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【場所 モルビアン半島】
【皇帝ラスロー】
モルビアン半島は、大陸の南西に位置しており、北、南、西を海に囲まれている。モルビアン半島と大陸を繋ぐ国境線には、「モルビアンの長城」とよばれる防御壁がある。全長一三八〇メートル、高さ三〇メートルという、巨大な城壁であり、モルビアン半島そのものを難攻不落の要塞としていた。
ファルザード帝国・第五七代皇帝ラスローは、七三歳。近年、彼は皇帝直轄領であるモルビアン半島に引き籠もり、放蕩と驕奢のかぎりを尽くしていた。皇城バストグリムの後宮には、三千人の美女がかこわれ、夜ごと絢爛かつ醜悪な宴が繰り広げられた。
昨晩の宴で開催されたのは、女奴隷同士の決闘であった。若く美しい女奴隷に剣や槍をもたせて殺し合わせたのだ。
まだ一〇歳から一六歳のうら若い乙女達は、腰に小さな布を巻いただけの全裸に等しい衣装で、殺し合いをさせられた。
なれぬ剣や槍、短剣をもち、恐怖に震えながら、必死で対戦相手と闘う。もし負ければ処刑され、戦いを放棄しても処刑されるのだ。
六十七人の女奴隷が、円形の闘技場で闘死し、三十二人が戦意が乏しいとして、皇帝の命により首を刎ねられた。
ラスローは、泣き叫びながら闘う女達を見て狂笑し、贅をこらした料理を喰らい、豊潤な白葡萄酒を飲んだ。
優勝した女奴隷は、宴が終わった後、ラスローによって後宮につれていかれた。翌朝、その女奴隷は、八つ裂きにされて皇城で飼われている獅子の餌になった。なぜ、その女奴隷が惨殺されたかは分からない。
皇帝が気紛れに人を殺すなど日常茶飯事であり、側近達は蝿が死んだ程度の感慨しかもたなかった。
そのように人生をおおいに楽しむ皇帝のもとに、イリアシュからの使者が来訪したのは、4月一五日の正午だった。
ラスローは、イリアシュの使者の口上を薄い笑みを浮かべながら聞いた。使者の口上と上奏文の受領が終わると、皇帝は使者に下がるように命じた。
皇帝は謁見の間を出て、後宮の中にある一際、絢爛な部屋に足を踏み入れた。室内には、二十代半ばの美女がいた。 彼女の名はファルナーズという。皇帝の専属医師であり、同時に側室の1人である。白銅色の髪と瞳をした翳りのある美貌の所有者で、官能的な肢体を強調するドレスを身につけていた。ファルナーズは、皇帝を認めると、スカートの裾をつまんで深々と一礼した。
ラスローは無言で広壮な室内の中央にある椅子に腰をおろした。
ファルナーズは銀の酒杯に葡萄酒を入れると、恭しくラスローに手渡した。
ラスローは老いた顔に喜色を浮かべながら最上級の葡萄酒を飲み干すと、乾いた笑声をあげた。
「陛下、何かございましたか?」
ファルナーズは人形のような無機質な声で問うた。
「もうじき予の望むものが来る」
「何が来るのでございますか?」
「戦乱だ」
皇帝は喜悦の表情を浮かべた。
「大陸史上最大の戦乱が、鉄と業火の嵐となって大陸全土を吹き荒れる。イリアシュとシルヴァンが、皇帝の座をめぐって戦争をはじめるであろう」
「嬉しそうですわね……」
「当然だ」
ラスローは老いた顔を掌で撫でた。ファルナーズは数瞬、視線を床に投じた後、口を開いた。
「陛下、診察を開始してもよろしゅうございますか?」
「好きにせい」
ラスローはつまらなそうに言った。
ファルナーズは一礼すると、皇帝の頭に繊手をあてて、揉むような仕草を見せた。その後、頭に鍼を打ち、薬湯を飲ませた。治療が終わると、皇帝はファルナーズに問うた。
「それでどうだ? 予の脳にある腫物は消えたか?」
「……申し訳ございません。消すことは能いません。無能なる身をお許し下さい」
「よい、つい皮肉を言うた。謝罪などいらぬ。そなたの鍼で痛みが減った。それだけで良しとしよう」
皇帝は椅子の背に身をもたせて、軽く吐息した。
(予の命も長くはあるまい……。あと2年といったところか……)
ラスローは自身の脳内にある腫瘍が不治の病であることを知っていた。ファルザード家の宿痾というべき病なのだ。祖父、弟、2人の妹、4人の叔父、3人の従兄弟が、この脳の腫瘍で死んだ。
(死ぬ前にイリアシュ、シルヴァン、どちらが皇帝にふさわしいか、見せてもらうとしよう)
もうじきイリアシュとシルヴァンは帝国を2分する内乱を引き起こす。その勝者をラスローは自分の後継者として正式に任命するつもりであった。皇帝たる者は、覇者たるに相応しい力量と才幹の所有者でなくてはならない。それを見極めるには戦争がもっとも効率的である。
イリアシュを南部総督にし、シルヴァンを北部総督に任命したのも、互角の条件で殺し合わせるためだ。
(予の命数が尽きる前に戦端を開かせねばならぬ……)
皇帝ラスローの唇が奇怪に歪み、瞳に毒炎が揺らめくのを、ファルナーズは静かに見やった。そしてふとファルナーズは思う。
(イリアシュ殿下とシルヴァン殿下を争闘させるのが、陛下の望みか……。だが、イリアシュ殿下、もしくはシルヴァン殿下に自分が殺される可能性があることに何故気づかないのであろうか……)
あるいは殺される立場になることすらも、座興の1つとお考えやもしれない……。
ファルナーズは老いた皇帝を、無機的な瞳で眺めた。




