アリエラの大好物とは?
前回に引き続き、回想中。
夜会にもいた従者『ジル』君が今回も出てきます。
リアリスの雰囲気なども楽しみながら、ジルとの掛け合いをお楽しみください。
そしてこの回ではアリエラのちょっと変わった趣味も………(笑)
アリエラの足は来た道を戻らずに大市場のアーケードを抜けた先の港場へと突き進んでいく。
港場と言うと、船の発着場と休憩場の広場。そして数軒のカフェくらいしかない場所だ。
買い物も終えた今何をしに向かうのだ…と思うことだろう。
アリエラは港場のカフェ……ではなく、休憩場の広場まで向かい石段の一箇所に腰を下ろした。
数段ある石段の下から五段目。中央よりも右寄りの場所。
もちろん石段があるだけの場所で、近くには何も無いただの石段だ。
少し下まで降りて歩けばちゃんとした、ベンチと簡易テーブル位はあるのにもかかわらず、アリエラは好き好んでこの場所を選んでいつも座る。
それはアリエラの目的を考えると、この場所が位置的に一番良いとここ数年の成果で分かったからだ。
「そろそろ来る頃かな?」
あと少しで船が港へやって来るはず。
アリエラは石段に腰かけながら、買い物の際に買っておいた自分用の小ぶりな果実を取り出すと、それを口に運びながらその時を静かに待った。
買い食いなんて貴族らしからぬ振る舞いではあるが、アリエラは気にせず一面に広がるコバルトブルーの光り輝く海と潮風に当たりながらパクパクと口に果実を放り込む。
貴族に生まれてしまったが故に、人前ではなるべく気をつけてはいるけれど、貴族より平民…普通の立場の生き方の方がアリエラにとっては性に合っている。
だから付き人などが居ない時や、一人の時はこうして自由に貴族という肩書きをとっぱらって過ごすことに決めていた。
口に放り込まれた果実は瑞々しく、程よい酸味と甘みが口内で広がり、思わずアリエラは顔を綻ばせる。
口に入れた果実の味は、記憶の中の懐かしい味に似ているが、記憶にある果実とは少し見た目が違う。
黄色の皮の中に包まれた張りのあるこの実はミルという名の果実で、種もなく皮ごと食べられるこの実をアリエラは気に入っている。
(こんな所、ジルに見つかったらまたお小言を貰うわね)
まぁ見つからなければいいわよねと、とすぐさまお怒り顔の幼馴染兼使用人を頭から追い出して、暫く美味しいミルの実をアリエラが味わっていると、ボォーーっと汽船が近づく音が波音に混じって耳に届いた。
(…来たっ!!)
アリエラの耳に届いたのは汽笛の音。
すぐさま音のした方へ顔を向けたアリエラの目はキラキラと輝いている。
今か今かと遠目に見えた船が、煙を黙々と上げながらこちらまで到着するのを、意味もなく前のめりになりながら待つアリエラ。
前のめりになったところで、距離は微塵も縮まらないのだが。
ソワソワとするアリエラと対照的に、ゆっくりとした動きで波間を滑る汽船は、緩やかに港場に近づくとやっとその動きを止めた。
船員が下船の支度を始め、少しするとぞろぞろと乗船していた客達が降りてくる。
その様子を食い入るように、離れたところから見ているアリエラ。
その顔は真剣そのもの。
じっと流れゆく人波を凝視していたアリエラは、ある一点に目を止めると、はぁと恍惚としたため息を吐き出した。
「す、素敵………」
思わずそう零してしまった。
そんなアリエラが目を止めていた先には、輝かしいブロンドの髪が緩やかなウェーブを描く美男子、そしてその男の手を取り寄り添う女性。女性の髪は男よりもさらに色素の薄いブロンドの髪を腰まで下ろしていて、これまた美しい容姿をしている。
その二人の姿は絵になると言っても過言ではないほどお似合いでとても美しい。
まるで絵画の中から抜け出てきたのではないかとさえ思える光景だ。
「あ、あの人も素敵…」
次にアリエラが目をとめたのは美しく華やかな赤を基調としたドレスを身に纏い、そのドレスに引けを取らない華やかな顔立ちの女性。
ちょうど付き人に付き添われて船から降りてくる所だ。
姿だけではなく美しい所作で歩く女性を遠くから見つめ、またもアリエラは熱い息を吐く。
(やっぱりここは穴場ね……!)
