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【聖暦3068年4月4日】

【場所 ベルン公国  ヴォルンベニア城】



 物語は今に戻る。

 アルフォンスは湯船にひたって戦場の汚れを落としていた。山賊を討伐し、その首魁を生け捕りにするという作戦は、アルフォンスの計画どおりに実行された。

 

 だが、気分は晴れない。1年ほど前から、南部地方で、山賊や盗賊の襲撃事件、貴族の暗殺など、不穏な事件が続発している。

 恐ろしいのが、これらの賊徒どもが豊富な資金と、上質な武器、防具を揃えていることだ。腕利きの傭兵や、元軍人が多く、並の賊徒どもとは一線を画す戦力を保持している。

 

 これらの事件は、南部地方だけに限定して起こっている。そして賊徒どもは、シルヴァン皇子の紋章が刻まれた武具を大量に保有していた。

 

 アルフォンスをふくめた南部の諸侯は、賊徒を煽動している黒幕は、シルヴァン皇子であると確信している。が、決定的な証拠がないため、憤激しながらも、シルヴァン皇子を弾劾できない状況にある。


(これから、どうなることやら……)

 

 アルフォンスは、湯水をすくって顔にかけた。どうにもきな臭い。下手をすれば、未曾有の大乱になるかもしれない。かといって、それを防ぐような智慧もない……。


「困ったなぁ……」

 

 アルフォンスは独語して、白大理石の湯船に身体を大の字にのばした。湯水が身体に染みとおっていく。せめて、風呂に入っている時くらいは、悩みから解放されたいものだ……。

 

 アルフォンスがそう思っていると、


「アル!」

 

 という元気な声が聞こえた。

 アルフォンスが、驚いてふりむくと、ミストルーン皇女の姿があった。全裸で腰に手をあてて、仁王立ちしている。


「ミ、ミスティ?」


「妾も入りに来たぞ! 喜べ!」


銀髪の皇女は、偉そうに宣言すると、偉そうに大股に歩いてきた。裸身を隠そうともせず、堂々と湯船に入る。


「うむ! 熱い!」

 

 肩までつかったミストルーンは、顔を赤らめながら言った。


「その……大丈夫ですか?」


「うむ。だんだん慣れるからかまわぬ。熱いほうが気持ち良い」

 

 ミストルーンは目を閉じて、ほわぁ、と子猫のような声を出した。本当に気持ち良さそうだ。 


 アルフォンスは湯船の中で緊張に身を縮めた。この七歳の皇女にどうやって、接すればいいのか、今でも分からずにいる。敬いすぎると、怒られるし、かといってあまり馴れ馴れしく接するわけにもいかない。どうにも加減が難しい。


「よし。汗は流れた。アル、わらわの身体と髪を洗え!」

 

 ミストルーンは勢いよく湯船から飛び出た。

 真珠色に輝くミストルーンの肌が水を弾いて光り輝く。健康的な裸体に水が濡れ落ち、薄い胸、臍、下半身に水滴がおちていく。

 

 そして椅子に座って、アルフォンスに背中をむけた。その動きは優美で命令されるのが、心地よくさえある。


(8歳で、どうやったら、こんな威厳が出るのだろうか? やはり、皇族の血のなせるわざか?)

 

 アルフォンスは、感歎しながら湯船を出て、腰にタオルを巻く。石鹸を取り出して、泡立たせると垢擦り用のタオルで、ミストルーンの背中を洗いだした。


「アル。何か、心配ごとでもあるのか?」

 

 ミストルーンが、振り向きもせずに言った。


「どうして分かったのですか?」


 アルフォンスは驚きの声を発した。


「そなたの瞳に妙な光が見えた。なんだか、苦しそうな光だった」


「苦しそうな光ですか……。それは、お見苦しいものをお見せしました」

 

