【A視点】イヤホンはんぶんこ
「…………」
相変わらず何区間か過ぎても人はまばらで、のどかな田園風景が延々と続いている。都心に続く路線とは大違いである。
次の乗り換え駅までは、実に1時間半ほど揺られてないといけない。
当然眠気も訪れてくるわけで、口を押さえて彼女があくびの動作をした。
「あ、眠かったら。遠慮なく」
寄りかかっていいと肩を指したところ。
「それはあたしが言うべき台詞ではないかい?」
窓枠へと彼女が頬杖をついて、頭を傾けた。
……窓際に腰掛けている人なのだから、そうなる流れが自然である。
またも外した私に『ああでも』と彼女がそそくさと音楽プレーヤーを取り出して、イヤホンの片方を眼前にぶら下げた。
「眠気防止にこれ聞いてるから。よかったら」
つなぎとめようとカバーしてくれたらしい。
すり抜けた手が戻ってきたかのような安心感に、私はイヤホンを持った手を取った。
両手で。
「や、あたしの手ではなく。イヤホンをだね」
「わ、悪い」
……何をしているんだ私は。
差し出されたのは手ではないことくらい、見ていれば分かるであろうに。
この時点で情けない気持ちに自信がしぼみかけていたが、こうなると私は負のループにはまってしばらく抜け出せなくなる。
せっかくの旅行を楽しんでないと誤解されることだけは避けたい。顔に出る前に、気持ちを落ち着かせよう。
「何か聞きたいのある?」
そちらのおすすめを聞きたい、と返したところ。
「じゃ、これにするね」
彼女はひとつの楽曲を選択した。
タイトルにも、アーティストにも、馴染みはない。15年近く前の曲らしい。
「子守唄っぽいチョイスにしてみました」
それは余計に眠気を促進させるのではないのか。
「スマホのアラームあるから大丈夫だよ」
落ち着いた曲調を好むことを知って、選んでくれたのだろうか。
イヤホンを分け合って、曲が再生されるのを待った。
女性の透き通った声が耳に沁み込んでいく。
ピアノの美しい旋律に乗せて、静かな歌声が流れていく。
……子守唄、というよりは物悲しいバラードだ。
歌詞も失恋を想起させる届かぬ想いが綴られていて、ささやくように歌っていた女性の声はどんどん激情の声量へと変わっていく。
眠気を誘うどころか、意識の奥から引っ張り上げてくるような。
「…………」
「どうだった?」
綺麗で、透明で、そして空虚な曲。
曲自体は好みの旋律であったが、どう感想を述べればいいか分からない。
「美しい、曲だと思う。夜にひっそり流したくなるような」
「そうそう。ほどよく自分に酔いたいときとかね」
どこか感傷めいた言葉を乗せて、彼女は軽く笑った。
それ以上彼女は突っ込むことなく。
別の、今度は私でも聞いたことがあるメジャーなヒット曲を流し始めた。
眠気を振り払う明るいメロディーを耳に流し込みながら、冴えてきた頭で考察する。
叶わないと最初から諦めて、友達、いや見ているだけでいいのだと言い聞かせる歌詞。
それでもぽつぽつと降り注ぐ切ない旋律と力強くなる歌声からは、それでいいわけがないのだと未練を訴えている。だから感情を揺さぶられる。
何曲か過ぎたところで、彼女が突然手を取ってきた。
「何か」
「んと。そすね、さっきの曲なんだけど、」
何かを伝えたそうにくるくると指の腹で円を描く。くすぐったい。
「一番好きな曲だったんだよね」
……過去形?
ただ、失恋ソングを恋人にわざわざ好きと言うのも違和感があるから、好きだったとぼかしたのであろうか。
「今は違うのか」
「まーね。報われたから更新された。だから」
から回ってなんかないよ。
あたしのために何かをしてくれることが、ぜんぶ嬉しいから。そう耳元で囁かれる。
照れ隠しのように手のひらに何度も丸を指でなぞって、最後に大きな輪を描く。
花丸の書き順であった。
おすすめを聞きたいと言って選ばれた曲。恋人へと聞かせる報われぬ歌。
彼女なりの、かつての想いと重ねていたのだろうか。
そうだとするなら、どれほどに深く想われていたのか。じわりと頬に、胸から湧き上がった熱が満ちていく。
「…………」
なんとなく、頭を垂れた。
そのまま傾けて、彼女の肩へと預けるように。
「おや」
そのまま目を閉じていると本当に眠気が湧き上がってきて、私はゆっくりと意識を手放し始める。
これからはずっと側にいるよと伝えるかわりに。
膝に置かれた手を取って、力強く握る。
指はすぐに、握り返してくれた。
「やっと着いたー」
出発から実に2時間以上。
無料送迎バスに運ばれて、ようやく目的の旅館へと到着する。
委員長の家に訪れた際にこぼした本音を配慮してか、彼女は和室のプランを選択してくれた。
8畳ほどの広々とした和室。温かみを感じる畳と、心地よいい草の香り。
窓の外に広がる一面の海を見に来ただけでも、満足感を十分に覚えてしまうほどだ。
文化祭のときはまさか本当に行けると思っていなかったから、いっそう感動がこみ上げてくる。
「気に入ってくれたみたいだね」
「とても」
それもこれも、彼女がいなければ叶わなかったことだ。
一方彼女もはしゃぎ様は負けず劣らずである。
わーい海だーと大きく開いた窓へと手を伸ばして、さっそくスマートフォンを構えている。
さて、どこから巡ろう。
まだ時間もあるし、観光にも適した町だ。事前に一通りのスポットは調べてある。
「行きたいところはある?」
「本当にどこでもいい?」
真剣そうな顔で、何度も彼女は念を押してくる。行けそうな範囲でなら大丈夫だよと返すと。
「一度でいいから、自由行動は旅館でごろごろしてみたかったんだよね。あちこち歩き回りたくなくて」
滑り込むように彼女は畳へと寝そべった。
……なんとなく、そう言いそうな予感もしていた。
一日目はのんびりと、部屋でお互いくつろぐことになったのであった。