三日目/○○病院の怪の解
柳瀬さんの声が聞こえてからすぐの事。
キュッキュッと床と車輪がこすれる音が聞こえ。
その後すぐにガッとかバキッとか、病院では絶対聞かない音が聞こえ。
それらの音が聞こえなくなった直後……目隠しと猿ぐつわが取り外されて、私は周囲の様子が分かるようになった。
「大丈夫でしたか、桐谷さん?」
病室が明るい。柳瀬さんが電気をつけてくれたのだろうか。
そして明るいおかげで、視界に……心配そうに私を覗き込む柳瀬さんがはっきりと映った。
それを見た途端、私の涙腺が緩み始めた。
危機が去って、安心してしまったのだろう。
ところで、私を襲っていた男はいったい……?
「安心してください」
柳瀬さんは私を、そして……天井に張りついている血だらけの幽霊を交互に見ながら言った。
「桐谷さんを襲っていた人は、ウチの堅至くんが固めましたし、ここに来るまでの間に、すでに配備されていた警官を呼んでおきましたから」
「…………えっ?」
ワケが分からず、私はそんな声を上げた。
そして柳瀬さんの協力もあって、拘束から無事に解放されてから、病室の隅に視線を向けると、そこには――。
――柳瀬さんのボディガードによる吊り天井固めを受け、まったく動けずにいる男が映った。
金色に染めた短い髪。
耳や舌ベロについているピアス。
そんな、いかにも不良……という感じの男だ。
そして異様な事に……男の服にはたくさんのお守りが縫いつけてあった。
ますますワケが分からない。
一体全体、何が起こったんだ!?
というか、柳瀬さんは幽霊が見えるの!?
私を襲っていた男が、柳瀬さんのボディガードに向けていろいろ喚いている中、私はいろいろ疑問に思った。
するとそんな私の心情を察したのか、
「……この男を警官に引き渡したら、全てお話ししますね」
と柳瀬さんは約束してくれた。
するとその言葉の直後。
複数の警官が私の病室に駆けつけ、男を連行していった。
そしてそれを見届けた後、柳瀬さんは口を開いた。
「それではまず、あなたがいったいどんな人だったかをお話ししますね」
それを聞いて、私は唾を飲み込んだ。
「とりあえずあなたが、私が所属するゼミの同級生だというのは本当です。ですがあなたがそのゼミに所属していた理由は……必要最低限の単位を取るためで、ゼミの内容は……まじめに聴いていないような印象を受けました」
なんとなく、予想していた事だった。
柳瀬さんとは数回程度しか話した事はなく、羽澤さんとはほとんど会わなかったという事実からして。おそらく私は……ゼミにマジメに出席してなかった不良なんだろうと。
「そしてあなたは……あくまでも大学で聞いた噂ですから確定事項ではありませんが、家出をしていたと」
これにも納得だ。
あんな目に遭わされるくらいだ。
ロクな人生を送ってこなかったんだろう。
「そしてその家出中、生活費を稼ぐため……あなたはドラッグの売買に手を出したそうです」
「…………ドラッグ?」
ロクな事をしていなかったとは思ったけど……まさかそんな方法で日銭を稼いでいたとは。つくづく救いようがないな、私は。
「ですが、あなたが所属をしていたと思われるドラッグ密売組織を追っていた警察から聞いた話によると……あなたは事故に遭った日、もしかすると自首をしようとしていたかもしれないらしいです」
「……え、どういう、事……?」
「あなたは事故に遭った日……派出所へと向かっていたそうです。そしてあなたが向かってくるのを目撃した、派出所の警官によれば……あなたの隣には一人の男性がいたそうです。そしてその警官の調査によって……その男性が、あなたの幼馴染さんである事が分かりました」
「お、幼馴染……?」
と言われても、記憶がないからピンとこない。
「はい。それで、ここからは私の推測ですが……」
柳瀬さんは、少し考えてから再び話し出した。
「もしかするとあなたは、その幼馴染さんの説得により、足を洗う決断をしたのかもしれません。そしてあなたは幼馴染さんの付き添いのもと、警察に自首しようとした」
「……」
記憶がないから。それを私自身が確かめる事は、現時点ではできない。
でも、もしかすると柳瀬さんの推測通りかもしれない……となぜか自信を持って思えた。
もしかすると、脳は覚えてなくても、心はその時の気持ちを記憶しているのかもしれない。
「でもその時……あなたと、その幼馴染さんに悲劇が起きました」
……いつまでも、柳瀬さんの推測の事を考えているワケにはいかない。
彼女は、私の身に起きた事を説明するため、意を決して再び話し出した。
「あなたもご存知の通り…………交通事故です」
ここまで来れば、誰でも予想できた事実を。
「派出所の前の横断歩道を渡っている時だったらしいです。信号無視したトラックが……青になった横断歩道を渡っている最中の、お二人に向かって……」
柳瀬さんは、とても言いにくそうに事実を告げた。
内容が内容だけに、私は悲しくなったが、逃げるワケにはいかないと思い、柳瀬さんに話を進めるよう、視線で告げた。
柳瀬さんは、一度頷いた後、再び話し出す。
「それで、あなた方はひかれそうになったのですが……トラックに衝突する寸前にあなたの幼馴染さんは、あなたを歩道に突き飛ばして……幼馴染さんの方は……」
「ッ!!」
その事実を知り、私の胸が苦しくなった。
その先は言わなくても分かる。
彼は……私を助けるために、身代わりに……ッ!
