【B視点】地域猫って
・SideB
買い物から帰る途中、あいつはいつも以上に無口だった。
苦にならないはずの沈黙も重く、話しかけるとワンテンポ遅れて反応する感じで。
思い切って『元気ないぞー』とコート越しの背中にのの字を書きつつ聞いてみると。
「ちょっとな。子供を見て」
「さっき言ってたね」
「育児は大変だなと」
何かを濁すようにそれだけを言って、また会話が途切れる。
ふむ。
子供とかどうこう言うって、珍しい。
親に叱られてギャン泣きしてる子でも見ちゃったんだろうか。
子供はすぐうろちょろするし、言うこと聞かない子もいるし、親がしびれを切らしちゃうのも分かるんだけどね。
その後は、日課であるランニングに出発することになった。
ウィンドジャケットとランニングパンツのラフな格好に着替える。
最近は週末だけのペースになってたから、準備運動はしっかりと。
「ペース、大丈夫か」
「これくらいの強度だったらへーき」
ほぼ毎日走ってるあいつとじゃ走力差があるからね。
膝の故障防止に補強運動はやってたから、ちゃんと一定のペースで並走できている。無理は禁物だけど。
誰かと一緒ってペース合わないときっついけど、時間を忘れていつもよりたくさん走れるメリットもあったりするよね。
さてさて。
ある程度の距離を走りきって、最後に件の公園を回ることにする。
「あれ」
公園を覗き込んでみると、やっぱり今日も猫たちはいた。
近づくと警戒心の強いサバトラのお嫁さんは、さっと物陰に隠れてしまう。
誰かが気を利かせたのか、ダンボールと毛布で作られた簡易ベッドが日当たりのいい場所に設置されている。
「つか、これって」
あたしの中で、当たってほしくなかった予想が的中しようとしていた。
顔を見合わせたあいつも、複雑な面持ちでいる。
「野良……と見て間違いはないだろうな……」
茶トラはベッドから一歩も動かない。
毛布を触ってみると熱さを感じるので、カイロが敷いてあるのだと思う。
あったかいから動きたくないんだろうけど、こんなに大人しい子だったっけ?
ベンチの端っこには、猫用と思しきお皿が置いてある。中身は少し残っていた。
ちょうどその時。
公園に一人の男性がやって来た。先日見かけた人だった。
「ああ、すみません」
あたしたちは一旦離れた。
男性は会釈すると、お皿の前にしゃがみ込む。餌をあげにきたらしい。
「ここには毎日訪れるのですか?」
ざらざらとお皿にキャットフードを溜めていく男性へと、あいつが尋ねる。
「僕はたまにね。餌がないときに補充する感じで。まあ、うちでも3匹飼ってるからさ」
ああ、だからキャットフード持ってたのか。
すでに3匹いるとなると、新しく迎え入れるのは難しいんだろうな。
「じゃあ、この首輪は」
「GPS付きだよ。行動範囲をチェックするための」
野良猫の行動範囲ってことは、仮に人の敷地内に入って粗相した場合掃除箇所を特定するためとか?
しかし紛らわしいな。これがあるから飼い猫だと思っちゃったわけだし。
「長生きだよね、この子も。すでに10年は生きているそうだ。人懐こいから、僕が存在を知る前にもけっこう周りに可愛がられてきたみたいで」
10年以上も。
この茶トラは厳しい環境で、今まで餌をもらいながら生き延びたっていうの?
あたしの中で、やり場のない感情がふつふつと湧いてくる。
「君の言いたいことは分かるよ」
男性は申し訳無さそうに眉根を下げて、あたしの心を読んだように言った。
「なぜ、保護しないのか。保護団体に連絡しないのか。こんなところだろうね」
「……はい」
「何度か言ってみたよ。でも、駄目だった。施設の部屋数がいっぱいだとかで。だからTNR、いわゆる避妊手術やワクチンまでのサポートまでなら大丈夫だと。糞被害を被らないようにトイレも設置して。それで地域猫として、この子はみんなでお世話することにしたんだ。うちの子も保護猫だしね」
地域猫はこの子だけじゃないからね、と男性は遠くを指差した。
お嫁さんが隠れているであろう物陰だ。
これ以上の繁殖を防ぐため。
見つけ次第野良猫は手術、子猫なら里親探しといったボランティアの頑張りもあってか。
市内の野良猫の数は確実に減ったとのこと。
主にこういった活動をしていると、男性は語る。
のろのろと箱から這い出て餌のもとへと歩いていく茶トラと、ベッド作ってもらってよかったなーと撫でる男性を、あたしは何も言えず見下ろす。
「あれ、もう食わないのかい?」
茶トラは何口かカリカリを口にすると、もういいよと言いたげにその場へたたずんだ。
相変わらず口をくちゃくちゃさせて。
「最近、あまり食べなくなってしまったんだよね。カリカリ、飽きちゃったのかな」
それとも年だからかなあ、と男性は山盛りのキャットフードを目の前にして、じっと動かない茶トラに困った目を向ける。
「うちすぐそこだし、ウェットフード持ってくるよ。あ、遅れたけど自分はこういう者です。いらないなら捨てちゃっていいから」
財布から一枚の名刺を取り出して、男性はすぐ隣にいたあいつへと渡す。
ボランティア団体らしき名前と電話番号が記されていた。
すぐ戻るからなと茶トラに告げて、男性は走っていってしまった。