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【B視点】幸あれ

「今考えれば、手術を受けてもいいと言った時点から別れることを決めていたのでしょうね。日本での性別変更は、婚姻関係があるとできないと後に知りましたので」


 あれだけ欲しかった女性としての生。

 代償は、妻と授かった子供。それまで築いてきた人間関係。

 ようやく望む肉体を手に入れて自由になれたはずなのに、すべてを失ってしまった。


「もし、私の肉体が最初から女性であったなら。あるいは、心も男性であったなら」

 もっと、平凡に生きられたのでしょうねと。

 女性は虚ろにあたしたちへと笑いかけた。


 この話はここで終わりじゃなかった。

 心機一転して、女性として生きようと新たな生活を始めた矢先。

 突如元妻から、親権を渡したいと連絡が来たのだ。


 このあたりであいつが『勝手だな』と言いたげに眉をひそめた。

 たぶんあたしも同じ顔をしていたと思う。


 その奥さんも重度の育児ノイローゼで限界だったんだろうけど、そんなときにだけ頼るのもなあ。

 子供は父親の顔を知らないから、押し付けやすかったこともあるんだろうけど。


「それでも、私は内心嬉しさがあったのは否定できません。母親として生きることで、ようやく女性だと世間に認められる気がしたのです。そもそも、離婚の発端は私がエゴを出したことによるものです。正直、子供と妻への贖罪もありました」


 幸い、女性には頼れる両親がいた。

 もともと在宅ワークだったこともあり、なんとか二足のわらじを履くことができた。


 慣れない育児は助けを借りながら乗り切っていけたものの。

 やがて父親が他界し、母親は体力が衰えて手伝うことは困難になってしまった。


 在宅の仕事ゆえに適度に母子分離が保たれていなかったことも、拍車をかけた。


「施設に預ける道を選ぶ気はありません。両親を自分のせいで追い詰めたと、子供に思わせることだけは避けたいので」


 お話を聞いてくださりありがとうございましたと、女性は頭を下げた。


「……差し出がましいかもしれませんが、まずはお母さんのケアが最優先です。精神科に通って、シッター制度や一時預かりを利用して、とにかく自分の時間を作るのが一番だと思います」


 解決には行ってなかったため、お話が終わったタイミングであいつが具体的な対応策を提示する。


 もうひとつあたしたちにできることは、ひたすら愚痴を聞いてあげること。


 女性は隣の部屋に響かない範囲で、子供の偏食がつらい、何を作っても満足に食べてくれないのがつらい、泣き声が責められてるようでつらい、声でバレるのが怖くてママ友に馴染めないのがつらい、ママと一日に100回以上呼び止められるのがつらい、何より元妻と同じ轍を踏んで、まっとうな母親をこなせないのがつらい。


 たくさんの涙とともに、抱えていた苦しみを吐き出した。

 必死にがんばるお母さんへと、あたしは精一杯の言葉を贈る。


「育児はどこまで行っても正解がありませんし、ワンオペならなおさら過酷です。どんなに辛くても必死にがんばっている親御さんを、誰も責めたりはしませんよ」


 だから、その時点でこの人は立派な母親なのだ。

 少なくとも、あたしには到底務まらない。


 やがて全部口にしたことで、涙も枯れ果てたのか。

 女性は目元をぬぐって、あたしたちへと深々と頭を下げた。


「本当に、なんとお礼を言っていいかわかりません……ただ、ありがとうございます。感謝の言葉しかありません」


 掃除と子供の面倒見と話を聞いてくれたお詫びとしてお金を出そうとしてきたけど、さすがに受け取れないので丁重に断った。


 それから猫を任せていたボランティアの方々から連絡があったため、あたしたちはそろそろ家を出ることにした。



 外は真っ暗になっていた。

 時刻は普段であれば夕食を済ませている頃だ。けっこう長くいたんだね。


 女性は最後に、育児とは別のお礼の言葉を述べた。

「嬉しかったんです。MTFビアンと区別せず、同じ同性愛者だと扱ってくれたのは、あなたたちが初めてでした」


 パートナーを求めて、そういった方々の集まりに参加しても。

 カミングアウトした時点で、それは女ではない、自分たちと違うと区別されて女性は孤立してきた。


 マイノリティ同士であっても、分かり合うことができない。

 いったいどれだけ、女性を孤独に苛ませたのであろうか。

 母親という役割に固執するのもわかる。


 女性はいつの間にか起きてきた子供と、玄関先に並んであたしたちへと頭を下げる。


「同じ志向を持つ者として」


 子供を抱えて手を振りながら、女性はエールを送ってくれた。


「どうかあなた方の未来に、末永く幸多からんことを」

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