、ここに来たわけではないのだから。
見てごらんよ、と彼女が空を指すので浴槽に頭を預ける。
切り取られた夕闇の空に伸びる、煌びやかな枝葉が飛び込んできた。
紅葉の木だ。
「やっとこの時期に色づくんだねえ。京都とか今すごいっけ」
ところどころ黄色の絵の具をにじませたような、真っ赤に燃え盛る葉は今の空によく映える。
湯けむりに包まれて、鮮やかに色づく木々を眺めていると。
さっきまでのよこしまな感情が浄化されていく気すら感じた。
まもなく11月も終わりを告げて、本格的な冬へと到来する。
それに呼応して、落葉寸前に紅へと身を染めて散りゆく時を待つ様は儚い。
だからこそ美しく感じるのかもしれない。
「9月はお月見で、10月はハロウィン系ならさ。それまで秋の象徴だった紅葉やどんぐりとかは11月のシンボルに指定してもいいんじゃないかと思うんだよ。ちょうどこの時期が見頃なんだし」
11月が不遇の月にあるということを、未だに彼女は気にしているのであろうか。
発言に同意すると。
「なんか、いちばん日本の秋って感じるんだよねえ。11月って。9月はもう実質夏だし、10月もたまに暑いし」
「……秋、好きなのか?」
なんとなくそう思ったので聞いてみると。
「うん。好きだよ。ご飯美味しいし、過ごしやすい季節だから」
「そうか」
付き合ってからのデートを思い返してみると、秋と重なっていたこともあったが自然をめぐる散策が多かった気がした。
温暖化が進む現在では暑さと寒さに1年が塗りつぶされ、春や秋物の衣類が売れなくなっている現状。
特に秋は、秋らしい気候を感じることも少ないまま冬へと移行する年が増えてきたと思う。
自然だけが、自然のままに空気を読んで四季を彩ってくれている。
それを肌で実感したくて、彼女はどこぞの童謡のごとく小さい秋を見つけに出かけていたのかもしれない。
その後は香り高いひのき風呂や疲れをほぐすジェットバスを周り、一通りの露天風呂を満喫したので上がることにした。
着替える私に配慮したのか、彼女は内風呂をまためぐるので先に上がってていいよと言ってくれた。
そこまではよかったのだが。
「…………」
「だから首まで浸かるなゆーたやんけ」
着替えて、2階の食事処へ向かおうとしたタイミングで私は立ちくらみを起こした。
肩から急に力が抜けて、ふらふらと手すりにしがみつく。
体中に燻った火照りが抜けず、じわじわと体力を搾り取っていくような倦怠感に肉体が支配されている。
見事に私はのぼせていた。
というか、私より長風呂だった彼女がまるっきり平気なのはどういうことなのか。
「気持ち悪くない?」
「ない。少し休めば治る」
「先言っとくけど、お腹はまだ大丈夫だから。空いたら言ってね」
というわけで。
私はお休み処のさらに奥、茹だった者専用の座敷へと身体を横たえていた。
そば殻の枕に頭を置いていたはずなのだが、気がつくと首の角度が高くなっていた。
い草の香りと、甘く嗅ぎ慣れた香りが鼻腔をくすぐる。
私の顔を覗き込むように、彼女がほいと買ってきたコーヒー牛乳のパックを差し出した。
「……何故膝枕?」
「他に誰もいないので」
「脚、しびれるぞ」
「寝てる横でスマホぽちぽちしてたら、なんか失礼じゃん」
「それこそ誰もいないのだから、気にする必要は」
「最初は寝てるあんたの横で正座してたんだけど、なんかおく○びとっぽい構図で笑えてきてさ」
いまいち、この人の笑いのツボはよく分からない。
化粧を落としている今は、決して綺麗とは言えない素肌が上から丸見えとなっているので気になってしまう。
「ごゆるりとおくつろぎくださいませー」
が、楽しそうに額を撫でている姿を見ると言葉が出なくなってしまった。
入浴後の彼女の手のひらはすべすべで、柔らかい指が這い回るたびに頭からふやけていくよう。
心地よい感触に、もう少しこのままでいたいという気持ちが強くなっていく。
今はこのひと時に身を委ねて、抱いてしまったふしだらな想いを拭い去ろう。
そう誓って、私は気持ちを逸らすべく彼女と取り留めのない会話を続けた。
だけど、後に知ることになる。
自覚してしまった感情は、もうリセットなど効かないという事実を。




