【A視点】ハロウィン記念日③
私は前回絶賛したホットケーキを。これだけだと物足りないので、季節限定のオニオングラタンスープも付けて。
対する彼女は……小さめの器に盛られたリゾットらしきメニューのみ。
付け合せのサラダも小鉢に入っている。それで足りるのであろうか。
「お腹空かないか、それ」
「ちょっと、カロリーのバランスを」
聞けば今日のお昼に、ハロウィン記念ということでオーナーがドーナツを差し入れてくれたらしい。
平均300キロカロリーオーバーのオールドファッション系統が中心だったそうで、ついついみんなでばくばくいってしまったらしく。
「美味しかったけど。フレンチクルーラー系だったらまだ罪悪感薄かったのに」
ひとつあたりのカロリーが低くても、食べ過ぎれば無意味だと思う。
そういえば、高校時代も彼女はジャンクフードを食べているところはあまり見なかった気がする。美を保つために、常日頃から食生活にまで気を使っているのだろう。
「少しくらいなら大丈夫だろう」
新しいナイフを手に取って、まだ口がついていない二段目のケーキに入れる。
一口サイズに切り分けると。
「はい」
別のフォークに刺して、眼前に突き出した。
ちらちらと私のお皿に視線が向けられていたので、こちらから食べなと促すほうがいいと思ったのだ。
「ちょっ、」
一方、彼女は驚いたままの表情で固まっていた。
声を詰まらせたように口をぱくぱくさせて、視線があちこちを彷徨っている。
「……?」
一向に食べようとしない彼女に疑問を感じ、ああ何もかけていなかったかと味の好みを聞こうとしたところで。
ようやく己が何をしようとしていたのか気がついた。
「…………悪い」
美味しいから食べてみな、と子供に勧める感覚でやってしまった。
彼女の職場で。無意識に配慮がないバカップル紛いの行動に出てしまった。
一言詫びて、フォークを引っ込めようとすると。
「むぐ」
手首を掴まれて、彼女がぐっと身を乗り出した。
一瞬のうちにケーキがさらわれて、フォークの先が露わになる。
パン食い競走を彷彿とさせる速さであった。
「うん。美味しい」
口元を手で覆い隠して咀嚼しながら、彼女が舌鼓を打つ。
急速に顔に熱が充填されていく。
やり場のない羞恥に脳内を支配されて、向かい合って食事をすること自体がとてつもなく恥ずかしい行為に思えてきた。
手持ち無沙汰にフォークを握る私の右腕は、まだ彼女の柔らかい手の鎖につながれていて。
「……もう一口」
二回目は、お互い照れが入っていたので筋肉痛同士みたいなスローモーションの動作で事を終えた。
「ありがとうございましたー」
会計を済ませてお店を出ていく。
外には行列ができていたので、ピーク前に食べられたのは幸いであった。
「…………」
店を出る前からこの調子だ。
お互い熱が抜けず、無言のまま街中を歩いていた。
会計時に店長さんから冷やかされたのがとどめになったか。
こちらが定型文を口にする前に、小声で『ご馳走様でした』と言ってくるとは。
でも、間を流れる空気は決して居心地の悪いものではなかった。
今もなお、固く繋がれている熱い手が物語っている。
寒い夜だったので手袋をはめたところ、並んで歩き出した途中で隣の彼女の手がさりげなく滑り込んできた。
手袋の中に。
脱ぐと、即座に剥き出しになった手のひらに細い指が絡んでくるのを感じた。
繋ぎたいなら言えばいいのにと言いたくなったが、こういった無言のアプローチも新鮮で可愛いものだと思う。
時折口元が上向きで震えているのが、一層愛しさを増長させた。
「あの、さ」
何分か歩き続けて、ようやく彼女が口を開く。
「実はあたし、この歳になってだけど。ハロウィン初めてなんだよね」
「それはまた」
知らなかったとかではなく。初めてとはどういうことだろう。
「この日は別の記念日のほうで覚えててね。むしろハロウィンは異教徒の祭りだとか言われて悪いイメージで定着していたと言いますか」
悪いイメージ。そう思われても仕方ない事例は日本でも記憶に新しい。
”変態仮装行列”と揶揄されたいつかのハロウィンが分かりやすいであろう。
ただ、彼女が指しているのはそういった事柄ではないようであった。
「禁止自体はされてないよ。ただ、小さいときからそれを親に刷り込まれるとブレーキ踏んじゃうねって話」
もともと、ハロウィンは宗教色の強い行事だ。
現代ではただの娯楽として仮装する文化だけが残ったが、相容れない考えの人にとって、行事として定着するのは良い気持ちはしないのであろう。
「今は違うよ。親元から離れたのもあるけど、やっとしがらみが抜けて楽しもうって思えるようになったから」
絡んだ指が、一層強く握りしめられる。
彼女はようやく私の方を向くと、万歳でもするように繋いだ手を持ち上げて。
「初めてのハロウィンをあんたと過ごせてよかった」
初めて。そう強調されたことに、私の中で熱が高まっていく。
己と過ごす今日をもっと楽しませたいと、しばし頭を熟考させて。
「もう少し、見て回るか。街中」
「うん」
そう言おうと思ってた。囁かれて、離したくないとでも言うように片方の手が繋いだ二つの手を撫でさする。
そのまましばらく、私たちはハロウィンに熱狂する若者たちが跋扈する街中を歩き回った。
特に会場が定められていない街であっても、仮装する人々の群れは絶えることがない。
雰囲気に浸かる楽しさを、一番大切な人と共有できる。それが何よりも嬉しかった。
もうすぐ、彼女はこの街に引っ越してくる。
このふわふわと漂う『離したくない』という気持ちの中で距離が縮まってしまったら。
今みたいに満足だと思いこんで、私は押さえきれるのだろうか。
一抹の不安を胸にしまい込んで、私は恋人と一夜限りのハロウィンを満喫した。




