これが理由ですか?part③
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二人で馬を走らせリアリスまで戻ってくると、我が家であるディーベルト家の邸宅が見えてくる。
邸の前まで行くと、門の所で苦笑しながらも門番の男が出迎えてくれた。
「ただいまぁ〜」
「お嬢様、お帰りなさい。ジルと合流できたんですね。こいつ脇目も振らずに飛び出てったんで、気にしてたんですよ」
「あー……ごめんなさい。さっきジル怒られたわ」
「いえ、俺はお嬢様なら大丈夫だと別段心配してなかったんですけど…ジルと坊ちゃんは、ねぇ?」
にやにやと何かを含んだ笑みを浮かべてジルの方を見た門番に、ジルは素っ気なく『お嬢様に何かあってはいけませんから』と返している。
ところで…今しがた坊ちゃんと言っていたが。
この家で坊ちゃんと呼ばれているのは長男か次男。
長男は今はクレセアルにはいないので、消去法でウィルのことだと気づいたアリエラ。
「もしかして、ウィルも私の事探していたの?」
「はい。何度も、『ねぇ様はまだですか?』とここまで聞きに来ておりました」
「元々、お嬢様がウォルドの森に言っていると教えに来てくれたのは坊ちゃんですしね」
あちゃーとアリエラは額に手を当てた。
まさかウィルの耳に入っていたとは。
一人で出歩くこと自体はウィルもそれほど大騒ぎはせず、少しばかり拗ねるくらいなのだが、行先である『ウォルドの森』についてはウィルも多大にアリエラの事を心配するのだ。
「ウィル、多分相当心配してくれてたんだろうな………謝らなきゃなぁ」
「俺の時もそれぐらいの反応を見せて欲しいのですが」
「え、ジルの時も反省してたわよ?」
「いや、何せ最初の一言がアレでしたから……」
「ん?なんて言われたんだ?」
横で聞いていた門番が興味津々にジルに聞いた。
そしてにっこりと笑みを深くしたジルは。
「謝罪や反省よりも、お嬢様は『汗も滴るいい男』の俺に釘付けだったようです」
「っぷは!!そりゃ最高だ!!流石、お嬢様」
ジルが言った言葉に、門番の男はどのような状況だったか想像できたのか、腹を抱えて大笑いした。
ひーひーと死にかけのような呼吸で、瞳に涙まで浮かべて笑う門番に、そんなに笑うところあったかしらと首を傾げる。
いつまで経っても笑い終わらない門番を置き去りに、アリエラとジルは馬小屋まで行くと、自分達を乗せてくれていた二頭を個別のスペースに連れていく。
沢山走ったからと、桶にたっぷりの水を入れて差し出せば、ごくごくと気持ちの良い飲みっぷりを見せたアルカス。
「お疲れ様」
お礼を告げてアルカスから離れると、ジルはもう既に馬小屋を出ていた。
外で待っていたジルと連れ立って屋敷へ戻ると、先にウィルの所に報告に行ってくるからアリエラは部屋で待っているようにと言い残してジルは去っていく。
自分もウィルに謝りに行きたいと言ったのだが、どうせ報告に行けばウィルの方から訪ねてくる筈だと言われたので、仕方なくに自室へと戻っていく。
自分の部屋に戻ると、まず最初に手や顔を洗った。
所々土や草で汚れた服はすぐに脱ぎ捨てて、シンプルな袖なしのシャツとハイウエストな青のスカートに身を包んだ。
この格好ならば腕も出るし、足も膝丈の裾なので確認しやすい。
大した怪我ではないのだが手当もしやすいだろう。
ジルにも約束してしまったし、手当はしとこうとアリエラが手当用のキットを取りに動こうとしたら、コンコンと部屋の扉がノックされた。
「どうぞ?」
入室を促せばバンッと勢いよく音を立てて扉が開き、アリエラの元まで勢いよく駆けてきて腕へと飛び込んできた人物。
アリエラの首にぎゅうと抱きついてきたのは、我が愛しのウィルだった。
「ねぇ様、良かった!無事だった!」
そうだった。ウィルは私のことを酷く心配してくれていたのだった。
アリエラはぎゅうと抱きついてきた弟を抱きしめ返す。
「ウィル、心配かけてごめんね?でもこの通りぴんぴんしてるから安心して?」
「でも、ウォルドの森は危ないので出来れば行かないでください……」
う〜ん………別に言うほど危なくはないし、ウォルドの森には運動以外にも別の用事でよく行くので、行かないと言うのは難しい。
しかも先刻、森を抜ける時に『また来ます』と約束をしてきたばかりだ。
もし仮にウィルが『ウォルドの森へ行ってきます』という話であれば全くの別物で、そんな事を言い出した日にはそりゃもうアリエラは心配して必死に引き止めるのだが。
行くのが自分であれば全くもって問題なし。
私にとってウォルドの森は『経験値爆上げ、癒しも満点、美味しい物もたっぷりの何でもお任せあれ!(?)』な場所。
アリエラにとって頼りになりすぎるお方も森にはいるし……。
(私は、……ねぇ?)
