夏の風物詩
夏。
西の湖では水練が行われている。
これは昨年、部下たちの中に泳げる者が少ないことを知ったリュウヤが取り入れさせたものだ。
そしてその水練の教官を務めるのは、聖女シャーロットをはじめとする海神神殿の者たち。
とはいえ、神殿は建設中であるため手が空いている者に限られており、シャーロット以下二〇名ほどである。
さすがにそれだけでは足りないため、竜女族にも協力を要請しており、また意外なところでは鬼人族も泳げるとのことで、文字通りの鬼教官として参加している。
水練に参加しているのは軍の者が中心だが、軍に属していない者たちも幾人か参加している。
軍属以外の者たちは、別に設けられた場所で水練というより水遊びをしている。
「壮観だな。」
そう口にするのは、リュウヤにくっついて視察に同行しているシニシャ。
たしかに数百人規模の水練というのは、なかなかに壮観なものだろう。
「お前も参加したらとうだ?」
「い、いや、やめておく。」
「泳げないのか?」
「ま、まあ、そういうことだ。」
「なるほど。ならば尚更のこと、参加した方がいいのではないか?」
「うちの国の周囲には、水戦になりそうな湖沼地帯や、大河は無いからな。
必要性を感じないというのもある。」
「そうか。必要性を感じない、か。」
なら仕方ないな、そうリュウヤは言う。
「そう言うリュウヤ殿は、泳ぐことができるのか?」
シニシャの問いに、同じことをギイに言われたなと思い出しながら苦笑する。
「泳げるぞ。なにせ、俺のいた国は島国でな。
四方を海に囲まれていることもあって、学校でも泳ぐことを教えていたくらいだ。」
しかも、各学校にそのための設備が整っていると言われ、シニシャは降参のポーズをとる。
リュウヤは立ち上がり、
「お前には退屈だろう、ここは。
場所を変えよう。」
シニシャにそう促し、水練をモミジとルカイヤに任せてこの場を離れる。
そして向かった先は軍属ではない者たちが、水練とは名ばかりの水遊びをしている場所。
そこには先にサクヤとエウドキア、ナタリヤがいる。
そしてその前には、最深部で一メートル程度に掘られたプールがあり、主に子供達が水遊びにはしゃいでおり、さらに少し離れたところではここよりも深く掘られたプールがある。
そちらでは、シャーロットを教官にして泳ぐ練習をする者たちがいる。
そして、リュウヤに気づいたシャーロットは遠目から手を振る。
リュウヤも軽く手を振り返すが、それを咎めるようにやってくる人物が現れる。
「陛下、私も手を振ってたのに無視するんだ。」
大地母神の聖女ユーリャだ。
ユーリャは、自身が主宰する孤児院の子供たちを連れて来ていたのだ。
「すまんな、子供達のプールを見てなかった。」
これは本当のことなのだが、ユーリャはそうはとらない。
「ふーんっだ。どうせシャーロットの大っきい胸を見てたんでしょ!」
膨れっ面になり、
「私だって、成長してるんだからね!」
そう胸を張る。
たしかに、サイズはAからBくらいに成長しているようではある。
「ちゃんと食事は摂れているようだな。
えらいぞ。」
リュウヤが頭を撫でながらそう言うと、ユーリャは途端に笑顔になる。
その傍らでシニシャが、
「胸が大きくなったのと、食事をきちんと摂れていることの関係はあるのか?」
そう口にする。
「あるぞ。
ユーリャはルーシー公国の、それも最貧困地域に生まれ育ったそうだ。
それこそ、肉や魚などろくに食べられないような地域だ。
それがここに来て、肉や魚を当たり前に食べられるようになり、野菜も色々な種類が食べられる。」
「うん!いつもお腹いっぱい食べられるよ!」
ユーリャの同意の言葉に、
「それがなにか関係あるのか?」
と疑問の声をあげるシニシャ。
その言葉を聞くとリュウヤは立ち上がって、ユーリャを引き寄せる。
「この一年で、ユーリャの背がどれくらい伸びたかわからないのか?」
リュウヤの隣に立つユーリャに、シニシャは驚く。
去年のユーリャは、リュウヤの胸に届くかどうかくらいだったはず。だが、今のユーリャは肩に届くところまで背が伸びている。
「そんなに伸びるものなのか?」
その問いに、
「食料事情だけではないだろうが、それでも食というのは大きな要因を占める。」
江戸時代末期、日本人の平均身長は男が一五五センチほどで、女は一四〇センチくらいだったという。
それが明治以降の肉食の奨励と、戦後の食の欧米化もあってそれぞれ一七〇センチと一六〇センチ弱まで伸びている。