 アルフォンスは謝罪しつつ、ミストルーンの背中を石鹸で泡立てた。内心、幼い皇女の洞察力に舌を巻いている。


「アル」


「はっ」


「悲しいことや、困ったことがあったら、何でも聞いてやるぞ。妾の母君は、『誰かにいうだけで苦しみはやすらぐ』、と生前、教えてくれた……。妾はまだ幼いから、役に立たないかも知れぬが、話を聞くことくらいは出来るぞ」  

 

アルフォンスは目を瞬かせると、やがて心から、


「ありがとうございます」

 

と言った。アルフォンスが、ミストルーンの髪と身体を洗い終えると、

彼女は猫のように高速でブルブルと頭をふって、水滴を飛ばした。


「さっぱりしたぞ!」


「それはようございました」


「よし、今度は、妾がアルの身体を洗ってやろう」

 

ミストルーンが勢いよく立ち上がった。


「え? あ……そ、それは結構です」


「遠慮するな! それ、さっさと腰にまいたタオルをとるがよい」


 銀髪の皇女がアルフォンスが、腰に巻いたタオルを両手で引っ張った。


「いや、ちょっ、待って! や、止めて下さい!」


「遠慮はせぬがよい。隅々まで妾が洗ってやる!」


「いや、ちょっと、それはマズイ!」


アルフォンスが必死でタオルを守り、下半身を隠そうとする。


「遠慮はいらぬ、と言っておろうが! ええい。さっさと、外さぬか!」


「いやぁあああああああああ! あっ、ダメぇええええ!」

 

  

◆◆◆◆ 

 


30分後、回廊を歩くアルフォンスの姿をメイド服姿のフローラがみとめた。フローラは城内ではメイド服を着て、アルフォンスの世話をしている。

 

フローラは小首をかしげて、アルフォンスに尋ねた。


「どうなさいました? アルフォンス様、なぜ泣いていらっしゃるのですか?」


「……フローラ、僕はお婿さんにいけないかもしれない……」


「は? 何を言ってるんですか? 良いから早く食堂で、昼食をとって下さい。その後は、私が講師として論理学、政治学、地政学、算術の授業をいたします」


◆◆◆◆


 私はフローラ・バーリエル。バーリエル伯爵家の生まれです。ベルン公国の国主アルフォンス様にお仕えし、乳母姉弟にして、メイド・教師・護衛、そして、「友人」を担当しております。

 

 我がバーリエル伯爵家は帝国でも珍しい、生まれ持っての使命があります。それは「主君の友人」となること。

 

 即ち、主であると同時に「友人」という対等の立場になり、主君に遠慮無く、諫言、批判、批評、揶揄することを使命としております。

 これは絶対者である国主が、独善と傲慢に陥らぬようにという深慮から生み出された制度で、ベルンの建国王レイブンドロスが3千年前に生み出しました。

 

 私見ですが、この制度は秀逸だと思います。皇帝、王、大貴族という存在はともすると傲慢になり、国家と民衆に災厄をもたらす暴君になる可能性を秘めています。

 

 なので、私たち歴代バーリエル伯爵家のような人々が、国主様に諫言、批判を遠慮無く行い、同時に友人として対等の人間関係を構築することで、国主様は客観的に自分を見ることが出来、暴君、暗君にならずにすむのです。

 

 事実、歴代のベルン公国は3千年間、ごく僅かの例外を除いて、暴君、暗君が出た例がなく名君揃いです。大陸でも誉れ高いことに「ベルン公国家に暗君なし」という格言があるくらいです。

 

 凄いでしょう? これは自慢です。褒めて下さい。 

 ですので、私も遠慮無く、日々アルフォンス様に諫言しております。


 すべてはアルフォンス様に立派な君主になって頂きたいからです。

 趣味でアルフォンス様をいたぶっている訳ではありませんよ?

