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【A視点】昼這い

 それから数日が経過して、いよいよ今年最後の日がやってきた。


 今日は彼女の家で。

 解禁したこたつに足と手を突っ込んで、朝からのろのろと総集編のドラマを見ている彼女の背中に声をかける。


「じゃあ、ちょっと走ってくる」

「いってらー」

 ここのところは朝が厳しい冷え込みというのもあり、私はランニングの日課を陽が高くなってからにしていた。


「掃き納めと、年の湯と、年越しそばと、年取り膳だっけ。大晦日にやることって」

「そう。全部を律儀にやる必要もないけど」

「この中だと昼間からやれそうなのは掃き納めかなあ。夜はお寿司取るし、お蕎麦は紅白やる頃に作ればいいし。除夜の鐘はライブ配信してるの観ればいいし」


「よろしく。本当に簡単な掃き掃除で大丈夫だから」

 ランニングウェアに着替えて、踵を返そうとすると。


「あ、ちょい待ち」

 呼び止められて、振り返ると彼女が手招きをしていた。

 察したので近づき、屈むと。


「はい。今度こそいってらっしゃい」

 額に唇を受ける。

 やる気を高めるおまじないみたいなものだ。


 幸せを受けたときの高揚感は、走り出したくなる気持ちと似ている。

 いつもより捗りそうだと私は緩む口元をこらえながら、玄関先へと向かった。



 今日は少し、ペースアップをしてみよう。

 ストップウォッチをぶら下げフォームを意識して、軽やかに地面を蹴っていく。


 走る途中で、またあの公園に差し掛かった。

 数日前、彼女と猫を見た場所であった。

 なんとなく気になって、ベンチを覗き込んでみる。


 いた。

 むきだしの枝を伸ばす桜の下。

 きなこ餅とあんころ餅のごとく、猫が二匹丸まって短い日照時間の温かさに包まれていた。

 彼女は近所の飼い猫と言っていたが、本当にそうなのであろうか?


 疑問に思っていると、いくつもの賑やかな声が公園に近づいてきた。

 小さい子供のものだ。冬休みだから遊びに来たのだろうか。

 私を横切って、ふと立ち止まる。


「お姉さん、あげに来た人?」

 小学生くらいの男女数人が、ベンチを指差した。

 手に持ったパックには、ぶつ切りのマグロの刺し身が置いてある。

 この子たちも餌付けにきたのであろうか。


「ううん、ただの通りすがりだよ」

 告げると、軽くお辞儀をして子供たちは猫のもとへ走っていった。


 縞模様の黒い子はひゅっと身を隠してしまったが、茶色の子は相変わらず香箱座りで目を細めて、じっと餌を待っている。

 子供の一人がきゃーさわれるーとはしゃぎながら、背中を撫で始めた。


 確かに、外で触れる猫は貴重である。

 くしゅっと猫がくしゃみを飛ばして、またきゃーと黄色い声が上がる。


 帰ったら彼女に報告するか。

 忘れないように胸の内に留めて、私は再び町中を駆け抜けていった。


「ただいま」

 返ってくる声はない。

 書き置きもないため、外出しているということはなさそうだ。


 アパート前の落ち葉はすっかり払われて綺麗になっていた。

 そこまで長い間外出していたわけでもないので、丁寧で早い仕事ぶりには感心する。



 客間に入ると、テーブルに突っ伏している彼女の背中が見えた。


 広げた新聞紙にうつ伏せになって、テレビも点けっぱなし。寝落ちと言ってもいい状態であった。

 テレビを消して、彼女の背中を軽くさする。こたつで寝ていては風邪を引くと。


「…………」

 微動だにしない。

 夜ふかしするため今のうちに寝ておこうということなのであろうが、せめてベッドに行ってほしかった。


 ぬくぬくと眠る彼女をこたつから離すのは忍びなかったが、風邪をひかれては困る。

 とりあえず抱えて、ベッドまで運んだ。

 電気あんかも入れたので、まあまあ温かいであろう。


 それにしても。

 ここまで眠りが深いなんてことはあったであろうか。揺すっても引きずっても何の反応もないとは。

 正月準備や試験勉強やらで疲労が蓄積していたのもありそうだが。


 掛け布団を肩まで掛けて、額を指でそっと撫でる。

 相変わらず息は安らかで、まぶたは固く閉ざされている。

 普段ならなかなかお目にかかれない寝顔に、つい引き寄せられていってしまう。


 そのまま、額へと唇を軽く寄せて。

 遅れて無意識にしてしまったことに勢いよく顔を上げた。


「(……何をしているんだ、私は)」


 今なら何をしても起きないのでは、とよぎったよこしまな考えを払いのける。


 よりにもよって大晦日に煩悩をたぎらせるなど。

 それも寝ている相手に向けて。なんたる不届き者であろうか。


 心の中で己を叱咤し、私は伸ばした手を引っ込めた。

 このまま美しい寝顔に見惚れていては、どうにかなりそうだったからだ。


「…………?」


 腰を上げようとすると、何かに引っ張られる感覚があった。

 振り返ると、彼女が服のすそをつまんでいた。


「遠慮しなくてもいいのに」


 寝起きとは思えないほどはっきりとした声で、彼女は見透かしたように囁いた。

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