【A視点】卒業式②
それから、10分ほど私は校門付近に立っていた。
外の気温はまだまだ冷えているが、陽の下にいれば温かい。
浴びる日差しはどこまでも穏やかで、麗らかな空気は今日という日にはこれ以上無いほど相応しい空模様であろう。
生命の息吹をそこかしこに感じるこの季節が、四季の中で私は一番好きだ。
坂の両端を埋め尽くす桜並木をぼんやりと眺める。
また、今年の卒業式も花吹雪に見送られることはなかった。
ちらほらと開花しているものの、全体的にはまだ4分咲きほどであろうか。
満開の時期はちょうど3月末であるから、卒業式にも入学式にも間に合わない。
ひっそりと静まり返ったさみしげな校舎に色を添えるように、毎年ここの桜は人目がない頃に揃って着飾るのだ。
ふと、思い出す。入学式に初めてここの坂を登った日を。
すっかり散ってアスファルトへと張り付いた無数の花びらを踏みつけながら、何の期待も抱かず無心で校門をくぐった己の姿を。
あのまま、彼女と交わらず三年間を終えていたら。
一切の感慨なく、群れる他生徒を横目に坂を下りていったのだろうか。
何故だか、突っ立って背景と同化している今は。俯瞰した視点で眺めているためだろうか。
同じようにここに立っているかもしれないと、ありえたかもしれない自分の影が重なったのだ。
「おまたー」
少し暖を覚えて来た頃、ようやく彼女が帰ってきた。
心配が顔に出ていたのか、なんもされてないっすわ、と先に彼女が安心の言葉を吐いた。
「告られてました」
あの誘い方でか。
「丁重に振ったけどね」
「……勿体ない」
口を衝いて出た言葉に、同時に表情が固まる。
異性に骨の髄まで縁が無かった身の僻みと取られても、仕方がない言い方だ。まずい。
「悪い、今のは完全な失言だった」
「気にしてないよ。あたしもちょいデリカシーなかったし。自慢かって嫌味で言ったわけじゃないのはわかってるから」
お互い痛みわけじゃ、と彼女は手を振る。
即座に空気を切り替えられる人というのは、やはり眩しく感じる。
学校では地味な容貌で通していても、にじみ出る光に当てられて好意を抱く人が出てきてもおかしくないだろう。今更私は納得していた。
「本当に、喧嘩を売られたわけじゃないんだな?」
「好きの押し売りだよ」
乾いた声で、やたら棘のある言葉を投げ捨てると。
「だいいち、あんまり話したことなかった人だったしね。好きが頂上なら6合目にも来てない感じで。この先縮まる予感もないからばっさりと。でも、卒業式に言ってきた度胸は評価したいかな」
「どうして?」
もっと早く行動していれば、卒業までに成就できたかもしれないのに。
「片思いは自己満足。告白は公開処刑。同じクラスならなおさら、実らなかったらお互い逃げ場ない。
自分の一方通行な想いで振り回して、好きな人を突き落としたくないじゃん? だから後腐れなく言って、あとは連絡次第でどうとでもなる今日にした。正しい判断だと思いますぜ」
そういう見解もあるのか、と私は二回目の納得をしていた。
容姿で人目を引くぶん、こういった異性関係には一歩引いた視点を持っているのが彼女らしい。
「でも、あなたに興味ないしこれからもワンチャン無いんでむーりー、じゃ告白がトラウマになっちゃいそうだからね。彼には次の人にがんばって欲しいから言った」
一度そこで言葉を切ったため、なんて? と聞こうとすると。
「あたし、実らない片思い中だから。すまんね。って」
「えっ」
初耳の情報に目が点になる。
傷が浅い振り方として考えれば、妥当ではある。
少なくとも、冗談で流したり異性として見れないといった言い回しよりは。
自身も片思いの立場なんだと共感を植え付けることで、互いに実らない辛さを知っているから謎の仲間意識が芽生える……みたいな流れが理想か。
それにしても実らない片思いとは。
まさか、既婚者や彼女持ちの殿方に恋をしているのではなかろうか。
