【B視点】天国と地獄
「俺は全然大丈夫っすよ」
店長がざっと説明したところ、もうすぐ上がる予定だった後輩の男子は快く延長を了承してくれた。
「……本当? もちろん超過したぶんはお給料に反映するけど、今なら私一人でも回せるよ」
「店長に背負わせてまで帰れるほど、俺図々しくないんで。それにヤなんすよ、こういうの。身内に似たようなことあったんで、余計許せないんです」
男子は怒り濃く吐き捨てた。
いつも素っ気なくぼそっと喋る子なのに。よっぽど腹に据えかねる何かがあったんだろうな。
「なんで、遠慮せずかくれんぼしててください。目ぇ光らせてますんで」
男子はこぶしを握って、軽く自分の胸を叩いた。
ダルそうな印象が一瞬で払拭されるほどの頼もしさを感じた。君、そのキャラで通してたら絶対モテるのに。
ああ、まったく。あの客さえいなければ最高の職場なんだけど。
「ありがとう。今度シフト代わって欲しいときはあたしに言ってね」
「じゃ、そんときはよろしくお願いします」
ついでにお菓子も買っておこう。みんなが気軽につまめるやつでも。食品売り場のお土産コーナーに今度寄ってくかな。
そんなこんなで二人は仕事に戻った。
あたしは言われた通りに隠れる形で、掃除へと取り掛かった。
あいつはすでに着席していた。
お母さんらしき中年の女性とテーブルを囲んで、静かに料理が来るのを待っている。
入り口付近なのは、あたしが確認しやすいように店長が気を遣ってくれたんかな。
……なんで、従業員のあたしがこそこそ覗かなきゃいけないんだか。もちろん仕事はしてるけどさ。
そして、問題のあの客は。
気付かれないように一瞥したけど、一瞬でも見てしまったことを大後悔することになる。正直肝が冷えた。
1ミリも理解できないし一生涯分かりあいたくもないけど、なんとなくこういうことするのは察せるんだよね。それが一番あたしにダメージ与えるって知ってるから。
上も警察もさ。ほんと、軽く見られがちだよね。
同性の付きまといってのは。
そいつはあたしの真似をしていた。いや言いがかりじゃなく、ガチで。
染めた髪色も、巻き加減も、ヘアアクセも、どこで見かけたのか私服も。
そっくりそのまま。劣化コピーもいいところだ。
対象が同性の場合、格好の真似から入るのはそんなに珍しくないっぽい。
けど、奴がここまで露骨に似せてきたことは今までなかったはずだ。
……当てつけのつもりか? 前のあの子みたいにキモがらせて退職に追い込むってか?
そんでトラウマ植え付けて孤立に追い込んで、自分が追い詰めてやったことに達成感を得てるんだ絶対そうだ。
あたしは怒りのあまり思考が極端になっていた。
握りしめていた布巾を思わず引きちぎりそうになってしまう。
別にあたしはいい。自分の容姿はそれなりに同性をざわつかせるって自覚してるから、やっかまれることには慣れている。宿命みたいなもんだ。
問題はあいつだ。
気づいてほしくなかった。幸いあいつはあの客に背を向けるようにして座っていたからいいけど、このまま振り向かないことをあたしは祈った。
……なんか、こうやって隠れる形でいるのもストーカーっぽいなあ。
同族には死んでもされたくなかったので、あたしは毅然と立つと布巾を洗いに裏へと向かった。
そのうち別のお客様が会計に訪れたので、あたしはやっと従業員らしくまともに顔を出して接客する。
あいつのほうをちらっと見ると、ホットケーキを静かに食べている様子が目に入った。
それ、ほんと美味しいんだよ。厨房担当の腕がいいからね。
心の中でつぶやいて、あいつのことだけを考えることにする。
「ありがとうございましたー」
いつもどおりの台詞でお客様を見送って、お辞儀の姿勢から顔を上げた。
……うわ。
視線を感じた。誰かは分かってしまっている。
その方角に顔を向けると、そいつはバレバレの動作で顔を横に背けた。
何見てんだその分会計に上乗せしてやろうか。黒い感情を必死に思い留める。
「いかがなさいましたか?」
あたしを見ていることに気づいたのか、男子がさり気なく助け舟を出してくれた。
嫌な顔ひとつせず、完璧な営業スマイルでその客の側へと近づく。
何よ、と迷惑そうにそいつは男子を見ようともせずぼやいた。
「ご注文の合図かと思いまして」
「違うわよ。これ、渡してもらえる。今日いるんでしょう」
客は下のカゴから紙袋らしきものを取り出した。
またその手口か。前もやってたよねぇ。何がしたいんだか。
「申し訳ございませんが。安全性を考慮いたしまして贈り物の類は一切禁止しております」
「なによその言い方。アタシが危険物を持ち込んでるとでも言うの」
ちなみに、常連さんの中には差し入れをくれる人も珍しくない。
有名店の乾燥味噌汁セットをもらったときはあまりの美味しさにみんなが絶賛したくらいだ。
でも、こいつは。親切の押し売りだ。くれてやるから店に居座ってもいいよね、みたいな。
その贈り物もアクセや服といった個人に向けたものばかりで、本当に気持ち悪い。いくら服に困っても着ない自信だけはある。
もちろん、前の子が同じ目に遭った際も全部処分した。
「ところで、他にご注文はございませんか」
「いらないって言ってるでしょう」
「当店ではお一人様につき、一品以上の注文を義務付けております。お飲み物一杯のみのオーダーはご遠慮くださいと、メニューにも記載しておりますが」
「勝手なこと決めて」
「追加のご注文がないようでしたら、入店から一時間を超えた段階でお引取り願う規則に従わせていただきます」
「……わかったわよ。頼めばいいんでしょう。これ。クラブハウスサンドで」
「畏まりました」
それでも居座るんかい。あたしは半ば呆れたように一部始終を聞いていた。
抑揚と声量は抑えていても、静かな店内には不快な雑音となって響いてしまう。BGMがカバーしきれてない。
と、あいつとお母さんが席を立った。
聞こえちゃったかな。ちょっと申し訳ない気持ちであたしはカウンター前へと立った。
「5千円、お預かりいたします。5千入りまーす」
仕事中だから決まった台詞しか言えないけど、少しでもあいつと関わる時間ができたのは嬉しい。
とびっきりの笑顔を作って、あいつとそのお母さんに向き直る。
ちなみにあいつはじーっとあたしを見ていた。正確には服を。
席を立つ前からなんとなく見ていたのにも気づいていた。あの客とは違い、純粋なあこがれを秘めた眼差し。
恋人フィルターもあるけど、まったく悪い気はしない。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
よし、決まった。
めっちゃいい顔ができたし、声のトーンもばっちり。好きな人がいるって、いっそうやる気が出るよね。
「ご馳走様でした」
あいつはわかりやすすぎるくらいに俯いてそれだけを返すと、さっと背を向けて出口へと向かった。
さて、やる気も充填できたし残りの時間頑張りますか。
あの客がいなければもっといい時間になったんだけどね。
……だけどそろそろ、本当になんとかしないとなあ。
人の真似まで来たら次は排除に決まってる。何を仕掛けてくるか分からない。
アクション起こしたらこっちも突き出す準備はできてるから、いつでもかかってくりゃいい。
そう、軽く思っていたのが仇になったのかもしれない。
まさか、あんなことになるなんて。