「そしてその際、あなたは歩道に強く頭を打って……それで、おそらくあなたは、幽霊を見られるようになったのだと思います」
柳瀬さんが、急に話題を変えた。
いや。話の順序的には合っているのかもしれないけど……だけど、なんだか私を助けてくれた幼馴染を……いなかったように扱われたみたいで、怒りを覚えた。
しかし柳瀬さんは私の怒りに気づいているのかいないのか。私を時々見ながら、再びどう話すべきか考えた後……告げた。
「その、幼馴染さんの……幽霊を……」
「えっ!?」
だけどまさかの事実を告げられ、私は反射的に幽霊の方を見た。
私は驚いているのに、まったく動揺していない……柳瀬さんの言葉を信じるなら私の幼馴染だという幽霊が……いまだに天井に張りついていた。
だけど、同時に納得した。
なんで幽霊は血だらけで。
なんで私につきまとって。
なんで…………私を見守って、いてくれたのかをッ!
胸が、切なくなった。
彼は、ずっと私を……文字通り、死んでも守っててくれたんだ。
さっき私を襲っていた男だって……もしかすると、彼が私を守ろうとして……男のお守りに阻まれながらも、柳瀬さん達が来てくれるまで……何かしてくれたのかもしれない。
「だけど幼馴染さん、桐谷さんを守りたい気持ちは理解できるのですが……死んだ後だからって、病院の敷地内に入ろうとしたパトカーのタイヤをパンクさせたり、この病院に駆けつけた警官が、桐谷さんの病室に近づこうとする度に突き飛ばしたり、ましてや殺人を犯していいワケではありませんよ?」
そして私が悲しんでいる時……柳瀬さんは私の幼馴染にそう言った。
確かに彼が……もしも地獄があるならだけど……罪を犯して地獄行きになったら私はとても悲しいけれど……今言う事かな?
というか、そのタイヤのパンクとか何?
そういえば、前に柳瀬さんは、病院の前でパトカーをたくさん見かけたと言っていたけど……まさか、私を捕まえに来た警官を足止めしていたの、幼馴染!? というかなんで自首を私に決断させたクセに警官を……いやまさか、記憶がない私を気遣って……退院するまで足止めしていたとか?
「私も、そして中塚教授でさえもそのメカニズムを解明できていませんが」
柳瀬さんは、私の驚きを知ってか知らずか、再び話し出す。
「罪を犯したりすると、霊魂を構成している霊素の組成は、なかなか成仏できない組成に、変わってしまうんですよ? まるで……地上ではなかなか分解されない、オゾン層を破壊するフロンガスのように」
まるで、悪い事をした生徒を叱るように。
「もし私が、嫌な予感を覚えて、堅至くんと急遽この病院に駆けつけていなければ……そしてあのままあなたが、ドラッグを売買していた桐谷さんの元客な、あの男を殺し、成仏できない状態になったら……あなたは悪霊になっていたかもしれないんですよ? もしそうなったら、あなたはもう桐谷さんや……あなたと桐谷さんのお子さんを守るどころではない状態になっていたかも、しれないんですよ? 私のような人が……無理やりあなたを消さなければいけない状況になっていたかもしれないんですよ?」
「……………………ん?」
あれ? 今サラッととんでもない事を言いませんでしたか柳瀬さん?
