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ザー…ザザー......
打ち寄せる波の音が白い砂浜に絶え間なく響く。
静かに繰り返すその音は、どこか懐かしさを感じさせる。
薄い月光に包まれた浜辺をクローディアとベリルは連れだって歩いている。
サラサラとした砂は足を一歩進めるごとにギュっと音を立て、ほんの少しだけ体は沈んだ。
夜の海は昼間の濃い青さを忘れたような深い闇色で、どこか人を不安にさせる。
普段使いの水色のドレスに白いショールを掛け、美しい黒髪を波風に遊ばせながらクローディアは歩く。ベリルも部屋着に着替えているようでトラウザーズにシャツという軽装の上にネイビーのバニヤンを羽織っている。ドレスにもバニヤンにも縦のラインに刺繍が入っており、まるでもともとそのような柄の布地として織られたような印象だ。
「いよいよ明日ですね」
「そうね、ドレスも間に合って良かった。ソアラさんに感謝だわ。もちろんジジにもご褒美をあげなくてはね」
「ご褒美はララさんからもらうとジジも喜ぶのでは?」
「そう言えばジジからララさんを雇うことを勧められたわ。わたくしが見つけた娘なのに、妬けちゃうわね」
クローディアはクスリと笑う。ララは一度ブラシオ王国へ帰り、荷物を持って帝国の工房で働く予定にしているのだ。
明日はいよいよルネとハルシオンの結婚式。ドレスの件やダフネの事など問題は起こったものの、障害は全て取り払われたようだ。
領主館の裏手にある砂浜は街から少し離れているということもあり、誰も訪れない静かな場所だ。その日一日ゆったりと過ごしたクローディアは夜になっても眠れずに、砂浜へと散策に来たのだ。
「なんだか桟橋の上にいると波にさらわれそうね」
木で作られた桟橋は、昼間は開放感があり眺めが良い。けれど夜の深い闇の中ではほんの少し心細い。ランタンを持つベリルの側により、手を取られてクローディアは先に進んだ。
「満天の星とはこういうことを言うのね」
「帝都ではこんなに多くの星は見られませんね」
「ええ、ブラシオ王国の夜空も素晴らしいと思ったけれど、アロニソス島の星空は降り注ぎそうなほどだわ。老後、こんな所で過ごすというのも良いでしょうね」
「姫様、まだ老後の話をするには若すぎます」
月が薄ぼんやりとしているおかげで、夜空一面の星に包まれている。手をのばせば届きそうな星空を、クローディアとベリルは二人で静かに見つめていた。
コツコツと木の桟橋を歩き先端までたどり着く。まるで海の中にポツリと取り残されたような光景に、ほんの少しだけベリルの手を掴むクローディアの手に力が入る。クローディアはそのままクイッと手を引いた。
「ベリル、わたくしからあなたへ星をプレゼントしてあげる」
子どものように笑うクローディアにベリルが呆けているうちに、クローディアは手に握る何かを海へと放り投げた。
クローディアの手を離れた何かは夜の闇の中、弧を描き、少し離れた場所に落ちていく。
パラパラパラ
水に何かが触れた途端、ふわっと水面が光りスッと静かに消えていく。それはまるで満天の星空を映す水鏡のようで、幻想的な風景が言葉を奪う。
「姫様、これは魔術…ですか?」
ベリルはその光景にしばらく見惚れたあと、クローディアを見上げて驚きを隠さずに問いかける。
「あなたに力を分けてあげても良くてよ」
そう言ってクローディアはベリルの手に残していたなにかを握りこませ、彼の握る手にフッと息を吹きかけた。
「そのまま投げてみてごらんなさい。手の中を見ると魔法が消えてしまうの。だからそのまま投げるのよ」
パラパラパラ
クローディアに言われた通りに手の中のなにかを海に投げる。クローディアが投げたときよりも少し遠くで、先ほどと同じようにふわっと優しい光が輝いた。
「これは? 投げたものに魔術が?」
ベリルは手のひらを眺め、うんうんと唸る。
「ベリルにも知らないものがまだあったのね」
クスクス笑うクローディアはご機嫌だ。
「私は魔術に関しては門外漢で」
「これは魔術なんかではなくてよ。昔読んだ冒険日誌に書いてあったのだけれど、夜の海で一定の条件が揃うと海面に砂や石を投げたときに光るのですって」
クローディアはそう言うと、ベリルからカンテラを奪い手のひらへと近づける。
「これは、ただの砂なのですか?」
「そう。さきほどの砂浜のね。どうかしら? びっくりしたのではなくて?」
悪戯が成功したか確認するように下からのぞき込むクローディアに、ベリルはブッとふきだしてしまう。
「姫様、そうしていらっしゃると昔に戻ったようですね」
目の端に溜まる涙を指で拭いつつ、ベリルは懐かしむように目を細める。昔ベリルの部屋で二人きりで過ごして居た頃、何も知らないベリルはクローディアの良いカモだった。言った通り素直に受け取り、嘘も本当も信じ込むベリルはクローディアの良い玩具だったのだ。
「ベリルは子どもの頃の方が可愛かったわ」
「子どもの自分を滅ぼしたいですね」
クローディアはコロコロと声をあげて笑う。夜の海、誰もいない砂浜だからこその素直な姿がベリルの胸を強く打つ。
子どもの頃の日常は遠い思い出の中。呼び方も変わってしまった二人。クローディアは常に第二皇女として凛と立ち、隙の無い姿を見せている。
だからこそ、ふとした瞬間に見える幼い頃の残像は、手をのばしたくなるほど愛おしい。
それに触れるたびにベリルはいつだって、何もかも捨ててクローディアを攫いたくなってしまう。
閉じ込められていた子どもの頃とは違い、今のベリルなら帝国の手からでも連れ出せる自信がある。だからこそもどかしい。
けれどもクローディアが全ての責務を放り出し、ベリルの手をとらないことは分かり切っていた。
「姫様、あと少しですね」
「ええ、本当にあと少しだわ」
だからこそ、遠回りに遠回りを重ねて望む未来を手繰り寄せる。満天の星空にそれを映す水鏡。ザーという波の音を聞きながら、余韻を楽しむように二人は寄り添い立っていた。