これから船に乗る人、戻ってきた人、そして他国からの客人。
ありとあらゆる国や性別の人々が行き来するこの場はアリエラにとって最高の観察スポットなのだ。
視力の良いアリエラは、ここに来るといつもここからこうして観察を楽しんでいる。
幼馴染のジルには人を観察するなんて趣味が悪いからやめた方がいいと言われているが、これだけはアリエラにとって断固として譲れないことなのだ。
何せ、アリエラは昔からとにかく『観察』が堪らなく大好きだった。
その中でも美しい物や人を観察して目の保養にすることが特に好きで、今まさにその『人間ウォッチング』中という訳で。
これは趣味であり、大事な癒しであり、最早生き甲斐と言ってもいい程、アリエラはこの時間を大切にしている。
なのでいくら誰に何を言われようとやめる気は全くない。
(美しいは正義!)
動いて喋って…感情の起伏の激しい人間程、見応えがあって面白いものはないし、それが美しい姿をしていれば癒し効果も付属されてくるのだから、やめたくてもやめられないに決まっている。
なので社交界では勿論のこと、こうして街に出ては『面白さ』と『目の保養』を探して眺めることがアリエラにとっての至福になっていた。
「今日は大当たりの日ね…はぁ、幸せ」
続々と現れる美形を眺めながら、恍惚とした溜息をつくアリエラ。
ここからだと姿しか拝めないのはマイナスポイントだが、『目の保養』という点だけで考えれば最高の場だ。
(目の保養だけならやっぱりここが一番!)
新しい美形を探しながらうんうんと一人頷くアリエラ。
そんなことをしていると時間はあっという間に過ぎてしまい、広場にある時計塔がカーンカーンとベルを鳴らした。
その音に慌てて時計塔の時刻を見れば、買い物に出て二時間は経っていた。
そろそろ帰らないといけないと、まだまだ幾らでも飽きずに見ていることは出来るが、母も魚(正確にはこれから調理され出来上がったマリネ)を待っているだろうし、あまり長居するとジルに見つかる危険性があるからと、アリエラは立ち上がる。
「ジルに怒られる前に……」
「……もう手遅れですね、お嬢様」
帰らなきゃ…と言い切る前に、背後から突然降ってきた声にアリエラはひぃっと大きな悲鳴を思わずあげて驚く。
恐る恐る後ろを振り返れば、すぐ後ろに怒りを滲ませた少年、ジルが佇んでいた。
咄嗟に身を引こうとすれば、ジルの手が伸びてきてアリエラの肩をがしっと掴んで離さない。
「お嬢様は一体何度言えば分かるのでしょうか?」
「あらやだ、ジル。貴方こそ、何度言えば分かるのかしら?そんな怖い顔で凄んでいたら、折角の美形が台無しよ……?ほら、笑って笑って〜……」
穏やかな顔をしている時は、それこそアリエラの大好物である『美形』にあたるジル。
幼馴染で、友でもあり執事である彼は昔から整った顔をしていたが、一緒に歳を重ねるにつれてその美しさを増していた。
だがいくら美形でも、ここまで怖い顔をされてしまうとアリエラの求めている癒しとは程遠い。
寧ろ美形の怒り顔程迫力のあるものはない。
アリエラは引き攣りそうな顔を必死に引き上げながら、わざとらしくジルに笑いかけた。
「お嬢様は俺の顔だけでは満足出来ないからこうして勝手に外出されるのでしょう?なら、今笑っても無意味ですよね?」
すっと冷たい眼差しをして正論を告げたジル。
(いや、満足出来ないとかではなくて…ただ新しい発見をしたいだけというか…同じものばかりではなく、他の系統の美男美女を見てみたいというか……)
その眼差しのせいで口には出せないものの、必死に脳内で言い訳を並べたアリエラ。
この状態のジルにこんなことを言ったら火に油なのは、長年の付き合いから分かっているからこそ、アリエラは脳内でだけ言い訳をしているのだ。