"行かない"というのは無理だな。
理由は色々あるが、とにかく無理だ。
ここ最近ウィルのお願いに応えられないことが多くて申し訳ないが、このお願いには首を縦に振れない。
「んー、行かないのは無理かな?でもジルとも約束したから、今度からウォルドの森の『危険区域』には勝手には行かないから、そこは安心してっ!」
ね?と態とらしいかとも思ったが、可愛いウィルの顔を覗き込む様にして困った顔を見せた。
すると『覚えていたようで何よりです』とジルの笑い声が聞こえてきたので、声のした方をちらりと見れば、扉の所に執事服を綺麗に着こなしたジルが立っていた。
ウィルに報告をした後一緒に来たのだろう。
(ジルってば……いくらなんでも私はそんな鳥頭ではないわよ!?)
じとっと文句を込めた視線をジルに向けて送る。
しかもよく見ればちゃっかりジルも着替えを済ませていたようで、先程まで着ていた執事服と別の物を身にまとっていた。
執事服のまま騎乗していたし、汗もかいたから着替えるのは当然だが、乱れていた髪までちゃんとセットし直してある。
あの短時間で着替えも済ませ、ウィルに報告も上げてここに一緒に来るとは…一体どういう事だ。
早業がすぎやしないか?
アリエラがそんなことを考えていると、腕の中にいたウィルがもぞもぞと動き、分かりましたと顔を埋めたまま渋々頷いてくれる。
そんな可愛らしい弟に、アリエラは一つお願い事をした。
「そうそう、ウィル。お願いがあるんだけどいい??」
「なんです?ねぇ様」
「私いっぱい動いたから、夕食までお腹が持ちそうにないの。帰ったらウィルとおやつ時間を楽しみたいなぁって思ってたんだけど、どうかしら?」
「しましょうっ!」
ぱぁっと華やかな笑顔を浮かべたウィルが食い気味に返事をしたので、アリエラはウィルにマッシュとダニーにお菓子の用意をして欲しいことと(出来ればパンケーキでとウィルに抜かりなく念押しし)、ヴィーにテラスにお茶会の用意をして欲しいという伝言をウィルに預けた。
「私は少し休んでから行くから一時間後ぐらいにテラスで待ち合わせね??」
アリエラと約束を交わすと、ウィルは上機嫌で部屋を出て行った。
飛び出して行ったウィルを見送ると、ジルはまだ扉の所に立っていて、どうしたの?とアリエラが問う。
ジルは無言で部屋の中に入ってくると、扉を閉じて鍵をがちゃりと内側から閉めた。
何故鍵なんて掛けるのかしら?とアリエラが首を捻っていると、ジルはアリエラの目の前まで来ていた。
じっと綺麗な青色の瞳に見下ろされ、見詰め返していると。
ジルの手が私を引き寄せ、バランスを崩した体をジルはそのまま抱えあげてしまう。
体制的には所謂『お姫様抱っこ』をされた事に、アリエラはびっくりして声を上げた。
「ジルッ!?どうしたの!?」
いきなりの浮遊感にばたばたと足をさせていれば、『落ちますよ』と耳元で囁かれる。
思わずひゃっと小さく悲鳴を上げたアリエラを、ベッドまで抱えて運んだジルは、そっと抱えていたアリエラの体を降ろして座らせる。
優しく降ろしてもらったアリエラは、ベッドの端に腰掛けるようにして座らされていた。
「えっと、ジル、本当どうしたの?」
ベッドまでなら自分で歩けるし、いきなり何故ベッドへ連れていこうとしたのか。
アリエラにはジルの思考が全く分からない。
戸惑うアリエラに待っててと一声かけると、ジルは部屋の壁に並ぶ棚の一つを開け、その中からそれなりの大きさの木箱を手に戻ってくる。
それはウィルが来る前にアリエラが取り出そうとしていた物で。
