4 インドカレー屋敷
茜は日をあらためて、風間夫妻の自宅に訪れることになった。カレーライスの梵天堂は、鎌倉にあるそうで、風間夫妻の自宅もその近くの山の中にあるということだった。しかし安子が言っていたように近くに海はなく、山側だった。
茜は早朝に支度をして家を出た。電車とバスとを乗り継いで、風間夫妻の家に訪れることになっていた。茜は、山道のバス停に降りたところで、安子と待ち合わせていて、そこから先は、彼女に案内されることになった。
道を進むと、ほどなくして、山の中にある風変わりな洋館にたどり着いた。それは赤茶けた煉瓦造りの建築のように見えた。三階建てで、大きな窓が開いている。二人は洋館を前にして、立ち尽くした。
「立派なお宅ですね」
「そうね。大正時代に建てられたものを改築したのだそうだけど……」
「この洋館のどこかに、レシピがあるんですね。この暗号に書かれているようなものがあるとヒントになるのですけど……」
と茜は、暗号の文面を思い出しながら言った。
「残念ながら、サリーなんかうちにはありませんよ。主人がどういうつもりでサリーなんて書いたのか知らないけれど……」
安子はそう言うと、茜を案内して、玄関に入った。茜の目の前には赤く焼けたようなランプ型の電球が吊り下げられていて、草の文様のような壁紙が廊下を彩っていた。
「まず、お部屋をご案内する前に、主人の一番弟子だった稲葉さんに会っていただこうと思うわ」
と安子は言うと、茜を食堂に案内した。
食堂はまさにインドの豪邸のように広々としたものだった。その中央に、インド人風な顔をした若い男が立って、こちらをじっと見つめているではないか。彼は、入ってきた茜ににこりと微笑みかけると、握手を求める手つきをして、茜の方へと歩み寄ってきた。
「梵天堂に勤めている稲葉元彦です。あなたが大学生で探偵をされている柚月茜さんですね」
「ええ……」
流暢な日本語で話しかけられたことに茜は驚いて、口の中でモゴモゴと返事をした。抵抗感があって握手はしなかった。
「あの、安子さんからお話はうかがっております。よろしくお願いします」
茜は、稲葉の微笑みになんとも言えない胡散臭さを感じたのだが、会話をして安心したせいか思わず笑ってしまった。それにしても、彼がなぜインド人のような顔をしているのかよく分からなかった。後で聞いた話によると、彼の父親は生粋のインド人で、彼はその父親と日本人の母親との間に生まれたハーフなのだという。
「こちらにお座りください」
「失礼します」
茜は、言われた通り、椅子に座ると、稲葉は食堂の奥へと引っ込んでしまった。隣には、安子が座っている。
しばらくして稲葉が、大盛りのカレーライスを持って現れた。
「早速ですが、あなたにわたしがつくった梵天堂のカレーを食べていただきましょう。とても美味しいと思うはずです」
そう言うと、稲葉は、山盛りの米とカレーがよそられた大皿を茜の前に置いた。茜は、まさかここでカレーライスを食べることになるとは夢にも思っていなかったので、幾分、反応に困ったが、断るのも無粋な気がして、言われた通り、スプーンで一すくいして頬張ったところ、フレッシュなスパイスと奥深いコクのある味わいがたしかに美味しかった。
「美味しいです」
「ところが、これは梵天堂カレーの本来の味ではありません。風間店長のつくる梵天堂のカレーはもっともっと美味しかったんです」
と稲葉は熱弁する。これより美味しかったといわれても、どれほどの美味しさだったのかは想像することもできない。茜はなんとも返事がすることができずに頷いた。
「わたしが風間さんから教わったことを単純に再現しようとしても、この味が限界なのです。なんか、こう、スパイスのバランスがもっと完璧だったのと、コクと味わいの深みが足りないのですよね。梵天堂の営業再開には、どうしても店長の残したレシピが必要なんです」
「そう、なのですね……」
茜は、そんなにプレッシャーをかけられてもね、と思った。