「えっと…ごめんね?」
仕方なく素直に謝ることにしたアリエラ。
「………その台詞、もう聞き飽きました。全く、お嬢様はもう少し警戒心を持ってください。仮にも貴族だと言うのに共も付けずに出歩き、さらに寄り道して長いこと一人きりなんて危ないと何度も申していますよね?」
だがすぐにはお許しは出ず、ジルが続けた言葉は確かに耳に胼胝ができると言っていいほど、アリエラはよく聞かされていた。
「あんまり言うことを聞かないようなら、部屋に閉じ込めてしまいますからね?」
「それは嫌っ!もう勝手にはしないから!ごめんなさい!!」
ジルなら本当にやりかねないとアリエラは慌てて何度も謝った。
とはいえ、勝手にはしないだけで趣味をやめる気はない、というのがアリエラらしい。
「………別に、俺だけでいいじゃないですか………」
ジルのぼそりと呟かれた言葉はか細すぎて、必死に謝り続けているアリエラの声に簡単にかき消されてしまった。
もとより聞かせるつもりもなかった言葉だ。ジルは本人には伝えないまま、そのどうしようもない幼馴染兼主であるアリエラにお灸を据えると、ジルは帰宅を促した。
「お嬢様、帰りますよ」
「ジル…もう怒ってない?」
不安そうにジルの顔を覗き込むアリエラ。その行動に内心ジルの心が波立った事など、ド級に鈍い主が気づくことはないだろう。
ジル自身もその動揺を悟られないように上手く隠し、『お嬢様が約束してくれるならもう怒ってません』と許しを告げた。
その言葉に安心したのか、ほっと息をついたアリエラ。買った荷物を手にジルと並んでアーケードの方へ歩き始める。
途中でさり気なくジルが荷物をアリエラの手から攫うと、当たり前のように代わりに持ってくれる。
(ジルは本当にいい男よね…外見良し、中身も…基本紳士だから、まぁ良し!これなら世の女の子はいちころよ。いつかジルも結婚して私から離れていくのねー…)
そんなジルをアリエラは内心で褒めたたえた。
ジルはディーベルト家で使用人をしているが、他の使用人とは違い、ちょっと特殊な事情と条件で我が家で働いている。
小さい頃から互いに顔を知っていて、遊び友達だったジルが、ディーベルト家の使用人になってからもう六年。
それまではお互い気さくに話していたのに、使用人になるのだからと、喋り方まで堅苦しくされた事に初めは慣れなかった。
ましてや『お嬢様』なんてジルに呼ばれてしまうと、かなりむず痒くてたまらなかったのだが、慣れとは恐ろしい。今では『お嬢様』と呼ばれる方が落ち着く。たまに昔のように名前を呼ばれると、逆に何かある気がして身構えてしまうくらいだ。
(実際何か企んでいたり、本気で怒っている時が多いし。その経験からつい身構えてしまうのよねー……これもまた慣れね)
ジルもジルで、使用人になるのだからケジメだと話し方まで変えたのに、結局はどこかしら幼馴染のジルが顔を出すので、そこまで違和感がなかったというのも大きかったのかもしれない。
とにかく。いきなり友達から使用人となったジルと共に過ごしながらその成長を見てきたが、今やとても良く出来た使用人としてアリエラの傍らにいる。
だけどずっとそんな暮らしができるはずもなく。
使用人としての期限は今年の学院入学までだ。
それは予め決まっていたこと。
結局同じ学院に通うのだから傍にいる形が少し変わるだけだと、そこまで寂しさはないものの、最近はその先のことを考えてしまうアリエラ。
学院を卒業して、大人になって誰かと結婚して……いつか来るであろう別れを思い描くと、寂しくなってしまい、なんだか息子を送り出す親のような感情が湧き上がってきてつい涙腺が緩んでしまう。
(その時はジルの幸せを願って盛大に送り出そう。ジル、幸せになってね!)
