シニシャ
エウドキアの今回の龍帝国訪問の名目、産まれてから初めて会う妹カタリナをアナスタシアはあやしている。
その様子を、スヴィを膝に乗せたままリュウヤは見ている。
リュウヤの膝の上にいるスヴィはというと、小さな手でリュウヤの手を握って遊んでいる。
スヴィにされるがままにしているが、熱いお茶の入った器に触れないようにはしている。
「そうやってるのを見てると、ホントに親子っぽく見えるから不思議だよな。」
遠慮なく論評するナスチャに、
「まったくだ。本当はどこかに隠し子でもいるんじゃねえのか?」
遠慮という言葉をどこかに置き忘れてきたような、シニシャの同意の言葉。
だが、ジロリと睨むエウドキアの視線を感じ、肩をすくめる。
「申し訳ありません、王弟たる者がそのような発言をいたしまして。」
謝罪の言葉を述べるエウドキアに、
「気にしなくていい。いつものことだからな。」
そうリュウヤは答えるが、それを聞いたエウドキアは、凄まじい殺気のこもったオーラをシニシャに叩きつけている。
その内心は、
"我がセルヴィ王国の品位というものを、どのように考えているのですか⁉︎"
と言ったところである。
その様子を苦笑しながら見つつ、
「向こうの世界でも子供を持ったことはないし、もちろんこちらに子供を作ったこともないぞ。
お前のように、一人でふらりと出かけることもないからな。」
必ず誰かがついてくるため、一人て出かけることなどできない。
「お前なら、完全に気配を消して一人で動けるんじゃないのか?」
「こんな風に、か?」
そう言うと、突然シニシャの視界からリュウヤの姿が消える。
驚いたのはシニシャだけでなく、エウドキアやマリーアら人間族たち。
サクヤやラニャ、ミーティアら人間族ではない者たちは驚いた様子を見せない。
それに気づいたアナスタシアが、
「陛下が見えなくなったのに、驚かれないのですか?」
そう疑問を口にする。
「人間には見えていなくても、私たちには見えているのですよ。」
サクヤの言葉。
「どういうことだ?」
シニシャが疑問を口にしたとき、人間族の前に再び姿を見せるリュウヤ。
「今のは、光学迷彩というものの原理を魔力を使って再現しただけだ。」
光学迷彩とは、視覚的に透明に見せる技術の総称だ。
そして、リュウヤが今回使った原理は光の屈折率を変えること。そうやって人間の目を欺いたのだ。
「こんなことができるなら、一人で抜け出す事も簡単だろう。」
とはシニシャの言葉だが、
「他の種族に見えないようにすると、今度は人間には見えるようになるかもしれないな。」
と、リュウヤは言う。
これは、種族によって認識できる光の波長が違うためだ。
そのため、人間には見えなくても他の種族には見え、またその逆もあり得る。
「龍帝国は多数の種族がいるからな。
全員に見えないようにするってのは、難しいんだよ。
それに、全員から見えなくするってのは大きなリスクもある。」
「リスク?」
「みんなから見えなくなるってことは、自分からも見えなくなるんだよ。」
全ての者たちから見えなくするとなると、その光の屈折、反射をそのようにしなければならない。
言ってしまえば、自分の周りに光の壁を作っているようなものなのだ。
全ての種族から見えなくなるような壁ということは、自分も壁に遮られて見えなくなってしまうということ。
「それと、うちの連中相手だと、いくら姿を見えなくしても意味がない者が多いんだよ。」
フェミリンスのように風を操って、レーダーのように使われると居場所がバレてしまう。
また、エルフのように精霊を使う者たちにも、やはり精霊を通じて居場所がバレてしまうのだ。
「だから、悪戯程度にしかならない。」
「すでに試したような口ぶりだな。」
「ああ、試したさ。
あっさりとサスケに見つかった。」
「サスケ?サスケってデス・スパイダーのか。」
「そうだ。結果、アルテアとサクラに見つかり、イストールまで一緒に行くことになった。」
「それで、重傷も負ったわけか。」
その言葉にリュウヤは苦笑し、サクヤは赤面している。
「それよりも、夕食はどうする?
お前は、行きつけの店があるようだが?」
「?!」
「たしか、店の名は"金羊亭"といったかな。
そこの給仕の娘に、お気に入りがいると聞いているが?」
「ま、待て!!なんでそれを知っている!?」
「たしか、名はゼシカといったかな。」
慌てるシニシャにリュウヤが追い討ちをかけるが、それ以上の追い討ちはシニシャの背後からやってくる。
「シニシャ殿。貴方はナタリヤとの結婚から逃げ回っておきながら、よその国で女を囲っているのですか?」
非常に刺々しいエウドキアの言葉。
「女を囲うなど・・・。い、いや、リュウヤ殿。
そこまで知っているのなら、経緯も知っているのだろう?