「ちゃいますー。おそらくフリーですー」
それならなおさら疑問だ。この人ほどの容姿と社交性であれば落とすことは容易いであろうに。
だが、片思いの対象は同世代や三次元、ましてや人間であるとは限らない。今はグローバルな世の中だ。
そこまでは彼女も友人に知られたくないであろうし。
私はそれ以上深入りはしないことにした。
「でも、ただ片思い宣言だけだと嘘だって思われそうだからね。最後はお互い雑談会。その人のどこどこがどれだけ好きかって。よく知らなかった男子とあたしは最後に意気投合したわけですよ」
それでも好意はLIKEからLOVEに変わることはない。不憫だ。
「それで、最後はどうした?」
「そんだけ。連絡先交換もなっしんぐ。好きになってくれてありがとね、みたいな感じで解散しましたとさ」
「爽やか……な終わり方になったんだな……?」
しかし、友人として、想いが交わらないというのは聞いているだけでも辛い。
これだけの魅力が溢れている人にここまで想われているというのに。
その方は幸せであり、見る目がないものだ。
「そいや待たせちゃった? 寒い?」
「いや。日向にずっといたから」
手を出す。ほんとだー、と彼女は握り返してきた。指先が微妙に冷たかった。
「じゃ、行きますか」
そのまま彼女は、私の手を引いて歩き出した。
友人と、手を繋ぐ。なんらおかしい光景ではないが卒業式という場面も重なり、妙な気恥ずかしさが募っていく。
指は、坂を下りたところで自然と離れていった。
細く冷えた感触が手の中に残される。
少しだけ名残惜しさが残るのは、私自身も卒業といった雰囲気に惑わされているのか。
「なんかいいことでもあった?」
信号待ちで足を止めたタイミングで、彼女は何気なく声をかけてきた。
「なにが」
「や、にこにこしてたから。ご機嫌だなーって」
顔に出るほど口角が上がってたのか。気分がいいことは否定しないが。
本人に面と向かって言うか一瞬迷ったが、これも他愛ない会話の一つだと思い私は口にした。
「いいものだな、と思っただけだ」
「どゆこと?」
多分、彼女とはこういった話題になったのが初めてだったからであろうか。私は新鮮な気分に浸っていた。
「恋をしている人の顔というのは、微笑ましいなと。今になって青春たるものが分かった気がする」
「…………」
彼女の声が一瞬詰まって、頬がほの赤く染まっていく。
正直片思いというのは男子を傷つけないための嘘なのかと若干疑っていたが、この反応を見る限り本当ということか。
「君だって年頃の女子でしょうに。なにいっちょ前に客観視してんじゃい」
照れ隠しであろうか。
彼女は自身のおさげを指にぐるぐる巻き付け始めた。
しかしお年頃と言われたところで。
端から、私にそういう意味での春は永遠に来ないものだと思っているので響くことはない。
「私は持たざるものだよ」
だから、人の瑞々しい恋路に触れたくなるのかもしれない。
別世界の物語を読むように、遠くから眺めて温かい気持ちになれるだけでいい。
突き放すような私の態度を感じ取ったのか、彼女は突然声色を変えて言った。
「そんなことない」
本気の意思が伝わってくる、はっきりと耳から心に届く声。
「何一つとりえがない人も、一生誰からも好かれない人もいない。気づいてないだけ」
どこにも根拠なんてないのに。
まるで彼女の中にははっきりとした答えがあるかのような確信めいた表情に、私は呑まれていた。
「本当に?」
有無を言わさない雰囲気に押されて、私は傍観者から引きずり降ろされていくような錯覚に陥っていた。
その証拠に、神でも預言者でもないただの友人に可能性の有無を問うてしまう。
丁度、山の向こうから強く温かい春風が運ばれてきた。
彼女の長いおさげが風に靡いて、光の粒子が舞う。
陽光に透ける亜麻色の髪をかき上げると、彼女は信じてねとでも約束するように指を立てて。
「いつか。きっと」