「……あ、そういえば言っていませんでしたね」
彼女は、今思い出したかのように言った。
「というか……羽澤さん、かな? 時間的に来られるのは彼女しかいないのだし」
そして柳瀬さんは、一度私の幼馴染に吹っ飛ばされ、その後で元通りにした病室の台の上を見てから言う。
「その羽澤さんからもらったお守り、安産祈願のお守りですから、すでに気づいていらしたのかと思っていました」
「えっ!?」
言われて、私は改めてお守りを確認した。
てっきり無病息災とかのお守りだと思っていたけど……確認してみれば、確かにそれは安産祈願のお守りだった。
で、でも……それってつまり……?
「ええ。お察しの通りです」
柳瀬さんは、微笑みながら私にそう言った。
そうか。私は……いったいどういう経緯があったかは思い出せないけど、幼馴染である、今は幽霊なヤツと一緒に……命を繋いだんだな……。
もしかすると……今もかすかに感じている吐き気は、つわりによるものなのかもしれない。
「ですが、それ故に……これから大変ですよ?」
喜びを感じていた私に、柳瀬さんは真剣な表情で告げた。
「さっきあなたを襲っていた男の存在から。そして、あなたが薬物を売っていた事から分かる通り……この警察病院から退院したあなたには、これから取り調べなどが待っています」
あ、そうか。
犯罪者の私が、普通の病院に入院できるワケがない。
警官がすぐ来たし……ここが警察病院なのにも納得だ。
「下手をすると、獄中で出産する事になる可能性もあります。出産後、お子さんを児童養護施設に預ける事になるかもしれません。そして無事に出所した後……またお子さんに会える可能性は低いかもしれません」
柳瀬さんは、淡々と、私を待つ運命を告げた。
そんな彼女は、まるで……というか確実に、同じゼミの仲間の中から、犯罪者が出て怒っているのだろう。とても真剣な声と表情だった。
「それでも、あなたは……母になりたいですか?」
しかしそんな裏切り者な私に、彼女は真剣に向かい合って、問うてきた。
犯罪者な私に。裏切り者な私に。合わせる顔がない私に。彼女は……向き合ってくれた。
まるで、私の事を心配して、お見舞いに来てくれない、私の家族の分まで怒ってくれているかのように……。
私は、なんだか嬉しくて……幽霊の正体が、私を助けてくれた幼馴染だと知っても……その幼馴染との子供を妊娠している事を知っても……幽霊がいるという異常な状況だったからか、今まで流せなかった涙が……今になって流れ出てきた。
「…………ああ。なりたい」
涙を拭い、両手でおなかに触れつつ、私は柳瀬さんに告げた。
「私は……この子を産んで、母になりたい……! 幽霊になった幼馴染の、生きていた証をこの世に残したい!!」
今はまだ、家族とはどういうモノか分からない私だけど。
それでも……柳瀬さんや、案外私を気遣ってくれてた羽澤さんのように、助けてくれる人がいるのなら……私は、この子の母になれるかも……ううん、ならなきゃいけない。私を命がけで守ってくれていた幼馴染のためにも。
心の底から、そう思った。
ふと見ると、私の幼馴染の幽霊は……目が飛び出ていて、肌も青白いから分かりにくいけど……微笑んでいるように見えた。
とその時だった。
突然幼馴染の幽霊が、淡い光を放って……薄くなってきた。
「…………え?」
い、いったい何が……まさか!?
「成仏、するみたいですね」
柳瀬さんは、淡々と事実を告げた。
「そ、そんな……」
いきなりの別れに動揺し、ふらつきながらも……私はなんとかベッドの上で立ち上がり、天井に張りついている彼に手を伸ばした。
でも、天井が高いせいか、私の背が低いせいか……一ミリも彼に手が届かない。
「嫌だ……まだ逝かないで! 私のそばにいて! ま、まだ私……まだ私、あなたの事を思い出せてもいないのに!」
彼に、涙ながらに訴える。
けれど彼は、ただただ微笑むだけで…………逝ってしまった。
私は、その場でむせび泣いた。
柳瀬さんとそのボディガードがいるにも拘わらず。
私の幼馴染――大切な人が逝ってしまった事で、心に穴が空いて。
そこを中心として、張り裂けたかのような心の痛みが私を支配した。
「たぶん、桐谷さんのこれからに……希望を持ったのでしょう」
そんな私に柳瀬さんは、再び淡々と告げた。
「あなたなら、大丈夫。どんな事があっても、助けてくれる人がいる。だから……だから…………ッ」
でも最後の部分の声が……泣いているのか、震えていた。
彼女のボディガードも、私と同じくらい涙を流していた。
※
その日の朝。
柳瀬さんと堅至さんに見守られ、私は無事退院した。
もちろん、警官を伴っての退院だ。
おそらくこれから、取り調べとかが待っているんだろう。
でも、今の私には暗い気持ちなんてない。
生きているにせよ、死んでいるにせよ、私の事を想ってくれてる人がいるって、分かったから。守るべき存在ができたのだから。
だから私は負けない……絶対に……ッ!
