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【A視点】ホットケーキ

 頼んだ料理はそこまで待たずに運ばれてきた。

 最初に案内してくれた方と同じ人が、丁寧に注文の品を並べていく。

 ざっと見渡したものの、ホールにまだ彼女はいないようだった。


「わあ、美味しそう」


 母親が少女のように目を輝かせる。

 ホットケーキは焼き上がったままの姿で真っ白な皿に鎮座しており、店の洒落た雰囲気から期待すると拍子抜けするほどにはシンプルな盛り付けだ。

 付け合せのアイスクリームやバターですら別の容器での提供となる潔さには、いっそ清々しさを感じる。


 ただ、存在感があった。飾りなど余計だと言わんばかりに。

 均一な焼色に包まれた表面に、うっすらとカーブを描く艶。芸術品のような丸いフォルム。

 一切の焼きムラがない鮮烈なきつね色は、品も忘れてかぶりつきたくなるほどには食欲をそそる様相を呈している。


「……食べる?」


 恥もなく首を何度か縦に振った。当店自慢の謳い文句は伊達ではなかったのだ。

 母親は丁寧にナイフを入れて、四分の一ほどに切ったケーキを小皿に置いてくれた。

 貰いっぱなしも悪いので、こちらも巻き取ったパスタにサラダを添えて提供する。


「こればっかだと口の中甘ったるくなっちゃうからね。ちょうどいいわ」


 おすそ分けが終わったところで、互いに黙々と食べ始める。

 私は特段舌が肥えているというわけでもないので美味しさの度合いは詳しく述べられないが、一気に平らげたので文句はつけようがない。

 一皿で客を満足させられる料理は真の絶品だ。

 とはどこかで見かけた言葉だが、あながち間違いではないのかもしれない。


 食べ終わってぼんやりと店内を眺めていると、彼女がカウンターで会計をしている様子が目に入った。


 休憩、終わったのか。

 ここからだと横顔くらいしか伺えないが、白と黒の引き締まった色合いの制服をまとった彼女は抜群の存在感を放っていた。

 極限まで派手さを抑えたカマーベストを手足の長い彼女に身につけることで、成熟した大人の女性感を一層引き立てている。


「ねえねえ、ちょっと聞いてもいいかしら」

 まるで同年代の友人に話しかける口ぶりで、母親が声を掛けてくる。


「何か?」

「あーた、ひょっとして彼氏できた?」

「ごふっ」


 一切の予告なくぶん投げてきた剛速球に、私は思い切り咳き込んだ。

「あー。図星か? 図星なんだな?」

 気管に入り込んだ水分を追い払うのが精一杯で、否定する余裕もない。

「なにを、ごほ、根拠に」

 それだけを絞り出すのが精一杯であった。

「だって。遠出でもないのに。普通の店だし。親と食事するだけなのに化粧してから行く?」


 恋人の職場に行くなら身だしなみを整えていくのは普通だろう。

 とは言えないので、思いついた言い訳をとりあえず述べていく。


「顔が顔だから。化粧でもしないと人前には出られなくなる」

「ああ、そ、そうなの……」


 生まれ持った事情を盾にされると、親としては口の出しようがない。一応これも理由の一つではあるが。


「で、ぶっちゃけどうなの? 黒なの?」

「…………」


 この人はこれしきではめげない性分なのを忘れていた。

 仕方ない。開き直ろう。


「いる。でも詮索はしないでください」

 思い切って伝えると、意外にも母親は安堵の息を漏らした。


「わかってるわよ。親しき仲にもってやつでしょ。むしろ安心したわ」

 母親からすれば、色気がまるで無く女として終わりかけていた娘だ。

 大学に上がってやっと浮いた話が出てきたことに、悩みの種が一つ取り除かれた心境でいるのだろうか。


「今があなた、一番きれいよ。前よりずっといい」

「…………あ、ありがとう」


 実の親に面と向かって褒められるのは、思った以上に恥ずかしい。

 照れ隠しにグラスを呷ったが、中身はすでに氷だけしか残っていなかった。



「ありがとうございましたー」


 会計を済ませて、店を後にする。

 私は母親と並ばず、あえて少し前を歩いた。今の気色悪い顔を見られたくなかったのだ。


 元々奢る約束だったので、私は伝票を持ってレジへ行った。

 そこに彼女がいた。

 流石に仕事中だったので一切の私語は交わさなかったが、確かに、彼女は私に向かってそっと微笑んでくれた。

 またのお越しをお待ちしております。

 定型文ではあったが、あの笑顔でこう接客されてはそれだけでお釣りが返ってくるものだろう。

 我ながら引いてしまうほどに浮かれている。あとでお礼のメールを送ろう。


「カフェの経営って、やっぱ大変なのかしらねぇ」

「え?」


 いきなり現実的な話題を切り出されて、茹で上がった頭が一気に冷めていく。


「お店の中では言えなかったけどね。あなたの後ろ、ずーっとコーヒー一杯で粘ってた人見えたからさ」

「ああ……」

「それにね。自分は大したお金払ってないくせに店員さん引き止めて、ずーっと喋ってるの。耳障りだったわ。もう信じらんない。なにしにお客様として来てんのかしら」

「そ、そっか……全然気づかなかった」


 結局の所、こういったお洒落なカフェはコストパフォーマンスが悪い。

 基本的には雰囲気を買いに行くようなところなのだ。

 普通の飲食店よりもボリュームが少なめで、かつ物価も高い。

 そして、母親が目撃したようなコストパフォーマンスが悪い客も出てきてしまうのだ。


 喉を潤すだけなら水でもできる。

 一杯の珈琲ごときに金を取られるのが納得行かない。腹持ちが悪い店に通い詰める理由が分からない。そう敬遠する側の意見も分かる。


 それでもくつろげる場所として一定の支持を得られれば、常連客はつく。

 老人の社交場と化した純喫茶が良い例だ。儲けになるかは別の話として。


「立地条件が全てじゃないかと思う。ここはほら、人通りが多いし」

「そうねぇ。あのお店、お母さん的には気に入ったから生き残って欲しいけど」

「うん、分かるよ」


 辛気臭い話を払拭しようとしたのか、母親は今晩のおかずを買いに食品売り場へ行くと言った。

 私も続くことにする。

 秋の味覚と大きく掲げられたのぼりが見えたので、そういえば秋刀魚食べたいなあと思ったのだ。

 ……先ほど食事したばかりなのに。

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