【A視点】めっちゃ気にしてる人
「主将」
後輩に肩を突かれて、私は我に返った。
視線の先には顧問がいた。険しい顔つきで手招きをしている。
まずい。物思いに耽っていて、すっかり顧問の言葉を聞き逃してしまっていた。
私は急いで立ち上がると、部員の前に膝を下ろした。
「珍しいな。お前にしちゃたるんでんぞ」
「すみません」
言葉ほど顧問の声に厳しさはない。大丈夫かお主将さま、とばしばし背中を叩いてくる。いかつい容貌に反して気さくなお人柄なのだ。
しかしこの流れを気を引き締めている部員全員の前でやられるのだから、私は十分すぎるほどに情けなさを覚えていた。
後輩に申し訳が立たない。余計な雑念は捨てて、総体に専念せねば。
「皆。いよいよこの時が来た」
数多の目が、私へと注目する。一年前は考えられなかったほどに増えた、若手の部員たち。
ここまで頑張ってきたからこそ、希望を持って我が部へと門を叩いてくれた将来の有望株たちが来てくれたのだ。
「先月の金鷲旗は素晴らしい働きだった。ベスト4入りだ。これは我が校としては、実に10数年ぶりの目覚ましい結果をもたらしてくれた。
特に2年生、君たちの活躍なくしてはここまで進むことはできなかった。主将として、著しい躍進に感動を覚えている。今後も期待しているよ」
激励した2年生の中には、高校に入って柔道を始めた子もいる。
彼女たちであればきっと、来年度も素晴らしいチームを率いてくれることであろう。
「さて。1年生以外の諸君は覚えているだろうか。去年のこの時期を」
総体出場はこれで二度目。
個人戦は予選落ちであったが、団体は出場権を見事獲得した。
予選を強い先輩たちと共に駆け抜けてきたのだから、総体でも遺憾なく力を発揮できるだろう。
その希望は、あっさりと打ち砕かれることとなる。
結果は、一回戦負け。
私は井の中の蛙であった。鼻っ面をものの見事にへし折られたのだ。
全国の壁はあまりにも厚く、信じ難いことに一人残らずオール一本負けを喫したのであった。
「今は、あのときとは違う。練習に勤しみ、技を磨き、相手校を研究し、階級を上げた者も、逆に落とした者もいた。
そして、その努力は先の春高、金鷲旗に表れている。
もう、去年の悪夢は決して繰り返さないであろう。君たちはすでに雪辱を果たしている。私が保証しよう」
私は大きく息を吸った。
回りくどい言い方をしたが、つまるところ、伝えたいことはたったひとつだ。
「存分に楽しんでいこう」
言い切ると、はい、と力強い声が返ってきた。
士気は十分。大丈夫、このやる気に満ち溢れた面々であれば安心して引退できる。
そのためにも、私は示しをつけるため有終の美を飾らねばなるまい。
もう、二度と去年の醜態はさらすものか。
「お疲れっしたー」
本日も通常通り放課後の部活を終えて、私は部室内を軽く掃除していた。
今は自分たちが培ってきた経験を信じて、とにかく怪我をしないように本番に向けて備えるのみ。
戸締まりを全て終えて、帰路につこうとした時だった。
ふと、制服のポケットに入れていたスマートフォンが鳴った。
開いてみると、クラスメイトからのLINEであった。新発売のエナドリでたよー、というなんてことのない会話。
だがこういったなんでもない会話をおろそかにしてきた私からすれば、気軽に話しかけてもらえることがなんと嬉しいことか。
総体祈願にキメておくよ、と軽く送る。その間に今度は部員からの個人LINEが来たので、画面を切り替える。
最初は一言をひねり出すのに5分は要していたラリーも、最近は結構な頻度でLINEが鳴るようになったのでレスポンスが速くなったような気がする。
これも、複数相手に会話の引き出しを広げてみようと行動した成果が表れているのだろうか。
「…………」
そうして、だいぶ下のほうに埋もれてしまった彼女とのトーク画面を開いた。
日付は、実に5日前で止まっている。
最後のやりとりは総体の報告と、開催時間が記されたpdfファイルの添付のみ。
おけ。今年も見てるからねー。と彼女が送ったのを最後に、このやりとりは途絶えている。
少しだけ履歴を遡る。予選突破の報告。欠席の連絡。試験勉強の相談。主要トピックはここのところこんな感じで埋め尽くされている。
つまり、無駄がない。
ビジネス上の関係ならそれが普通であるが、プライベートがこれでは単なるつまらない人間である。
血の気が引いていく。
人間関係を広げてもっと自分を出してみる。そればかりにかまけていて、まさか一番大事な友人とのコミュニケーションを見落としていたとは。
そういえば、彼女から話題を振ることが無くなったのはいつ頃だったか。
相手任せに考えていた結果がこれだ。つまらない人間だと見切りをつけた相手に、わざわざこれ以上仲を深める理由もない。
私の中では、またも悪い癖が鎌首をもたげてきていた。負の思考の輪廻に嵌ったのだ。
そうは思っていても、今更なんと話しかければいい。
何も考えず送信していた、一年前までの自分に戻りたかった。
他の人になら一切の逡巡なく送れる話題が、彼女を相手にするととてつもなく難易度の高い任務にまで思えてくる。
こう悩んでいる時間も無駄なのかもしれない。彼女は美しく気高く人望もあって、私などとは真逆の存在。
私程度など、有象無象の友人の一人にしか過ぎないであろうに。相手の気まぐれに一喜一憂するなど、子供ではないのだから。
去年同様、今年も会場に駆けつけてくれるといった。それで十分ではないか。
心残りはあったがそれ以降も送ることはなく、総体の日がやってきてしまった。




