【A視点】バレンタイン(ボイタチさんとフェムネコさんの場合)
※時系列:高校時代
・SideA
校門前でチ○ルチョコレートを配る下級生、昇降口でブ○ックサンダーを配る上級生、全員の机と教卓にキ○トカットを配るクラスメイト。
全学年からチョコレートを頂ける日だったろうか、バレンタインとは。
少なくとも、わが校にもらえず涙をのむ男子は出なかったようだ。
昼休みに入って、数少ない友人のひとりにバレンタインの定義がよく分からなくなってきたと話題を振ってみると。
「表向きはもう、友チョコを食べ合ったり自分のためにチョコを買う文化になってるよ」
「中学までは、この時期になると家庭科室で女子たちが試作していたような。当日には下駄箱や机の中に忍ばせておいて、男子が一喜一憂していた記憶があったが……」
「いつの時代じゃい、それ」
彼女が鼻で笑う。『ほら見てみ』と見回すように首をぐるりと動かした。
弁当を食べ進めていた箸を止めて、他の席に目を向ける。
男子はチョコレート菓子を女子も交えてぼりぼり食べていて、後ろの席の女子連中は高そうな箱に入ったトリュフチョコレートをみんなでつまんでいる。
「そうなると、もうバレンタインに本命のチョコレートを渡して告白、といった風潮は古いのかな」
「意識させるためにやる人だっているんじゃ? カップルや夫婦間では普通に愛を深めるイベントの感覚だろうし。周囲に悟られたら冷やかされるだろうから、こっそり渡してると思うよ」
「そういうものなのか」
価値観のアップデートを終えて、再び残りの弁当を口に運ぶ。
そういえば、彼女とは恋愛関係の話題になったことはないなと気づいた。
色恋沙汰とはまるで無縁の私に気遣って出さないでくれているのだろうか。
つくづく、美人は余裕があって羨ましいなと。僻みでもなんでもなく素直にそう思う。
どうして不器量の自分と友人を続けてくれるのか、不思議に思うくらいには。
「あ、そだ」
空になった弁当箱をしまい、彼女が自分のロッカーから白い箱を取り出した。
「デザートに持ってきたんだけど。食べる?」
箱の中身は、保冷剤と二切れのガトーショコラだった。粉糖でうっすら雪化粧を施され、鮮やかなミントが添えられている。
「生クリームがあるとなお美味しいんだけど、傷むの怖いから乗せられなかったのが心残りです」
「え……作ってきたのか、これ」
「いえす」
親指を立てて、彼女が得意そうに胸を張る。
ふっくらと焼き上がった生地の厚みは、そのままケーキ屋のショーケースに並んでいても遜色ない完成度だ。
「えっと、君、手作り大丈夫な人?」
「これだけ出来栄えがいいものであれば」
「そ、そすか」
いつも余裕綽々の彼女にしては珍しく、照れたように顔を伏せる。
腕前から手慣れているように見えたから、よく人に振る舞っているのかと思っていたが。
「いやいや、全然。めっちゃ失敗作の屍積み重ねてるよ。生焼け腰割れ何回やらかしたことか」
「そんなにガトーショコラ好きだったのか?」
「まあ、ね」
お菓子作りは難しいと聞くし、なんでもそつなくこなせるように見える彼女もそれだけ裏で努力していたらしい。
この日のために頑張って練習していた……はさすがにうぬぼれすぎか。
友チョコ? なぞにここまで手間をかける理由はないだろう。
「さささ、味見はちゃんとしてるから。美味しさは保証するよ。うん」
誤魔化すように外れた調子で笑う彼女から、紙皿とプラスチックのフォークを受け取る。
取り分けたケーキに、入刀みたいにフォークを入れると。さっくりと通ってなだらかな断面図があらわれた。
「…………」
一口サイズに切った生地を、口に運ぶ。しっとり柔らかい生地が織りなす、香り豊かなカカオの風味が口内に広がる。
甘さ自体は控えめで、粉糖の優しい甘味をほんのりと舌先に感じた。
「……すごいな、口溶けもなめらかで」
「そ、そすか」
「こんなに美味しいのであれば、毎日でも食べたいくらいだよ」
やや過剰な褒め言葉になってしまったが、絶品であることに嘘はない。
『毎日は困るわー』と軽口が返ってくることを想定して振ったのだが、なぜか彼女の口元は震えていた。
耳までほんのり赤く染まって、首が内向きに垂れていく。そんなに嬉しかったのであろうか。
「じゃ、じゃあ。あたしのもあげるよ。箱に入れとくから。あとでおやつにでもどうぞ」
「え」
催促しているように捉えられてしまったらしく、とっさに手を振る。
褒めちぎるのも考えものだなと、乏しい己の語彙力を後悔した。
「いいよ、家に焼いたやつまだ残ってるし。うちの家族みんな食べ飽きてるからさ」
ね? とむしろ引き取って欲しそうに彼女は両手を合わせて懇願してくる。
バレンタインなのに私が一方的に食べるのは、友チョコ的にどうなのかと思ったが。べつに私に限定せずとも、あげる友人は他にもいるだろうに。
「わ、わかった。ご馳走になります」
勢いに負けて折れると、彼女は何度も頭を下げてくれた。むしろこんな美味しいものを頂いて礼を言うのは私ではあるのだが。
「言ってくれればまた作るよ。あ、それだけに限定しないで他のお菓子も頑張るから」
「そ、そうか……応援するよ」
お菓子作りに目覚めたらしい彼女の背中を押して、残りのケーキを平らげる。
それが最初の”本命チョコ”だと知ったのは、もう少し先の話だ。