……………………ところで、幽霊の事に詳しい柳瀬さんや中塚教授って……何者なんだろう?
※
「教授、遅いですよ。もう桐谷さん行ってしまいましたよ?」
「なに? もう退院したのか?」
警察病院の前で。
私はビジネスパートナーの一人である堅至くんと一緒に中塚教授と落ち合った。
中塚教授は、TシャツにGパンとラフな格好だった。
おそらく飛行機の中で着替えた時のままなのだろう。
「見送りができなかったとは、非常に残念だ。次は警察に面会許可をもらわなきゃ会えないか。どういう経緯にせよ、桐谷くんも幽霊が見えるようになった事だし、出所後の就職先に困ったら、俺の助手第二号にならないかと……行く前に誘おうと思ったんだが」
「桐谷さんの事に気づいてあげられなかった教授の、罪滅ぼししたい気持ちは理解できますが……それはさすがに本当に就職先に困った時に言わないと失礼ですよ。非常に」
「そうか……お節介がすぎたか」
「いや、お節介どころか余計な一言のような」
堅至くんが意見する。
確かに教授のスカウトはいろんな意味で余計すぎる。
というか幸先がよくない。
「ところで教授、桐谷さん関連の事件については……?」
幸先の話は置いといて、私は話題を変えた。
より重要な話題――私達の同級生である桐谷さんが、ドラッグの売買をした事について。
普通だったらニュースになって、教授や、私のような生徒が世間に叩かれるハズだけど……。
「それについては心配いらないよ柳瀬くん。羽澤くんが、政府関係者を始めとするお偉いさんに働きかけて……今回の事件をすみやかに隠蔽してくれた」
「…………そうですか。よかったです」
私は安堵した。
私達もそうだけど……それ以上に重要な、桐谷さんの名誉は守られる。
「まぁ、理事長や校長からはいろいろ言われるとは思うが……柳瀬くんは気にするな。全ては桐谷くんの事に気づいてあげられなかった俺の落ち度だ」
じゃあ次は大学か、仕事の現場で会おう。
最後に中塚教授はそう言って、私達の前から去っていった。
そして私と堅至くんは、中塚教授とは反対の方向へ向かった。
※
「…………堅至くん、夕月ちゃんにも言う予定ですけど、桐谷さんとの面会の予約が取れたらすぐに言ってくださいね? 桐谷さんのお子さんの事……これからどうするべきか、桐谷さんとちゃんと話し合いたいですから」
帰る途中、私は、私の車椅子を押す堅至くんに言った。
「……まさか、場合によっては一時的に桐谷さんの子供を代わりに育てるって話、本気なんですか?」
堅至くんが、車椅子を押しながら訊ねてきた。
桐谷さんが妊娠している事を、彼女の担当医に知らされてから、何度も彼とした話題だ。
「ええ、そのつもりです」
私は即答した。
「私の母は、仕事で、家庭で……どれだけつらい事があっても……私をないがしろにする事なく、愛してくれました」
それは、親として当然の事なのかもしれない。
だけど世界には、それさえもできない親が何人もいる。
そんな世界で、そんな方々と近い環境の中で、私がちゃんと母に愛された事は、奇跡だと思うから。
私は、そんな母のような女性になりたいと思っているのだから。
それに……。
「もしも、桐谷さんのお子さんが不幸になったりしたら……成仏した、桐谷さんの幼馴染さんが報われませんからね」
まだ連載していない作品のキャラの先行登場です。
平成の某仮面の騎乗戦士の劇場版みたいな感じです。