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【A視点】マッサージ

「あー、そこそこー」

 枕に顎を乗せてうつ伏せになった彼女へと、私はマッサージを施していた。


 まずは上にまたがり、肩甲骨あたりから背中へと軽く指圧をかけていく。


 くすぐったがらないと不安になったが、背中や腰回りは生理痛緩和で親によく押してもらったため、慣れていると聞かされた。


「あんた、こういうのできたんだね」

「ほとんど独学の範疇だが」

 口下手な私にとっては、これがコミュニケーションの一端であった。


 疲れた親の背中を軽く踏む幼少期から始まり、肩たたきや肩もみへと。

 大人は筋肉が凝り固まっている人が多いから、同意を得ていればされて嫌がる人はほぼいない。


 自分は役立たずではないのだと、居場所を確立するために。

 親戚一同に片っ端から出張マッサージへと回っていた、己の切ない時代を思い出す。


「われわれはー、ちきゅーじんだあああ」

 扇風機に向けるべき言葉を震わせながら、彼女はだらんと腕を大きく前へ突き出す。


 肩たたき中に脳みそが揺さぶられるため、こんな感じで声を振動音っぽく出す癖がついたらしい。

 絶叫マシンの乗車中に大声を出すのと似たような原理で、あえて声に出すと疲れが抜けていくように感じるのだとか。


「このマッサージも行為前にするから意味があるんだね。考えたもんだわ」

「リラックスの範疇に含まれるから」

 

 ウォームタッチと呼ばれる、ストレス軽減のマッサージ法がこれ。

 専門的な技術や知識を必要とせずとも、名前の通り温かい手で疲れをほぐすことを目的とする。


 つまり、感じやすくなることを目的とした前戯である。


「…………」

 ある程度通常となんら変わらないマッサージを施したところで、次の段階へと入った。


 身体がそれなりに落ち着いてきたら、無防備となった肉体への感度を高めていく。

 肌へと、直接触れるということ。


「これだとエステっぽいね」

 浴衣をゆるめて、うつぶせに露出した彼女の背中が露わになる。


 前にも見ているものの、何度見ても目を奪われる美しい肌であることには変わりがない。

 少し桃色に色づいた白くなめらかなラインが、実に官能的だと掻き立てられてしまう。


「力を抜いて」

 ここからは、ゆっくりと手を添えるだけ。

 むき出しの肌へと、静かに両手を乗せていく。


「っ……」

 直接触れられたことにより、ぴくっと彼女の肩が跳ねた。

 吸い付くような瑞々しい肌へと、体温が馴染むまで何もせず両手を押し当て続ける。


 そのまま触れていると、やがて呼吸を手のひらへと感じ取れるようになってきた。

 呼吸に合わせて上下する体の動きを聞きながら、少しだけ押していく。


「ん……っく」

 いつも以上に亀の如き進みで触れているからか、だんだんと彼女の呼吸が速まっていく。


「なんか、手付きがいやらしい」

「まだそんなに何もしていない」


 ウォームタッチの真髄は、手で聞くことにある。

 性感帯の刺激を目的とした愛撫ではなく、肌を通して慈しむことも触れ合いの一つ。


 ただ触れて、話して、撫でて、凝り固まった不安や疲れを取り払っていく。


 不思議と、マッサージを施しているこちらまで思考がクリアに洗練されていくのだから。

 触れ合うだけで恋人との関係は長く続くとの心理学は、なかなか真実味を帯びていると思う。


「ふぃー……」

 たっぷりと長い間触れ合っていたことで、互いの間に流れていた緊張感は浮ついた雰囲気へと塗り替えられていた。

 馴染んで、溶けていったと表現するのが近いか。


「落ち着いたか?」

「眠くなるほどにはねー」

 ふにゃふにゃと無邪気に口端を緩ませる彼女は、いつもよりも幼く見える。

「これが体を重ねるってことですかい」

「……まだです」


 そして緩んだ空気のまま、ようやく本番へ臨むことになる。

 だらりと寝そべったままの彼女と共に。

 行為に必要な物の点呼を、指差し確認で行う。


「ろーしょんー」

「よし」

「ばすたおるー」

「ここに」

「ふぃんがーどーむー」

「あります」

「気合ー」

「十分に」

「覚悟ー」

「ばっちり」

「目隠しー」

「……はい?」


 想定外の持ち物検査が飛び出して、疑問の声が出てしまう。

 あるぞー、と彼女は自身の荷物から当たり前のように、黒いアイマスクを取り出した。


「視覚を奪うとより感じるんだってさ」

「それは、どうなんだ」


 初夜にして目隠しをつけさせて行為に及べと申すのか。

 最初からだいぶ飛ばした内容ではないのか。


「わりと君のせいだよ」

 頬を膨らませて、彼女は私の前科を淡々と告げる。


「耳いじったり首責めたり舐めたり指つっこんだり、無自覚に開花させてくるもんだからさ」

 何を目覚めさせたというのか。


「ふつーに触られるより、がっつり責められたいかなって」

「普通に触っていた記憶しかない」

「うそつけぇ」


 どうせあたしは誘い受けのマゾですよと自爆しつつ、本当にそうして欲しいのか自ら彼女はアイマスクを装着しようとする。

 と、その前に。


「ちょっと見納めさせて」

 肩を掴まれる。

 目の前へと彼女の顔が近づいて、至近距離で見つめられた。

 どうやら目隠しをする前に、存分に目に焼き付けておきたいらしい。


「…………」


 じっと見つめ合う。

 さっきのマッサージくらい時間をかけて、じっくりと。


 美しい相貌にここまでの近さで見つめられると、どうしても逃げ出したくなる羞恥心が湧き上がってくることは止められない。


 が、逸らしたら失礼な気がして。

 のぼせ上がってくる脳みそをぐらぐらと煮え立たせながら、私は一生分にも等しいほど網膜へと御姿を刻みつけた。


「はい、そんなわけで」

 アイマスクを手渡される。


「つけてくださいな」


 どのみち、それが望みというのなら断る選択肢はない。

 性感を覚えるのに越したことはないからだ。


「…………」


 長く息を吐く。

 少しどころではない動悸と背徳感の中、私は手を伸ばした。

 初めてを迎える愛しい人へと、万感の想いを告げる。


「あなたが、欲しい」

「ん、好きになさい」


 でも、優しくしてね。

 そう彼女が人差し指を立てて、私の唇をそっと押した。

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