「手当て、するんでしょう?」
そう言って、ベッドに腰掛けているアリエラの隣にジルも腰掛けた。
木箱の中には消毒液やガーゼに包帯、色々な効能の薬草の塗り薬や簡単な呑み薬が詰まっている。
所謂"救急箱"だ。
ジルが処置用の必要なものが詰まった木箱を持ってきた事で、アリエラはなるほどそういう事かと、頷いた。
ありがとうとジルが持つ木箱に手を伸ばせば、その手を叩き落とされてしまった。
「ん?ジル?どうして手を叩くのかしら?」
まさか叩き落とされるとは思っていなかったアリエラ。
何をするのだと訝しんだ目でジルを見上げる。
「これから手当をするからです」
「えぇ、だからその木箱を渡して欲しいのだけど…」
勿論そのつもりだと、手当する為に木箱へ手を伸ばしたのに…なぜその手を叩き落とすのか。
それをくれなければ手当が一向にできないじゃないか。
そう思って文句を言いながら手をもう一度伸ばせば、今度は木箱を高く持ち上げられてしまい、アリエラが伸ばした手から遠ざけられた。
「ジゼル……遊びたいなら後にして」
「残念だけど、遊んでるわけではない」
一瞬幼馴染の二人に戻るが、すぐにジルは『お嬢様』とアリエラを呼んだ。
「傷の確認と、手当……約束通りしましょうか?」
ジルの手が伸びてきて肩を掴まれる。
「えー………と、ジル?どういう事かしら?」
「どうって、約束したでしょう?帰ったら大小関わらず傷を全部確認して、俺が手当すると」
「あ、あれ??おかしいなぁ…そこまでの話ではなかったはずだったと思うんだけど……」
「お嬢様は忘れっぽいですから」
確かに確認とか手当とかの話はしたけれど……いやいや、絶対そこまでは言ってなかった!いくら私でもそこまで言ってない。
ましてやジルに手当を頼むとかないっ!断言出来る!!
私の普段を指摘することで、あたかもそうだったと言う口振りだが騙されないわ。
「いくら私でも、全部ジルに手当を頼むのは有り得ないわっ!そんなことしたら、恥ずかしいじゃない!!」
さっき着替えていたら、手足の普段晒す所以外にも、脇腹や太腿に小さな切り傷や打撲もあった。
幾度か体当たりされた時に、脇腹辺りに痣は出来ていそうとは元々感じてはいたが、ジルにそれも含めて全部なんて言うはずがない。
言っていたとしたら大馬鹿者だとお馬鹿な自分を殴る。
手当をするということは、前提として患部を見せなければいけないのだから、いくら幼馴染でもアリエラだってもう年頃の女子だ。
恥ずかしいと思うことだってある。
顔を真っ赤にしてジルに文句を言うと、ほぉ?と目を細められた。
「お嬢様から恥ずかしいなんて言葉が出て来るとは意外ですね?それにしても…そんな恥ずかしい場所にまで傷をつくったという事ですよね?」
じりじりと距離を詰めてくるジルに思わず体を引くアリエラ。
気づけばそれ以上進めず、行き止まりのベッドの背まで追いやられていた。
ジルの両腕がベッドの背とアリエラの腰掛ける後ろ辺りにある為、これでは囲いこまれているようなものだ……逃げ場がない。
「さ、手当の時間ですよ?」
「ひゃ、ひゃい………」
結局ジルの圧と執念に負けたアリエラは、引き摺られる様にして元の位置まで戻ると、まずは腕からと言われ腕を差し出す。
「腕は細かなかすり傷が殆どですね」
「まぁ、殆どないに等しいけどね……」
いや、ほんとに。
これは傷と言っていいのかさえ微妙なものなのだが。
それでも一応と、ジルが消毒液を湿らせたコットンをピンセットつまみながら、一箇所一箇所アリエラの肌をなぞっていく。