俺の身の潔白を証明してくれ!!」
懇願するようなシニシャの言葉に、リュウヤは大笑いする。
「シニシャのそんな姿は初めて見るな。」
「そんなことよりも、俺の身の潔白を・・・!」
縋り付かんばかりのシニシャを見てから、
「ゼシカという娘は、戦災孤児でな。
大地母神の聖女ユーリャが主催する孤児院にいる。
昼は孤児院の手伝いと学校に通いながら、夕方から金羊亭という酒場で働いているんだ。」
戦災孤児と聞いて、エウドキアも態度を改める。
「前回、シニシャが来た時に偶々(たまたま)立ち寄った時、給仕をしていたのがそのゼシカでね。
何回か行くうちに、話をするようになったのさ。
優しい、"旅の傭兵のおじさん"としてね。」
そして、店が暇な時に文字を教えたり、将来のためにとチップをはずんだりしている。
「しかも、特に用事もないのに、こっそりと国を抜け出して来ているらしいけどな。」
「そこは余計な一言だろう!」
こっそり来ていると聞き、エウドキアは再び刺々しい視線を向ける。
「ああ、やましい関係は無いと思うぞ。
なにせ、ゼシカはまだ九歳だ。
よほどの幼女趣味でもない限りはな。」
「当たり前だ!俺は断じて幼女趣味なんかじゃないぞ!」
「そうだろうな。むしろ、豊満な女性の方が好みのようだからな。」
ぎくっとしたようにリュウヤを見るシニシャと、口元に笑みを浮かべているリュウヤ。
"なぜ知っている?"
"それをここで言っていいのか?"
そんなやり取りを、アイコンタクトで行なっている。
その様子を怪訝な表情で見ているエウドキアと、必死で笑いを噛み殺しているサクヤとミーティア。
二人は知っている。
シニシャが贔屓にしている娼館は、実はライラが運営している高級娼館であり、そこでどのような女性を好んで選んでいるかを報告されていることを。
「そうそう、今日は金羊亭は休みだったな。」
話題を変えるように、リュウヤが口にすると、
「なに?どういうことだ?」
なにかトラブルでも有ったのか?
シニシャは言外にそう聞いている。
「大したことじゃない。七日のうち、一日は必ず休日とするよう布告を出したからな。
金羊亭にとっては、今日がその日だったってだけのことだ。」
これは全ての職種に対しての布告でもある。
例外は、皇宮と軍くらいのもの。
そして、それぞれの職種に組合のようなものを作らせて、各店舗ごとに休みをずらさせている。
そうすることで、他店のことを知ることや、皇宮で公開されているレシピだったり技術を知り、研鑽させることで競争を生み出そうとしている。
競争なくして成長というものはないのだ。
「色々と考えているものだな。」
そう口にするシニシャに、
「まだまだ序の口だ。
来年には、魔術・魔法学院も開校させる。」
「パドヴァの遺産か?」
その言葉にリュウヤは頷く。
パドヴァ王国では、無法は実験を行なっていたことが明るみに出たため、先進的な存在であったはずの魔法学院は閉校し、この龍帝国へと移ってきた。
校長だったヴィティージェは、教育の普及という一大事業へと移行したが、その弟子たちはそのまま残っている。
そして、魔法学院の校長にフェミリンスを据えて、この地で再スタートさせるのだ。
「それだけじゃない。農業や医学、建設などの各分野の専門家を育成するための学校も、随時開校させていく。」
リュウヤの宣言に驚くシニシャたち。
「その門戸は、各国に対しても開いている。」
「?!」
「順調に進めば、一〇〇年後にはこの地こそが、数多くの文化を生み出す地となるだろう。」
そこには、かつてリュウヤが一千年進んでいると言っていた世界の知識も、提供されていくのだろうことは簡単に予想できる。
「壮大な構想、だな。」
その言葉を、リュウヤは否定しない。
リュウヤの自信有り気な様子に、シニシャは身震いを隠せない。
この男は本気でそうしようとしている。
そして、この男が口にするとなぜかそうなることが既定路線であるように聞こえてしまう。
シニシャのそんな様子を尻目に立ち上がり、
「私もまだ少し仕事が残っているので、ここで失礼させてもらう。
夕食の時に、またお会いしよう。」
エウドキアにそう告げると、スヴィを乳母のウネルマとテッレルヴォに預け退室したのだった。