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濃紺に金糸の刺繍が精巧に施された寝台に、クローディアは一人眠っている。白いシーツに彼女の艶やかで、しかし短くなってしまった髪が散り、ベリルはそれを愛おしそうに指で梳く。
薄く色づく頬に赤い唇。血が確かに通うその色を見て、ようやくベリルは自分の心臓が普段通りの音を刻みだしたのを感じた。
「あの地下にあった絵、どうしたものか」
クローディアが監禁されていたあの部屋には、クローディアとサイラスが描かれた絵が何枚も飾られていた。サイラス・レトナークがクローディアに執着していたのは知っていたけれど、あそこまで歪んだ感情だとは気付くことができなかった。
ベリルの立ち位置を奪おうとするかのようなあの絵は全て処分してしまいたい。けれど例え無断で描かれたものだとしても、クローディアの姿は傷つけられない。いっそクローディアの部分だけ切り取るか? などと考えて、とりあえずは全て回収させることに決めた。
「姫様、不甲斐ない身ですみません」
クローディアが誘拐犯に髪を素直に渡したのは、事件をより大きなものにするため。けれどベリルにもっと力があれば、その決意をクローディアはしなくても良かったはず。
帝国に帰り、皇太子であるグラディオスと面会した時のことを思い出し、ベリルは悔し気に顔を歪めた。
***
「お帰り、我が妹よ」
「ご無沙汰致しております」
「そんなに他人行儀だとさすがに寂しいぞ」
ヒラヒラと気軽な調子で手招きして、クローディアをソファーへと誘う。皇太子であるグラディオスは普段から彼が愛用している軍服を身に着けている。肩章や飾緒を邪魔だとすぐに外してしまうグラディオスは、服装だけなら一兵卒に紛れ込めそうな装いだ。
クローディアは軽く腰掛け、何故呼び出したのかを聞き出そうとした、その瞬間。
「僕の可愛い天使がここに居ると聞いたのだけれど」
皇太子の私室とは思えないほどの勢いで豪快に扉が開き、背の高い美青年が仁王立ちして立っていた。プラチナブロンドの髪は無造作に髪紐で縛り、紫色の神秘的な瞳は目尻が少し吊り上がって勝気な印象だ。
手に持つ一輪の花が良く似合う彫刻のような美青年は、カツカツと大股でソファーまで近づくと、クローディアの足元に跪いた。
「僕の天使、受け取ってくれるかい? 黄色のダリアは優美な君にこそ良く似合う。なかなか会えなくて寂しいよ、僕のクローディア」
彼の長い指がクローディアのバラ色の頬を、輪郭をなぞるようにゆっくりと撫でる。薄い絹の手袋越しでも分かるほどに彼の指の腹は固い。たゆまぬ鍛錬をしている証しだ。
「相変わらずですわね、リュカお義姉さま」
美しい貴公子に口説かれているように見えるが、目の前の美青年が女性であることをクローディアは知っている。ついでに言えば、彼女は皇太子であるグラディオスの唯一の妃、リュカである。
普段私室では男装を好む彼女だが、さすがに少し膨らんできたお腹のせいか、ルネから送られたモスリンドレスを身に着けている。
「僕の天使も相変わらずだね。僕がこんなに精一杯微笑んでも、君は少しも興味を示してくれない。君の氷の美貌を溶かすのが愛想も無い銀髪坊やだなんて、僕は妬けてしまうよ」
ダリアをクローディアの手にそっと握らせながら、リュカはベリルをチラリと見る。ベリルは顔色を変えずただ後ろに控えるのみで、面白くなさそうにリュカは笑った。
リュカは海を越えた先にある大陸からやってきた花嫁だ。というよりは皇太子であるグラディオスが攫うように連れてきた妃だった。
祖国で正妃から待望の子として生まれたリュカは、誕生した瞬間に全ての人の期待を裏切った。側妃よりも先に男児を産まねばと追い詰められていた正妃は、産後の弱った心でリュカを男にすると決めたのだ。
リュカは成長するほどに、世継ぎの王子として相応しく成長していった。背はめきめきと伸び、鍛錬を欠かさないために引き締まった体。帝王学も軍略も、順調すぎるほどに吸収する。女性には甘く優しく、幼い頃からメイドたちの心を捉えて止まない。
煌めく光の中に居たリュカだったが、時は無情にも彼女に真実を告げた。14歳の初夏に初潮がきたのだ。出血に慄く彼女に乳母は「病では無い、女性となった証しだ」と告げた。「決して誰にも言ってはいけない」とも続けた。
けれども彼女はどこまでも世継ぎの王子だったのだ。「馬鹿か、そんな訳にいくまい」それだけ言うと踵を返し、父である国王陛下の執務室へと訪れる。先触れも無く訪れたことを詫びたリュカは、そのまま自分が女であったことを告げた。
男児と偽った母も、それを許した周囲も、気付かぬ自分も馬鹿であったとリュカは思った。言わなかったとして、ばれるのが先送りになるだけだ。国を強くするべき次期王が一番の弱みになるなど馬鹿げている。
王はその決断の早さに彼女が女であったことを最後まで嘆いていたという。世継ぎの王子であったリュカは14歳から離宮でほぼ幽閉のような生活を送っていた。
皇太子であるグラディオスはそんな彼女の噂を聞き、最初は便利そうだという理由で近づいた。けれども対等に語れるその知識や王者となるべく育った魅力的な傲慢さ、時折見せる美しさに次第に惚れぬいてグリーク帝国まで連れてきたのだ。
今まで特に執着するものの無かった皇太子は、背中を預けられる妃だと寵愛しているのだとか。黒髪の美丈夫とプラチナブロンドの男装の麗人が話し込む姿は、メイドたちだけではなく貴族婦人や令嬢たちの間でもため息が出る美しさだと人気だという。
「クローディア、君が僕につれなくたって、僕にとって君はいつだって天使なんだ」
クローディアの艶やかな黒髪を指先でくるくると巻き、蕩けるような笑みでリュカは微笑む。妃となった後ですら彼女は男装をし、侍女やメイドたちを鮮やかな口説き文句で惑わせる。彼女の男装はもはや趣味のようなものらしい。
「リュカお義姉さま、妊娠されているのですから跪いてはいけませんわ。どうぞお掛けになってくださいな」
そんなリュカに全く反応しないクローディアを、リュカはどうにも気に入っているらしい。
「優しいね。さすが僕の天使だ。君の兄上は残酷で恐ろしい男だからね、何か酷いことを言われたら僕に言うんだよ」
くすりと笑い、グラディオスの横へと腰かけた。ドレスを身にまとっているのに、その姿はどこまでも男らしかった。




