【A視点】まさかの親同伴
目が覚めたときには、すでに正午を大きく回っていた。
「あ、もういいの?」
隣には、ソファーに腰掛けてのんびりと再放送のドラマを鑑賞する母親の姿があった。
「ええと……」
なぜ実家にいるはずの親が居座っているのかを理解するのに、数十秒の時間を要した。
寝起きの回らない頭では、処理速度は数世代前のPC並みだ。
「突っ立ってないで座ったら? あと、野菜の処理終わったわよ」
「あ、うん、ありがとう。助かった」
「で、ついでだから何食か作ってタッパー詰めといたわ。おかずか弁当にでも活用しちゃって」
「その……何から何までありがとう」
「いいのよお礼なんて。働きで返してくれれば」
ね? と微笑む母親の影には、やはり就活に対する威圧感を覚えた。
年齢から逆算すると、過酷な就職戦線を生き抜いてきた世代になるから当然といえば当然か。
「ところでこんな時間だけど、お腹は」
「空いてる。だからそろそろ帰ろうと思ってたんだけどね。寝てるとこを去るのも悪いかなーと」
「じゃあ、私が何かご馳走しようか」
手間のかかる野菜処理を1人でしてくれたのだから、それくらいの孝行はさせてほしい。
「いーよ。あーた疲れてそうだもん。こき使ってるようで悪いわ」
寝たから大丈夫だと主張しようとしたが、一度決めたことを母親は譲らない性分であることを思い出し、押し黙る。
「あー、じゃあねぇ」
母親は良いアイデアが浮かんだかのように、突然手を叩いて言った。
「近くのスーパー。あれ外に飲食店何軒かあるでしょ? あそこいいなー」
「え」
家の近くのスーパー、加えて飲食店が複数設けられてる施設となれば一つしかない。
「……ちなみに、どこで食べたい?」
「そおねぇ、」
母親は鮮やかな手付きでスマートフォンを操作する。
検索結果はやがて、その施設の公式ホームページへとたどり着いた。
「あ、ここいいじゃない。ここ。おしゃれだし」
そう言いながら見せてきた画面は、案の定の店名だった。
思わず額に手を当てそうになる。
彼女の職場だったからだ。
「”珈琲の隠れ家”だって。いっちょまえにシャレオツな名前しちゃってまあ。でもホットケーキが売りかあ。最近食べてなかったのよね。美味しそうだわ」
凝った調度品で飾り立てた、ちょっとした秘密基地感を醸し出すその店はやはりというか女性人気が高い。主な従業員の大半は若い女性である。
ちなみに、私は一度も訪れたことがない。全部彼女から聞いた情報だ。
顔見知りがいるお店に顔を気軽に出せるほど、私は肝が据わっていなかった。
美味しいから食べにくればいいのにーと軽く誘われたこともあったが、今はどうなのだろうか。
「うーん……」
「あら、カフェ嫌だった? 高いしいっぱい食べるとこじゃないし」
問題は別にあったが、ここで母親の希望を却下するのも良心が傷んだ。
「何でもない。入りづらいなと思ってただけ」
「なーに言っちゃってんのよ華の女子大生様がさ」
問題は別なのである。
「じゃ、本当にそこでいいんだね?」
「いいよ。食べに行こう」
最終確認を取って、母親がトイレに消えていったのを横目に私はLINEを立ち上げた。
相手は、当然ながら一人しかいない。
母親と今から食べに行くけど驚かすつもりはない、ただの客として見てくれ、と。
「(来ない……)」
彼女のレスポンスの速さには定評がある。この時間帯で既読も付かないということは。
外出している可能性も考えたが、数分経っても来ない辺り、多分。
「何してるのー? 行くわよー?」
玄関先で立ったまま動かない私に呼びかける母親に続いて、急いで靴を履いた。
戸締まりを確認し、母の待つ車へと振り返る。
「はい」
とっくに乗り込んでいるものだと思っていた母親は、私の目の前にエンジンキーをぶら下げた。
「せっかくだから運転してみる? 免許取ってからあんまり乗ってないでしょ」
「それ、今言おうと思ってた」
ただ向かうだけなら徒歩でも5分とかからない。
が、車に乗れるのは今しかない。
受け取って、久方ぶりの運転席へと座る。
もしかしたら、車で来たのは私に練習の機会を設けてくれたのかもしれない。
「信号はギリギリでも他の車みたいに突っ切ろうとしなくていいからね。バックは時間かかってもいいから焦っちゃダメよ」
「分かってる」
キーを回す感触に緊張しながら、私は車を発進させた。
彼女のバイト先に行くことを決めたのは、何も母親に気を遣ったからだけではない。
女性受けが高く、従業員の大半は若い女性。
これが何を意味しているのかと言えば、店の雰囲気、時給の高さ、制服の華やかさ。いずれかに該当する。
これから向かうお店は、わりと全部の条件を満たしていた。
単純に、私は可愛いとされるそこの制服に身を包んだ彼女を見たかったのだ。