腕の処置を終えると、次は足を確認するためにジルは一度ベッドから降りて、アリエラの前まで来ると片膝を付いた。
ジルが自分の膝を台代わりにし、アリエラの足を片方乗せると少し足が浮き上がり、アリエラは咄嗟にスカートを押さえた。
この高低差ではもしかしたら見えてしまうかもと、素早く動いたおかげで見えてはいないはず。
ジルは気にせずに腕同様に大してついていない傷を探しては消毒をし、打撲には薬草の塗り薬を塗ってくれているので、やっぱり見えてないなかったようだ。
ほっとアリエラは息をついた。
塗り薬の時だけ薬を掬いとったジルに素手で触られるため、肌をなぞる指先がなんだかくすぐったくて時々アリエラは身動ぎしていた。
足の方が傷が多く、かなり時間をかけながらジルが処置を施していく。
足に一箇所だけ、少し深めに切り傷が出来ていて、そこにコットンが当てられた時ピリッとした痛みが走り、思わず顔を顰めてしまう。
「…っ!」
「染みますか?」
「だ、大丈夫!ちょっとびっくりしただけっ!」
「……強がり」
小さくジルが何かを言った気がして聞き返そうとすれば、ジルがまた傷にコットンを当てたのでまた僅かに出そうだった声ごと飲み込んだ。
ようやく見える範囲の手足の処置を終えると、アリエラはほっと息をつく。
これで気まずい空気は終わる…そう思っていたのに。
ジルがさて…とアリエラを下から見上げてくる。
「後はお嬢様の言う、『恥ずかしい所』だけですね。どこですか?」
満面の笑みで下から見上げられたアリエラは固まった。
(え、なに?やっぱり、本気だったの……?)
爽やかな笑顔を浮かべているが、どこか胡散臭いその笑顔のジルにアリエラはひくっと顔を引き攣らせてしまう。
今日のジルはやばい…アリエラは今度こそ冷や汗を垂れ流す。
「ジル…?さっきも言ったけど、恥ずかしい所なんだから、ジルにしてもらうのはちょっとー…」
「全部、と言いましたが」
「それ!絶対言ってないと思うのだけど!」
相変わらずその一言で押し通そうとするジルに、流石にアリエラも反抗した。
それでも、笑みを崩さないジルは、一切引く気はないようで、ピンセットを掲げたまま静かに待っている。
「…………」
「…………」
二人は無言の攻防を続け、何分経ったか……。
引きそうもないジルにアリエラが諦めてスカートを少し持ち上げた。
「右の太腿の所……と肋の所」
「…………分かりました」
小さな声で傷の場所を教えたアリエラ。
さっきまであの胡散臭い爽やかな笑みを微塵も崩さずいたジルの表情が、アリエラの言葉で僅かだが一瞬崩れた気がした。
けれど見直せば、やはり気のせいだったのか、先程と変わらずの胡散臭い笑みを貼り付けていた。
ジルは立ち上がると、もう一度ベッドに座るアリエラの隣に腰掛けた。
晒すのは患部だけになるように慎重にアリエラはスカートを捲ると、少しだけ青くなった痣が薄らとある。
「打撲の方でしたか…」
切り傷と思っていたらしいジルは、手にしていたピンセットを置くと、薬草の塗り薬を指にすくい取り患部に指を伸ばした。
優しい手つきで太腿をジルがなぞると、調合された薬草に混じっているすーっとした清涼感がそこから広がる。
スカートを慎重に掴んだまま、アリエラは恥ずかしさに耐えながらその光景を眺める。
(これ…一体なんの羞恥プレイですかー!?いい歳して、人に…しかも幼馴染の男の子に、こんな場所手当してもらうとか、何っ??羞恥心で死ねってことなのかな!?)
