【A視点】インターハイ個人戦②
少しこみ上げてきた感動は、試合後のインタビューで見事に引っ込むこととなった。
『優勝後のお気持ちをお聞かせ願えますか?』
『今は無き主将のために仇を取りました』
「勝手に殺すな」
横で彼女が笑いを噛み殺す声が聞こえた。
さらにカメラは部員が待機する応援席へと回り、リポーターがこの方がその主将さんなんですねーと堂々とその光景を映し出す。
顧問の隣、ぽつんと不自然に空いた席に私の写真が立てかけられていた。
ご丁寧に額縁まで付いて。
今度こそ彼女が耐えきれず吹き出した。
ツボに入ってしまったのかずっと笑い止まないので、私も釣られて笑いながら手刀を頭に落とした。
私が出場する予定であった70kg級は有言実行通り、Nが初優勝を飾った。
インタビューは奴らしく、『ライバルがいなかったので張り合いがなかったです』などと真顔で言ってのけてリポーターを凍りつかせていた。
78kg級の副主将は昨日のリベンジとばかりに、多彩な技を駆使して勝ち進んでいった。技のデパートの本領発揮といったところか。
だが、壁は準々決勝でついに立ちはだかる。
相手は先ほどこちらの後輩に負けた学校の選手であった。
こっちの階級では負けないと挑んだ熱意に押し負けて、あえなく副主将はここで敗退となってしまった。
「もうちょっとで抜けたのになー。惜しかったね」
彼女が残念そうに拍手を贈る。
そうなのだ。仮にあと数秒あればほどけていたのかもしれないが、時間が間に合わなかった。
それでも、副主将は最後まで戦い抜き、後輩同様畳を降りるまでは一切動じなかった。立派な姿であった。
試合後のインタビューでは、笑顔で相手を褒め称えている様に胸が熱くなった。
悔しさでいっぱいの気持ちを押し殺して、素直に対戦相手の強さを讃えられる。
私ですらなかなかできないことだ。思わず拍手を贈る。
「はー。おつかれー」
そうしてすべての試合が終わり、緊張がほどけていく。意味もなく横の彼女と握手を交わした。
会場で見れなかったことを心から残念に思ったが、隣に友人がいてくれたからだろうか。
一人だけ取り残されている孤独感は自然と覚えなかった。誰かがいてくれるというのは、心強いことだ。
「ん? なにしてんの」
「総括」
私は個別LINEにメッセージを打っていた。
あの会場に行けない以上、せめてここから主将としての最後の務めを果たしたかったのだ。
「セルフ寄せ書き? マメだねー。あとタイピングめっちゃ早くなったね」
「だいぶ使うようになったから」
今は長文を打つのも苦にならなくなっていた。
英語同様、こういったものは必要だと思って積極的に活用しないとなかなか定着しないものだと思う。
「終わったん?」
「ああ」
部員全員に自分なりの言葉を送り届けて、だいぶ電池残量が減ったスマートフォンを充電器に繋ぐ。
「……?」
振り返ると、何故か彼女がジャージを上に羽織っていた。冷房が強かったのかとリモコンに手を伸ばそうとすると。
「ちゃうちゃう。まだ終わってない人がいるでしょ」
それとジャージを着始める因果関係が見出だせない。まさかNや昨日対戦した女子生徒を指しているわけじゃあるまいし。
「ほれ」
突如視界が暗くなって、顔が柔らかい感触に包まれた。抱きすくめられたのだ。
何の真似だろう、と口に出そうとすると。
「3年間、本当におつかれさまでした。主将」
慈愛に満ちた、柔らかい声が頭上から掛けられる。
背中に添えられた手は、穏やかなリズムを刻んで掌が当たる。子供を労る親のように。
「……恥ずかしい」
出した声が、自分のものとは思えないほどか細くなっていた。
同時に、心の奥底を覆っていた氷が溶け出していくのを感じていた。
剥き出しになった感情に、未練が浮き彫りになっていく。
自分のミスで部員たちを決勝まで導けなかったこと。
対戦相手の女子生徒に気まずい思いをさせてしまったこと。
最後の個人戦に出場できなかったこと。
Nとの最後の対決が叶わなかったこと。
会場で部員たちの戦う様を見届けられなかったこと。
自分を応援しに来てくれた全ての人達に、満足の行く結果を残せなかったこと。
今更、どうしようもないことばかりだ。これで引退なのだから新人戦のような悔しさは覚えない。
ただ、不甲斐ない気持ちばかりが心を埋め尽くして、膨れ上がっていく。
胸へ、喉へ、そして。
「駄目だ……汚してしまうから」
私は首を振った。譲れない一線があったのだ。
「そのためのジャージだよ。我慢しないの」
至近距離で彼女と目が合う。化粧に隠れているが、目元をよく見ると泣き腫らした痕がうっすら残っていた。
あの日。新人戦で慰める前に泣いてしまったから。
きっと昨日は思い切り溜まっていた涙を流しきって。珍しく眼鏡を掛けて。
笑顔で受け止められるように、来てくれたのか。
「武道館に。みんなを、あたしを、連れてってくれて、ありがとう」
頭がそっと撫でられる。
規則正しい掌の感触に、かつて親に縋り付いて頭を埋めた記憶が呼び起こされていく。
包み込む優しさに触れてしまってからは止まらなかった。
あっという間に感情の洪水が溢れ出て、食いしばった歯からは勝手に嗚咽が漏れていく。
しばらく、私は幼児のように泣きじゃくっていた。