 

 ええ、本当です。

 メイド服を着たり、メイド仕事をしているのは純然たる趣味ですけど……。

 

 閑話休題。


 我が主アルフォンス様はどうにも不思議な御方です。軍事学と歴史学などご自分が興味を持たれた分野においては天才的な才能を発揮されます。

 

 専門的な本も多数読破しておいでで、おそらく軍事学と歴史学においては学者となって成功することも出来るでしょう。

 

 アルフォンス様は興味がおありな分野に関することなら、難しい語彙でもスラスラと覚えて使用できるのです。軍事学の話をする時など、一流の学者のような圧倒的な思考能力と語彙力で、私と会話をされます。議論では私が負けてしまうくらいです。

 

 ……ですが、他の分野、特に数学などは全く出来ないのです。

 

 アルフォンス様が言うには、


「僕は苦手な分野の文字や数字が、反転して見えるんだ。まるで鏡のようだ。そうなると頭が痛くなってどうしても、記憶できないし、思考できない。難しい語彙も出てこない。考えるだけで苦痛なんだ」

 

 と仰います。

 そのようなこと聞いたことがございません。ですが、アルフォンス様が私に嘘を仰る筈もありませんし、不思議です……。


 ですが、私は諦めません。アルフォンス様は天才です。絶対に数学も出来るようになるはずです。私には自信があります!

 

 あっ、アルフォンス様……。掛け算が間違っておいでですよ?

 いえ、7×8は、78ではございません……。

 自信が崩れてきました……。

 

 あ、援軍が来ました! パミーナ様と、ミストルーン殿下です!

 助けて!


「……お、お兄様が、な、何も出来ない人のままでも、……私が養う……よ?」


「うむ。しょうがないのう。将来は、妾もアルを養ってやるぞ! 安心せい! 皇族の費用で男1人くらいの生活の面倒はみれる!」

 

 パミーナ様! ミストルーン殿下! アルフォンス様を甘やかさないで下さい! アルフォンス様も、「それも良いかも」みたいな顔をしない!

 

 ……白髪が出来そうです。私、まだ18歳の乙女なのですが……。

いえ。諦めませんよ。さあ、アルフォンス様! 勉強です!


◆◆◆◆


 フローラとの授業が終わった後、オルブラヒトが深刻な表情で、アルフォンスのもとを訪れた。オルブラヒトが、尋問した山賊の1人が、シルヴァン皇子の部下から、資金を提供されたと自白したのだ。

 

 アルフォンスの瞳に緊張が走った。彼は即座に作戦会議を行うことを告げた。


 20分後、宮殿内にある広壮な会議室に、アルフォンス、パミーナ、フローラ、オルブラヒト、ヴェーラが集まった。巨大な壁には、ファルザード帝国の地図が貼り付けてある。

 

 ファルザード帝国が、支配するグランヴァニア大陸は、中央部にカルディナ川という大河が流れ、そこを境にして、北部と南部とに別れている。北部の総督は、シルヴァン皇子。南部の総督はイリアシュ皇子。

 

 この2人が、実質的に大陸を2分して統治している。

 南部総督のイリアシュ皇子は、皇帝ラスローの長子だが、北部総督のシルヴァン皇子は、皇帝ラスローの又従兄弟の息子というきわめて血縁のうすい存在である。

 

 本来ならばシルヴァンが、北部総督として帝国の半分を支配するなど論外である。そのようなことをすれば帝国の支配力は分散し、内乱の危険が生じるからだ。これは政治力学の初歩である。

 

 だが皇帝ラスローは、重臣達の反対を押し切り、シルヴァンを北部総督に任命して、帝国の北半分を統治させた。

 

 ここに皇位継承権をめぐって対立する危険な土台が醸成された。

皇帝ラスローのやりようは、まるで内乱を望んでいるかのようである。


 アルフォンスは胸中で嘆息しつつ、壁にはられた巨大な地図に黒瑪瑙の瞳を投じた。長方形に似た形のグランヴァニア大陸。その中央に流れるカルディナ川を境にして、上が北部で、下が南部。南部の西端にはモルビアン半島があり、皇帝ラスローが住む皇帝直轄領がある。