脳内では、羞恥のあまりアリエラが大暴れする程の恥ずかしさだ。
そんな中、ぴくりとアリエラは絶賛手当中の右足を跳ねさせた。
「ひゃっ……ん、ちょっとくすぐったい」
「………」
撫でられていた所が変に擽ったかったからだ。
身じろいだアリエラを無視し薬を塗り続けたジルは、その後ジルがもういいですよと声をかけてきたので、処置が終了したと判断したアリエラはスカートを元の状態へとすぐさま戻した。
後は肋だけ乗り越えれば、この羞恥プレイは終わる!と半ばやけくそでアリエラはスカートの中に入れていたシャツの裾を引き出そうとした。
すると、それをジルが止める。
「……後は肋だけでしたよね?すみませんが、思ったよりも時間が押してしまっているので、後はお嬢様にお任せします。それでは俺はこれで」
自分の右腕に付けていた腕時計を一度見たジルは、指に残った薬草を布で拭いとると立ち上がり、扉の鍵を開けてあっさりと部屋を出て行った。
さっきまでの執念はどこに置き去ったのかというほどそれはもうあっさりと。
アリエラはジルに止められた格好のまま、ぷるぷると体を小刻みに震わせてジルが消えていった扉の方を見ていた。
……あまりの羞恥に、熟れすぎてしまった実のように真っ赤な顔で。
「な、な、ならっ、はじめからそうしてよっ!ジルの馬鹿ーー!!」
一人の部屋で思いっきり叫んだのだった。
「ねぇ様?何かあったの?」
そして約束していたアフタヌーンティーの時間に、アリエラのまとう雰囲気の違いに勘づいた可愛い弟から不思議そうな顔でそんな風に問われた。
「さぁ?ジルなら知ってるんじゃないかしら?」
「え!?やっぱり何かあったのですか、お嬢様!!」
あの後、少し時間を置いて落ち着気を取り戻したアリエラは、残りの肋の打撲部にも一応言われた通り塗り薬を塗り木箱を片付けた。
ジルとは暫く口を利いてやらないと、ふつふつと残っていた怒りで文句を並べているとヴィーが部屋へやって来て。
「少し早いですが準備もできていますし、坊ちゃんが待ちきれずに既にテラスへ来てますので、お嬢様も大丈夫そうならどうですか?」
と呼びに来たので、約束よりは早いが愛しの弟が待っているなら行こうと部屋を出た。
道すがらヴィーから何かありました?と聞かれたので、大した事じゃないのとその時は返したのだが、テラスへ来て席に着くとウィルからも同じことを聞かれ、アリエラはちょっとしたジルへの意地悪のつもりでついそう返してしまっていた。
「ジル…ですか?後で聞いてみます!」
にこやかな笑みで答えるウィルに『えぇ、そうして』とアリエラもにっこり笑った。
(少しはジルも困ればいいのよ)
内心は腹黒い笑みを浮かべながら。
ただ、それよりも更に腹黒さでは本家とも言えるウィルは。
「……たぁーっぷりと聞き出さなきゃなぁ」
アリエラに聞こえない小さな呟きを紅茶と共に喉へと流し込んでいた。
当のアリエラは地味な憂さ晴らし果たし、目の前に誘惑的に並ぶお菓子の美味しさに耐えきれず、すっかり不機嫌さは歓喜で塗り替えられていた。
リクエスト通りふわっふわなパンケーキと添えられたクリームにフルーツ。
ここに帰ってくるまで待ちに待っていたそれが目の前にあるのだから仕方ない。
美味しいと上機嫌でパンケーキを口に運び、香り高い紅茶を味わうアリエラ。
ウィルだけではなく、そばに控えていたヴィーも何があったのか知りたそうにしてはいたが、ウィルの様子をこっそり見ていたので、これならば自分の出番はないだろうと、可愛い主とその弟のティーカップにお替りを継ぎ足すことに専念した。
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夜の静まりかえった邸の庭で、ジゼルは一人模造刀を手に素振りをしていた。
月明かりが照らす庭で、力強く模造刀を振り下ろすジゼル。
今日はディーベルト家の当主である旦那様も、夜間警備の関係で宮城に泊まり込みの仕事だ。
いつも忙しいこの家の旦那様は、手が空いた時はジゼルに自ら訓練を付けてくれるが、こうして一人の時は昼間なら騎士団に混ぜてもらう。
夜は通常業務後の自主練なので、基礎である体幹や筋力をつけるため素振りを普段からしていた。