「お前をここに連れてきたのはそれだけじゃないぞ。」
そう言って子供たちのプールへと視線を移す。
「水遊びとなると、どうしても薄着になるからな。
だからその成長具合がわかるし、食料事情もある程度推察できる。
そして、周りの大人たちから理不尽な暴力を受けていないかもわかる。」
この世界、子供といえど貴重な労働力である。
龍帝国においては、学校に通わせることを義務付けているとはいえ、それでも帰宅後には労働をしなければならない。
その時に、理不尽な暴力を受けている可能性だってあるのだ。
「そこまでわかるのか。」
「それに、国民の体格が良くなることは、お前が担当することへもプラスになると思うがな。」
「?!」
シニシャが主に担当するのは軍事。
兵の体格が良くなるというのは、軍の質を高めることに繋がる。
「もう一つ付け加えるなら、水泳は全身運動だからな。
効率よく身体を鍛えることができるぞ。」
「なるほどな。
だが、それを教える利点はなんだ?」
「セルヴィ王国は、龍帝国の東方政策の要だからな。
恩を売っておくことで、結びつきを強化したいと考えているだけだ。」
「わかった。そう受け取っておく。」
「エウドキア殿も、子供たちへの教育に興味がおありのようだからな。
実際に見せておくのもいいだろうと、そう考えたってのもあるがな。」
この国で行なっていることを参考にしてもらえればいい、そういうことである。
「隠すことはない、か。」
「隠すところは隠すさ。」
それは軍事関係であったり、この世界では進み過ぎたと思われる科学技術、そして向こうの世界で有害であると確定している技術もそうだ。
そういったものは別にして、出せるものは表に出していく。
「リュウヤ陛下!」
プールから上がってきたアナスタシアが、リュウヤを見つけると駆け寄ってくる。
その頭に手を軽くぽんっと乗せて、
「楽しいか?」
そう問いかけると、
「はい、とても!」
輝くような笑顔で答える。
「そうか。だけど、水の中に長い時間いたようだからな、少し休憩をした方がいい。」
「わかりました、陛下。」
素直に返事をするアナスタシア。
そのアナスタシアの行動に倣って、子供たちも続々とプールから上がってくる。
そこでリュウヤは、側に控えるキュウビになにやら指示を出す。
恭しく一礼してさがったキュウビは、部下の侍女たちを動かしていく。
そして侍女たちが用意したのは、温かい飲み物。
「長いこと水の中にいたから身体も冷えている。
温かい飲み物で、身体を温めなさい。」
そう言って振る舞う。
「ほう?水遊びの後とはいえ、夏に温かい飲み物か。」
シニシャはリュウヤの隣に来ると、そう口にする。
「夏は暑いから、冷たい物を食べたり飲んだりすることが多い。
暑いから仕方ないんだが、身体を冷やすことはあまりよくない。
身体を温めておかないと、色々と病気になり易くなったりもするからな。」
夏風邪をひいたり、お腹を下し易くなってしまう。
また、女性の場合は生理不順などを招く元ともなる。
「なるほどな。
色々と理由があるのだな。」
そこへ大きな羽音とともに降りてくる人影。
「カシアか。ビオラとエウァリストゥスの視察が終わったのか?」
「はい。その報告に参りました。」
「そうか。ならば俺は先に戻るとしよう。
サクヤ、後は頼む。」
「はい、リュウヤ様。」
サクヤに後を任せて馬に乗ろうとした時、リュウヤのマントの裾を掴んで離さない人物がいた。
「陛下、前にシャーロットを乗せたんでしょ?
なら私も乗せてよ!」
ユーリャだった。
リュウヤはサクヤに視線を送ると、サクヤは仕方ないですねとばかりに苦笑している。
「ユーリャ様、貴女が陛下と一緒に帰ってしまうと、孤児院の子供たちは誰が見るのかしら?」
助け舟を出したのはキュウビ。
「あ"っ!」
と、忘れていたと言わんばかりの表情を見せ、
「今度、絶対に乗せてもらうからね!!」
そう口にしてその場を離れる。
その後ろ姿を見ながら、
「どこで漏れたんだ?」
とリュウヤ。
「ユーリャ様は、あれで人気が高いのです。
ですから、協力を惜しまない人が多いのですよ、陛下。」
ユーリャの意外な一面を知り、苦笑するリュウヤだが、
「早めに機会を作って乗せるしかないか。」
そう口にし、キュウビが、
「それがよろしいかと。」
肯定する。
「お前たちはサクヤのフォローと、子供たちのことを頼む。」
「仰せのままに。」
キュウビの返答を受け、リュウヤはスティールらわずかな供回りを連れて岩山の皇宮へと愛馬雪風を走らせた。