【B視点】ノーカンじゃない
「お疲れ様っす」
事務所に戻ると、ちょうど上がる時間だったのか従業員の男子がいた。
非番であるはずのあたしと店長の姿に驚くことなく、いつもの調子で話しかけてくる。
「あ、もしかして」
事情知ってたりする? と店長が探ると、あの妹さんとは先に会っていたと男子は答えた。
「ちょっと、そのことなんですけど」
男子はバツが悪そうに頭を掻く。え? なんか粗相でもしでかしたとか?
「はい。思いっきりキツく当たりました。ついカッとなって」
「なにやったの……」
あたしと店長は同時に顔を覆い隠した。
でも、ふだん取り乱すことは絶対にしないこの子のことだ。なんかあったんだろうと叱りつけることは棚に上げて、店長は詳しい話を聞き出した。
「なんか、あんまり悪く思ってない感じだったんで。同性がやったことだし、みたいな。そんで店長たちに謝ればそれでいいっしょ? 的な流れになりそうだったんで」
男子はなあなあの空気が我慢ならず、思わずこう言ったみたい。
絶対にお姉さんに罪を償わせてください。
被害届取り下げようとしないでください。
示談で逃げないでください。
「言いすぎでした。つい、ウチの事情と重ねてしまって。でも、それだけは譲れなくて」
ああ、だから妹さんあんな覚悟完了した口ぶりだったんだね。
だけど言ってることは正論だ。
あたしも店長もまだ被害が浅かったこともあって、あの妹さんの前だったら引き取るならいいよーで終わってたかもしれない。
あたしはともかく、前のあの子や他の被害者が苦しめられたことも忘れて。
「ありがとう。正しいことを言ってくれて」
責める道理なんてこれっぽっちもない。
あたしはさっきまでの早とちりを反省し男子に頭を下げた。店長もなんにも気にすることないよと首を振る。
でも、不思議。なんでこの男子はここまでストーカー被害の心理に詳しいんだろ。その疑問に答えるかのように、男子が口を開いた。
「……その、聞いてもらっていいすか」
何が? と一瞬頭の中をハテナマークが掠めたけど、取っ掛かりを感じた。
あ、そいや昨日言ってたわ。身内に似たようなことがあったって。
「いいよ。どうしたの?」
いつも以上に柔らかい店長の言葉に後押しされて、男子は途切れ途切れに話しだした。
「うち、ストーカー被害遭ったことあるんすよ。家族が」
それも、父親が。
男子の父親は、別部署の距離感のない男に目をつけられていた。
ちょっとしたやりとりから懐かれるようになり、そのうち社内ストーカーが始まった。
「お昼一緒にするとこから始まって。お店変えても着いてきて。自分の机で食べるようにしたら廊下から見張られてて。ホラーっすよね」
会社どころかプライベートでも監視が始まり、休日だろうと心は休まらない。自宅にだって押しかけられたこともある。
男性は次第に心をむしばまれていった。これはもう個人で解決できる問題ではないと動き始めたのに、地獄はそこから待っていた。
「誰も、相手にしてくれなかったんです。警察も、総務も、……あと、俺たちも。俺、最低でした。親父ホモに好かれてやんのーって深刻に考えてませんでした。父親が付きまとわれている光景を、コントかなにかだと思ってたんです」
ストーカー事件。その言葉を聞くと真っ先に浮かんでくるのは、男性が女性に執着するパターンばっかりで。事件に取り上げられるのもほとんどがこれ。
男なんだから。力でなんとかできるでしょ。
無意識の常識が、親しいはずの人間をもって男性を孤独へと陥れていった。
「だから、家に突然警察が来たときはびびりました。お父さんが襲われたって。そうなる前に誰も取り合わなかったせいで。こんな最悪の事態を招いてしまって」
男性は一命を取り留めたものの、手術からの人工臓器を強いられるほどの大怪我を負った。そして、傷を負ったのは体だけじゃない。
「……もう、手遅れだったんです。親父は今は仕事をしていません。あの日から笑うこともなくなりました。食べて、寝て、あとはぼーっと外をながめるだけで。ぬけがらに、なってしまったんです」
男性は心が壊れてしまった。心療内科に通ってはいるけど、治る見込みはいつになるかわからないという。
……でも、男性はひとつだけプライドがあった。あれだけの暴行を受けたのに、訴える声を上げなかったのだ。
「情けないからって。親父、それだけは譲らなくて。俺たちにバカにされたことだけは頭に残っていて。相手の示談を受け入れてしまったんです」
そして、男性の被害は知られることなく闇へと葬られた。
偏見が未だに根強いせいで、まだまだ声を上げられる人は少ない。報道されない裏では苦しんでいる人がいっぱいいるんだ。
稼ぎが無くなった父に代わって母親は身を粉にして働くようになり、男子も高校進学のタイミングでアルバイトに専念するようになった。
「……親父、あんなになっても生きようとしてるのに。周りが言うんです。情けないお父さんだねって。奥さんと子供さんに働かせておいて自分は家でグータラかって」
そうじゃないのに、と男子は怒りを顕にした声でカバンを叩いた。
「親父がいったい何をしたって言うんすか? 男だから、いい歳した大人だから。それなら何を言ってもいいんすか? 同性だからノーカンじゃないんです。だから、性別で括って軽視した犯罪とか死ぬほど許せないんです。でも、いちばん憎んでるのはそれまで軽く思っていた俺自身で。俺が、味方だったら。今でもきっと。返せよ。今までの親父を。返せ、」
そこから先は言葉にならなかった。男子は声を押し殺して泣いていた。
店長も、あたしも涙ぐんでいた。
「話してくれて、ありがとう」
うつむく男子の丸まった背中を、店長は優しく叩いた。
「よく、我慢したね。えらいよ。がんばったね」
たぶん、あたしはここにいるべきじゃないんだろう。今は二人だけでたくさん涙を流させてあげよう。
なんだかいたたまれなくなって、あたしはお先に失礼しますと小さく言って外に出た。
「…………」
外に出ると、夕方時の冷たい風が涙でにじんだ目元をさらっていった。
今はセンチな気分にいるためか、一人でいることがちょっとさみしくなってきた。つながりが欲しくて、あたしはスマホのLINEを起動する。
終わったよ。そう、あいつに送って。
返信はすぐに来た。お疲れさま。無事でいてくれて、本当によかった。と。
もう、こんなこと言うなんてずるいなあ。会いたくなっちゃうじゃんか。
あたしはこみ上げてくるものをこらえて、明日詳しく話すからねと返した。
その後、ホテル宿泊取り下げのために警察に連絡したところ。
犯人の目星がついたので被害届が受理されることになり、家宅捜索をしてくれることになった。
そのへんの処理は専門家に任せるとして。
一連の事件は一応、これにて解決となったわけだ。