今日は色々あったから精神的にも肉体的にも少しばかり疲れているが、怠ることなくジゼルは庭の一角で素振りを続けていた。
振り下ろした回数が百を超えたところで、少し休憩しようと芝生に腰を下ろすと、顔を上げた先にまだ明かりの灯る部屋を見つける。
あの位置はアリエラの部屋がある場所だ。
きっとまた夜更かしでもしているのだろう。
オレンジに淡く光るそこをじっと見つめていると、ふと…考えないようにしていた昼間の出来事が蘇ってきて、思わず顔を両掌で覆って俯いたジゼル。
要らぬ心配だと分かっていても、やはり心配でアリエラを追いかけたジゼルは、見つけたアリエラからあろう事か、ウォルドの森の危険区域で魔呼びのポーションを使って訓練をするという暴挙に出ていたとアリエラから聞かされて絶句した。
能天気すぎるアリエラは、かすり傷とはいえ怪我をしたというのに全く反省も懲りてもいなかったので、少し反省を促すつもりで手当を買って出た(押し通った)のだが………自分で言い出した事のはずが、やり過ぎたと今は反省していた。
普段から晒している腕や足の部分に触れるのは問題ない。
そもそもがおっちょこちょいのアリエラだ。
割といつもの事だし、別に意識することもない。
ただ問題はアリエラが言っていた『恥ずかしい所』だった。
あそこまで際どいところとは思っていなかった為、ジルはアリエラにお灸を据える意味も込めて引き下がることなく手当をすると言ったのだが、アリエラが渋々見せたのは太腿……しかも付け根よりの何とも際どい場所だった。
恥ずかしそうに自分からスカートを捲って口を引き結ぶアリエラみを見て、まだまだ未熟なジゼルは思わずポーカーフェイスを一瞬崩してしまったほどの破壊力がそこにあった。
しかもよりにもよって、そこは擦り傷ではなく打撲。
打撲だと塗り薬を塗らなければいけないので、必然的に直に触れることになる。
腕などに触れるのも少しは緊張するというのに、幼い子供の頃ならいざ知れず、十四歳になり思春期を迎えているジゼルは内心これでもかというほど緊張していた。
同じく十四歳になって、以前よりは自意識をしだしたアリエラが恥ずかしがっていたのも今なら頷ける。
場所がそこだと分かった時点で、やはりアリエラに任せて止めればよかったのに、ジゼルは震えそうになりながら薬をつけた指先で、普段晒されることのない場所を気付けば指でなぞっていた。
白くて柔らかいそこに指を滑らせ、意味もなくゴクリと喉が鳴って目眩がしそうになった。
触ってしまってから、自分は何をしてるんだと思うのに、意思に反して……いや、ある意味意思に忠実過ぎたのか。
そこから手を離すことが出来ずに数回患部をなぞっていたらアリエラがひゃっと小さく声を上げた。
くすぐったいと言うアリエラから、さっきまで言うことをきかなかった手を咄嗟に離したジゼル。
アリエラから漏れた小さな声が脳内でリフレインして、徐々に体の熱が上がり始めてしまったジゼルは、『もういいですよ』と考えるよりも先に終わりの言葉にしていた。
ジゼルの様子に気づかないアリエラは、終わったと思いスカートを直ぐに元の位置に戻した。
(これ以上は不味い……)
このままではポーカーフェイス云々所ではない。
色々と不味い…と危惧したジゼルが手当を放棄しようとすると、それよりも前にアリエラが相変わらず恥ずかしがっている癖に、自分でスカートからシャツを引っ張り出そうと動き出してしまう。
最後の一箇所が肋と言っていたからそのための行為だろうが、慌ててジゼルはアリエラの行動を手で制した。
さっきのでもかなり危険だったのに、肋なんてとてもじゃないが手当できない。
そんなことしたら確実に取り返しがつかないほどやらかすか、自分が崩壊するだろう。
これ以上は耐えられないと、自分の限界を把握してるジゼルは、何とか理由を付けてここから抜け出す方法を瞬時に考えた。
結果……別に時間に問題はなかったが、それっぽい理由を並べてジゼルは残りの手当を放棄して部屋から出てしまっていた。
閉めた扉の中からアリエラが何か叫んでいたが、それどころではないので慌ててその場を離れたジゼル。
早足で邸内を歩き回ると、のぼせ上がった頭を冷やすために、残っていた仕事を手当り次第片付けることに没頭した。
