【B視点】飼い猫を想う
さて茶トラの診断結果は、慢性腎不全。
腎臓病の末期だった。
今は入院していて、食事と水は摂ってくれているのが救い。食べなかったら本当に危ないからね。
茶トラはボランティアさんの家に、退院後保護してもらうことになった。
腎不全の場合、多飲多尿ということで一日一回は輸液が必要になるから。
そして茶トラ自身、もう永くないから。
そうなると、いつも一緒にいたお嫁さんがひとりぼっちになっちゃうわけだけど。
手分けして捕まえて、茶トラと同じ家で保護してもらえることになったみたい。
この厳しい寒さの中、置き去りにするのは可哀想だからって。
猫とか、あの親子とか。
あらかた気になっていた問題が片付いて、あたしたちは無言で暗い夜道を歩いていた。
気まずいとかじゃなくて、なんとなくする会話もなかったので。
「寒いな」
ふと、首に巻き付く毛糸の感触があった。
あいつがかけていたマフラーをほどいて、片方を引っ掛けてくれたのだ。
「降るっぽいね、今夜あたり」
降ってもせいぜい、粉雪あたりだろうけど。
つかそれで済んでくれないと路面凍結するから困る。
「なんで気づいてあげられなかったんだろう」
寒空へと、あたしはつぶやいた。今更のことを。
「腎臓病、だったか。あの猫も」
「うん。よく覚えてるね」
かつて飼っていた猫を亡くしたのは、高3の春だったかな。
あたしはバカだった。餌もおやつも欲しいだけ与えて、ぶくぶく太らせて。
もちもちで抱き心地最高ーって、健康にまるで気を遣っていなかった。
いつまでも、ふくよかな姿でいてくれると思っていた。
飼い猫の食欲はだんだんと落ちていった。
カリカリを食べなくなって、背中の骨が浮き出るようになって、ちゅーるとかのウェットフードばかり舐めるようになって。
やたら水を飲んで、粗相も増えた。
風呂板に一晩中うずくまっているようになった。
それらの異変を、あたしは年だからと流していた。
あれは全部、腎臓病の兆候だったのに。
「人間の介護はあんなもんじゃないんだろうけどね。最後のひと月はまさに介護だったな」
水も食事もやがて受け付けなくなって、強制給餌が始まった。
学校にいる間も惜しくて、帰ったらすぐにフードを溶かして暗い場所で横たわる飼い猫にあげていた。
休日はずっと付き添って、何回にも分けて流し込んだ。
それでも、普通の猫が一日に摂る栄養量には届かなかった。
そうやって無理やり生かすことが正解だったのかは、今でも分からない。
苦しそうに舌をぺっぺと動かして、恨めしそうに唸る顔が今でも忘れられない。
あれだけつやつやだった毛並みも、自力排泄が困難になって毛はべたべたに汚れてしまった。蒸しタオルで毎晩拭いてあげたっけ。
まるで体中の水分が抜けてしまったように、いつもぽちゃぽちゃだったお腹もぺったんこにしぼんでしまって。
まぶたも閉じる力がないのか開きっぱなしになって。
それでも最後の日まで身体を引きずって、必死にトイレに行こうとしていた。
強い子だった。
「未だに夢に出てくれないんだよね。怒ってるだろうな。会いたいんだけどなあ」
「…………」
それまで黙っていたあいつが、背後から腕を回す。
密着するように、ぐっと引き寄せられた。
「みんな、そうやって学んでいくんだよ」
だからあたしのせいではないと言うように、ぽふっと頭に手袋の感触が伝わる。
冷え切っているはずなのに、温みを感じる。
「あの子たちに会いたければアポイントを取って、来てもいいと聞いている。生きているうちに精一杯可愛がってあげればいい」
「……そうだね」
胸から熱く湧き上がってくるものをこらえて、あたしは空を見上げる。こぼれ落ちないように。
「あ」
ちょうど、暗い夜空から舞い降りてくるものがあった。
冷たく、透き通った粒。これを見るのは何年ぶりだろ。
「とうとう来ちゃったかー」
「正月中であったことが幸いだが……」
休みが終わるまでに、溶けてくれるといいんだけどね。
茶トラとそのお嫁さんが、この寒さの中震えることがなくてよかった。
今はそれを幸いに思おう。
粉みたいに雪のかけらがきらめく夜道を、あたしたちは白い息を吐きながら突っ切っていく。
お互いをつなぐマフラーをしっかり握りしめて、離れないように。
元旦の夜はこうして更けていった。