 

 地図には、山賊、野盗、川賊が暴れた場所とその根拠地に印が付けられていた。その被害の殆どは、南部のみ集中し、その被害件数は、北部の70倍をこえる。経済的・人的損害は計り知れない。

 

 1年ほど前から突如として、賊徒の被害が増大し、すでに南部の民が、8千名以上殺害されている。負傷・強姦された数はその数倍にのぼるだろう。


 宰相ヴェーラが進み出た。今年、64歳になるヴェーラは、彼らしい実務的な案を提示した。


「若君、南部での賊徒の横行は、シルヴァン皇子の陰謀であることは明白です。皇帝陛下にシルヴァン皇子を弾劾して頂くよう、懇請いたしましょう」


「迂遠にすぎる。他に方法はないのか? そのようなことをしている間にも、民の被害がますばかりだぞ!」

 

 オルブラヒトが、半ば怒鳴るように言った。ヴェーラは親友の義憤に内心、賛同しつつも首をふった。


「オルブラヒト、卿にも理解できていよう。シルヴァン殿下は、皇族であるうえに北部総督だ。あの御仁を掣肘できるのは、皇帝陛下以外におられぬ」


 ヴェーラが明晰な口調でいうと、オルブラヒトは半白の頭髪を撫でて、不満そうに押し黙った。


「あ、……あの、お兄様……」

 

 パミーナがおずおずと、か細い声をあげた。


「なんだいパミーナ?」

 

 アルフォンスが柔らかい声をパミーナに投じる。グランド・エルフの義妹にアルフォンスはいつも甘い。


「……ど、どうして、シルヴァン皇子は……、南部にひどい、こと……する……、の?」


「シルヴァン皇子は、皇帝になりたいんだと思う。南部にひどいことをするのは、そのための布石だよ」

 

 アルフォンスの声は穏やかだった。だが、聞いている人間達は、驚倒して目を見開いた。


「シルヴァン皇子は、皇帝になる野望を抱いている……と?」

 

 フローラの秀麗な顔に戦慄がはしった。


「僕は、そう考えている。もし、シルヴァン皇子が、皇帝になるための布石として、南部を荒らし回っているとしたら……」

 

 アルフォンスが黒髪を指で梳きながらつづけた。

 南部で、賊徒どもを暗躍させ、南部諸侯とイリアシュを激発させる。そしてイリアシュが、挑発に乗ってシルヴァンを討伐するために軍事行動をおこし、戦争になる。

 

 その後、戦争によってシルヴァンが、イリアシュを敗滅させる。

 そうなれば、シルヴァンは大陸最大の軍事指導者となりおおせる。あとはラスロー陛下さえ弑虐すれば、皇帝の座はシルヴァンのものとなる……。


「……しかし、それはあくまで、アルフォンス様の想像でしょう?」 

 

 フローラは、緊張しながらメイド服の裾を握りしめた。


「うん。僕の想像……いや、現時点では妄想にすぎない。理屈に穴も多いしね……」


(しかし、備えは必要だ)


 アルフォンスは数秒沈思した。やがて、オルブラヒトに身体ごとふりむく。


「オルブラヒト! ベルン公国軍全軍を、いつでも出撃できるように手配しておけ!」


「はっ」


「ヴェーラ、武器、軍糧、医療品、その他の軍事物資の用意をしておけ。財政の許す限り、できるだけ大量にだ」


「承りました」


 半白の老宰相が深く一礼した。


「……アルフォンス様の予測が外れることを狼神ヴァラクに祈ります」 

 フローラは、しなやかな指で栗色の前髪をはらった。


「僕も戦争がないことを祈るよ。戦争というのは面倒くさいし、何より、怖いからねぇ」


 アルフォンスが本心からそう言うと、パミーナが尖った耳を上下させながら、「お兄様の仰るとおりです」、と呟いた。



 




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