ようやく頭が冷え、落ち着いた頃には夕食の時間になっていて。
食事の席を手伝いに行ったら、そこにいたアリエラがじとっとした瞳でこちらを見ていた。
やり過ぎた自覚があるので、罪悪感から思わず視線を逸らして、それでもチクチクと刺さるものがあったので、目が合っていない間もあの視線を向けていたのだろう。
食事の後は片付け等を手伝っていたから、アリエラとはその後会うことなく。
代わりにアリエラの弟、ドス黒いオーラを纏ったウィリアムから呼び止められて、『ねぇ様に何した?』と答えるまで逃がさない姿勢を見せ付けられた。
流石に自身の身の安全の為、全ては話せないので掻い摘んで説明してやると、納得はしていない顔で。
「…ふーん?本当にそれだけ?それだけでも問題だけど、それぐらいであのねぇ様があんなに不機嫌になるかなぁ?おかしいね?」
流石にアリエラの事となると鋭い。
ウィリアムもジルとも幼馴染であるが故に見抜いている節もあるが。
本当に十歳か?と思うような、洞察力で人当たりのいい笑顔を浮かべながらもかなりの圧をかけてくる。
さて……アリエラのことをよく理解しているこの弟をどうするか。
「まぁ…少しばかりお嬢様が恥ずかしがる姿が可愛らしかったので、意地悪はしましたね」
「どんな風に?」
「手取り足取り、手当して差し上げました」
「それ、僕に喧嘩売ってる??」
「いえいえ。お嬢様はいつものように大した傷ではないと言っていましたが、それなりの傷でしたので、ああでもして強引にしてしまわないと、絶対手当もせず放置しますから。坊ちゃんもお嬢様の能天気さはご存知でしょう?」
怒りを滲ませ始めていたウィリアムを、言葉巧みに抑え付ければ、反論をしようとしてやめたウィリアムがはぁと溜息を吐き出す。
「確かに……ねぇ様はそうだね。まぁジルでなければ駄目ということはないから、そこはヴィーでも良かった気がするけど、ヴィーだとねぇ様に言い負けるかもしれないし、今回は大目に見てあげる」
「それは良かった」
「でも、後で謝っとかないと大変だと思うよ?僕にも隠さなかったぐらいだから。そうなったらそうなったで僕は全然構わないけど。……一応幼馴染からの忠告だよ」
ウィリアムはそれだけ言うと、もう用はないとばかりに去っていく。
ウィリアムと別れ、自分も使用人達と食事を済ませると、本日の仕事を先程全て終わらせてしまっていたジゼルは、訓練用の剣を手に外へ出てきた。
素振りをしながら反省がてら煩悩も一緒に振り払っていたつもりだったが、こうしてきっかけさえあればすぐに先程の出来事を思い出してしまって体はまた熱を上げていく。
考えるなと頭を振っても、指先にまだ触れた時のあの柔らかな感触が残っている気がして。
「アリエラが無防備過ぎるのがいけない………」
アリエラが聞いたらまた怒りそうな言葉をぼそりと一人呟いた。
責任転換もいいところだが、やはりアリエラもいけないと思わずにはいられない。
いくら互いに攻防を続けていたからといえ、恥ずかしいと言うなら最後まで嫌がるべきだ。
もっと強くアリエラが嫌がれば、こっちだって引いただろう。
本気で嫌がらなかったのは、相手が幼馴染であるジゼルだったから…だとは思うが、もう少し警戒心や危機感を身につけて欲しい。
でないとこっちの身が持ちそうにない。
「まぁ……結局は俺が悪いんだけど」
そう、欲望に打ち勝てなかった自分が悪い。
はぁぁと長い溜息を付くと、再び立ち上がり素振りを再開させる。
(明日、絶対謝ろう)
ジゼルはそう心に決め、本来二百回で止める予定だった素振りを三百回に増やし、遅くまで体を動かし続けていた。
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アリエラがウォルドの森に出掛けたことてひと騒動起こしてしまった日から数日経った本日。
アリエラは侍女のヴィーやそのほか数人に身なりを整えられ、今は姿見と睨めっこしていた。
「…これは、やり過ぎなのでは??」
鏡の中にいる自分の姿を確認し、困りながら後ろにいたヴィーへと問いかける。
「いいえ?全くそんなことはありませんよ?」
本気でそう思っていないらしいヴィーが、さも当然ですとばかりに言うが、一度医者に目を診てもらおうか?