勝手に脳内で進んだ将来の姿を今のジルに重ね、アリエラは感極まって隣を歩くジルの手を強く握った。
アリエラの脳内シュミレーションなど知らないジルは、突然のアリエラの行動に思わず足を止めて目を丸くしている。
「ジル、いつか素敵な女性と巡り会ったら真っ先に私に話してね?私ジルの幸せを全力で応援するわ!」
唐突にアリエラが放った言葉に、初めはジルも呆然としていたが、理解が追いつくとにこりとそれはもう綺麗な笑みをアリエラに向けた。
「お嬢様?やはり、俺はお嬢様を叱らなくてはいけないようです。帰ったらまず、俺と二人っきりでお話しましょうね?」
「なんで!?私、ジルの幸せを願っただけよ!?」
友の幸せを願っただけなのに、何故か先程よりもさらにお怒り気味のジル。
ジルからから漂う怒気にアリエラは怯えながらも抗議の声を上げる。
二人きりと強調する所がまた怖い。
「そうですね…なので、ちゃんとお話しましょうね?」
「理不尽よー!!」
………答えになっていない。
繋いだ手は逃がすまいと逆にジルに封じ込まれてしまい、逃げ場を失ったアリエラは半ば強引に家までの道を歩かされた。
帰り道の途中、ナザリーおばさんがこちらに気づいて声をかけてくれたので助けを求めたが、軽く経緯を話すと『あんたが悪い』とひらひらと手を振られてしまった。
「そ、そんなぁ〜…」
「ジルはあんたを必死に探してたのに、そのジルにそんなこと言ったらそりゃ怒るわ。ジル、あんたも少しアリエラにアピールが足りないんじゃないかい?」
「これでもアピールしてるつもりではあるんですけどね。何せお嬢様は浮気性なもので…俺だけでは満足出来ないみたいなんです」
ふぅとわざとらしく肩を竦ませたジル。その言い方はあんまりだと思うっ!
「ちょっ!何その言い方!?なんか色々とあらぬ誤解を生みそうな言い方をしないで!悪意を感じるわよ!?」
ジルの言いたい浮気性…つまり『目の保養』に関してはある意味その通りではあるのだろうが。
その話を知らない者からしたら、主語がないとただの気の多い下品な女のような言い草だ。
これでも初恋もまだの初な女の子なんですけど!とアリエラは必死に言い募る。
「初恋もまだって……アリエラ、あんた大丈夫かい?」
なんでそんな憐れむような目を向けるんですか、ナザリーおばさん。そんなに変なこと言ったつもりないんですけど。
「お嬢様はそれでいいのです」
「ジル…ある意味あんた、自分で自分の首を絞めてやしないかい?あんたが過保護にしすぎてアリエラが鈍くなりすぎた気がするんだけど…」
「それは、追々軌道修正致します」
初恋がまだなことをナザリーおばさんに心配され、アリエラには理解できない会話を二人は繰り広げている。
二人は話が終わったのか、それじゃあと挨拶を交わしているジルにつられ、慌ててアリエラもナザリーに別れの挨拶を返した。
そうして再びジルに引き摺られながら屋敷までの道のりを歩かされるアリエラ。
「やだやだやだー!ジル、ごめんってばぁー!」
悪あがきの叫びを続けるアリエラの声が遠ざかっていくのを見送りながら、ナザリーはやれやれと笑う。
「全く、難儀なものだね……」
ナザリーが苦笑しながらそう呟いていたらしいが、アリエラの悲鳴に掻き消されて二人には聞こえていなかった。
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『目の保養は大好物ですが、恋愛対象ではありませんっ!』お読みいただきありがとうございました!
次の話も是非(^^)/