どう見ても目の前に映る姿は、アリエラにはやり過ぎな気がしてならない。
纏ったドレスは綺麗な桃色に、重ねるようにシフォン素材が使われ、そのシフォンの裾にかけて散りばめられた白い花の装飾、所々にレースやリボンをあしらっていて、派手すぎないものの目を引く存在感のあるドレスだった。
足首が見えるデザインのドレスに合わせて、少し高めのヒールは銀糸で花の細かな刺繍が入っている。
髪は両サイドを残し後ろで全て纏めあげていて、ただ纏めるだけではなく細かな編み込み。
その編み込みの合間にパールの装飾を散らすように編み込まれていて、手のこった髪型だ。
肌につける装飾品はアリエラが元々あまり好まないのを知っているので、シンプルなとても小粒のルビーが付いただけのネックレスのみだが……。
それにしたって気合いを入れすぎ感が半端ない。
まだデビュタントを迎えていないアリエラは、両親や兄姉に連れられてパーティーに行ったことは何度もある。
今回も両親が出席するので共に行くのだが、ただの付き添いでここまで気合いを入れずとも良くはないだろうか?と言うのがアリエラの意見である。
元々、見るのは好きだが自分はそこまで着飾らなくていいと思っているアリエラ。
しかも行ったところで、知り合いがいれば挨拶や雑談はするものの、基本は趣味の為に隅で大人しくする…というのがアリエラルールなのだ。
目立つよりも寧ろ目立たない程度の姿でこっそり周りを鑑賞したい。
それなのに………。
「とってもお似合いです!うちのお嬢様が一番です!」
ふふんと満足気に鼻を鳴らしているが。
ヴィー……一番なわけがないし、別に一番になりたくもない。もっと言えば目立ちたくないわ……と肩を落としながらぼそぼそと告げた。
「またそんな事言って。お嬢様の場合どの道目立つので、宝の持ち腐れにするぐらいならいっそ着飾ってしまった方がいいですよ?じゃないと結局悪目立ちしますから!」
「え…なぜ選択肢がどちらも目立つの!?」
「お嬢様ですから」
それ答えになってないからね!?と噛み付けば、そろそろ時間ですよ?と待ち合わせの玄関ホールへ向かうように促された。
上手いことヴィーに誤魔化されたままアリエラは仕方なく部屋を出ると、玄関ホールには既に私以外の家族が揃っていて、その顔面偏差値にくらりと目眩を覚える。
(圧巻だわ……)
我が家の家族は流石の輝きっぷりでした。
この顔面に挟まれて行くなんて、嬉しいやら悲しいやら……早くも行きたくなくなってきたアリエラに、駆け寄ってきたウィルのお世辞と思われる賛辞の言葉に続いた『ねぇ様との夜会楽しみです!』の一言によって、退路が塞がれて(弟の威力に負けただけ)手を引かれながら皆で馬車まで向かった。
「アリエラちゃん、良く似合うわぁ!ウィルもこうして見ると本当に大きくなったのね〜。随分大人びちゃって」
「そうだね。二人とも本当に素敵だ」
馬車に乗り込むと父と母からそんな言葉をもらった。
ちなみに席順は安定で、向かい側に父と母が並んで座り、反対側が私とウィルと言う配置だ。
まだ兄や姉がいる時は、基本は夫婦水入らず(イチャイチャ)を楽しめるように馬車を二台用意し、両親ペアと子供ペアに別れて乗り分けていた。
……と、そんなことよりも。
いやいや、こちらの台詞ですよそれ?お二人共鏡を見てきましたかと、のほほんとしている両親に言ってやりたいのですが……と呆れるアリエラ。
ただ、そんな両親も正しいことを一つは言っていた。
「ウィルについては同感です!こんなにカッコ可愛くなっちゃって!………まぁ、私に関してはやりすぎな気がしてならないのですが…最早ドレスに着られているレベルで…」
隣に並んで座る弟は間違いなく賞賛に値する。
しっかりと大人っぽいデザインのタキシードを着こなしていて、それに合わせてサラサラの銀髪を今日は両サイドを綺麗に流し固めている様で、更に大人びて見える。
十歳でこんなに整っているのでは、近い将来花嫁希望者が後を断たなくて大変なのではないかと心配してしまうほどだ。
我が家の天使を巡って、血で血を洗うバトルロイヤルが起きないことを切に願っている。
それと比べてと、アリエラは視線を下げてじっと自分の姿を見下ろした。
「あら、そんな「そんなことないです!ねぇ様にピッタリです!」」
母が何かを話そうとしていると、そこに被せるようにウィルがアリエラの両手を取りながら声を上げた。
言葉を遮られた母はあらあらと笑っているが、アリエラが『いや…』とか『でも…』とか、何かを言おうとするとウィルが力強く否定するので若干逃げ腰になってしまうアリエラ。
これは何をいっても駄目だと、若干姉馬鹿を発揮し始めているウィルにありがとうと言ってその話は締め括った。